十六進数物語 (十六進数) |
長さや重さを計って表す度量衡の単位は、 現在は国際的に十進法による単位系 (SI 単位) に統一されているが、
昔は国により地域によってバラバラで統一されていなかった。
我が国では長さの単位として、 寸−尺−間−町−里 と云う単位系が用いられた。
10 寸= 1 尺、 6 尺 = 1 間、 60 間= 1 町、 36 町= 1 里。 これは 10 進数と 6 進数の混合である。
重さの単位としては、 匁 (もんめ) −
斤 (きん) −
貫 (かん) が用いられた。
160 匁= 1 斤、 1000 匁= 1 貫。 これは何だか訳の分からぬ単位構成である。
欧米の英語圏で、 重量の単位は、 ドラム−オンス−ポンド−ストーンの単位。
16 ドラム= 1 オンス、 16 オンス= 1 ポンド、 14 ポンド= 1 ストーン。 ここでは 16 進数が見られる。
しかし、 16 進数の単位系は他では殆ど見られない。 16 と云う数字には、 さほど特徴がないからかも知れぬ。
16 と云う数字の特徴は、 まず二重平方数であると云うこと。
すなわち、 平方の平方が整数であること。 √√16 = 2。
このような二重平方数は、 次は 81、 その次が 256、 625、 1296、・・・つまり、 さほど多くはない珍しい数字である。
それよりも珍しいのは、 a b =b a を満たす唯一の数であること。
2 4 = 4 2 = 16。
しかし、 そんな色気のない無味乾燥な数字の話よりも、 16 は漢字で 「十六」 と書くと豊かな情感の世界に入る。
何といっても、 「十六夜」。
「いざよい」 と読む。 十五夜満月の翌日の月が 「十六夜 (いざよい) の月」。
なぜ 「十六夜」 を 「いざよい」 と読むのか。
「いざよう」 とは 「ためらう」 「躊躇する」 と云う意味である。
陰暦十六日の月は満月よりも遅くて、 ためらうように出てくるからだと云う。
そして、 この 「いざよい」 と云う言葉の 語感が実によい。
だから遊女の名前に附けられる。
河竹黙阿弥の歌舞伎 「小袖曽我薊色縫 (あざみのいろぬい) 」 は、
極楽寺の僧清心と遊女十六夜の心中を描いて、
別名 「十六夜清心 (いざよいせいしん) 」 と呼ばれる。
中世紀行文学の傑作 「十六夜日記 (いざよいにっき) 」 は、
阿仏尼が実子為相 (ためすけ) に、 亡夫為家の播磨国細川荘の所領を継がせようと、
訴訟のために京都から遙々鎌倉へ下って行く道中、 および鎌倉滞在の日記である。
建治 3 年 (1277) 10 月 16 日、 ”十六夜の月にさそわれて”、 都を旅立ち、 この題が付けられた。
「十六夜薔薇 (いざよいばら) 」 と云うバラがある。
サンショウバラの一種で紅紫色の多弁系の原種のバラである。
花が全円でなく、 一部分が欠けたように咲くのを、
満月から欠け始めた十六夜の月に見立てて、 この名で呼ばれるのだと云う。
「十六夜」 という語の風情は、 栄え満ちた後の没落のうつろい、 諸行無常の世のはかなさへの哀愁なのである。
しかし、 十六弁の八重菊の紋は皇室の紋章である。
八方向を更に 2 分割した 16 方向に 16 枚の花弁が付いている。
現在、 50 円硬貨に描かれた 3 個の菊の花もこの 16 弁である。
最後に、 コンピューターには忘れてはならない 16 がある。
かつて、 その演算速度において世界一になった我が国のスーパーコンピューター 「京 (けい) 」 である。
「京」 とは 10 の 16 乗 (兆の万倍) ・・・一言で 16 乗などというが、 これは大変なものである。
ちなみに、 「京」 には 「計り知れなく大きい」 という意味がある。
だから、 計り知れないような大きな魚が魚扁に 「京」 〜「鯨 (くじら) 」。