イベント記録/[三月劇場]
(タイトル)
[フィルムフェストウイズ貘]
http://www.infonet.co.jp/apt/March/theater/Baku/index.html
インデペンデント公募上映会
企画+主催
[三月劇場]
会場
ロック喫茶[貘]
(水戸市栄町2丁目バス停すぐ:当時)
日時
76-04-17
昼:14:00〜18:00
夜:19:00〜23:00
ドリンク付
飛び入りフィルム歓迎
△
ポスタ
(レプリカ)
デザイン:井戸良弘
[Dog of Maerd]という内田知成の作品を見た。花火を撮っているだけのフィルムで、次はどうなるかと思って観ていたが、延々それのみだった。日々テレビを見るように見ていたのでは、そういう受け身の見方では、退屈極まる、しかし、映画というものの原点が、花火の如く見せるその瞬間のみであるということを、ヒシヒシと感じさせる作品であった。
"ああ、そうなのか"と作者の意図らしきものを感じたのはそれから1週間ばかりたった後である。
恐らく、映像というものは、もっと積極的な意思を見るものに必要とさせるのかもしれない。そして、映画の実体は、そのフィルムにではなく、上映しているその場にあるのかもしれない。
バカが作ろうが、天才が作ろうが、そんなことはどうでもいい。観ようとするものにとって、それが何かが重要なのかもしれない。
もしかしたらそのフィルムはその観るものにとっては、1週間、もしくは10年経た後にわかるようにできているのかもしれない。そのためには、少なくとも上映しているその場を、そして映像を単に見るのではなく、観なくてはならないのかもしれない。
何分にもわたって変化しない画面をもつ映画もまた、観続けなければならないのかもしれない。それはめまぐるしく変化する映像以上に活力を秘めており、観るものに活力を要求するのだから。
隣の連れは目を伏せていて、時々顔をあげ、画面が変わっていないのを見て、また目を伏せる、そんなことを繰り返していた。こんな見方ではいけないんだなと思いつつ、私も、その動かない、それだけにまた意味があるかもしれない映像よりは、その隣人の上半身と首の運動の方を熱心に見ていた。
(リーフレットより 異流仁義)
イメージ
上映作品
作者 題名 制作年 上映時間 異流仁義
ブリーチたっぷりの太陽
77
須賀&カンガルー
カンパニー
R-Run
77
須賀&カンガルー
カンパニー
少年密室
77
井戸良弘
アダムとイブ
76
井戸良弘
晩秋空間
76
井戸良弘
フィルモボリズム
(情宣は沈殿都市)
77
井戸良弘
月経都市
76
井戸良弘
無限のうた
(当時は[原子心母])
73
20分
異流仁義
三月劇場
距離(へだたり)
3部作
76
50分
(初日プログラム順)
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