戻る 陽動作戦 (情報秘匿)


 “あることに集中していると、 他のことに対する注意が弱くなる。” ・・・
 ニュートンが研究に熱中して、 懐中時計を卵と間違えて、 茹でてしまったと云う伝記がある。 ニュートンならずとも、 面白いゲームに熱中していると、 時間がたつのを忘れてしまう。

 マジック−手品−における重要な手法の一つに、 ミスディレクション (misdirection、誤導) と云うのがある。 観客の注意を右手に集めておいて、 その間に左手でコインを隠して、 あたかもコインが消失したように見せかける。 左手を素早く動かすことが重要なのではなく、 どうやって右手に観客の注意を引きつけるかが、 手品師の腕前であると云う。

 陽動作戦と云うものがある。 本当の意図を敵にさとらせないために、 敵の注意を別の所に引きつけるための作戦である。 敵の注意をそらすために、 ことさらに目立つような動きをする。 「陽」 という文字には、 「嘘偽り」 「見せかけ」 と云う意味がある。 「陽狂」 は気違いの真似をすることであり、 「陽死」 は死んだ振りをすることである。

戦史を繙くと、 どんな戦争でも、 多かれ少なかれ陽動作戦が行われている。

Waterloo  1815年6月15日、 ナポレオンの最後の戦いとなったウォータールーの会戦では、 ナポレオンは英将ウェリントンの指揮する英蘭連合軍の右翼ウーグモンに先ず攻撃を仕掛ける。 これは陽動作戦であった。 ここにウェリントンの注意を引きつけておいて、 ラエイサントの中央部を手薄にさせて、 中央突破する目的であった。 しかし、 これは成功しなかった。 英蘭軍右翼がナポレオン軍の猛攻に耐え抜いて崩れなかったのみならず、 ナポレオン軍の左翼の将軍ジェロームが、 陽動作戦と云う目的を忘れてムキになって攻撃し続けたが、 ウェリントンは中央軍を全く動かさなかったからである。(その後の戦況は略)

Mukden  下って1905年(明治38年)2月、 日露戦争における奉天会戦。 21日、 日本軍最右翼の鴨緑江軍が前進を開始し、 苦戦の後に24日清河城を陥落させる。 これは陽動作戦である。 この鴨緑江軍には、 旅順で死をも恐れぬ勇猛さを世界中に知られた第3軍の中の、 第11師団が加わっていた。 ロシア軍の総司令官クロパトキンは、 恐るべき第3軍がここにいるものと判断し、 すべての予備隊を鴨緑江軍の前面に投入した。 この機会に日本軍の最左翼に布陣していた第3軍の本隊が進軍を開始し、 長駆して、 ロシア軍を西から包囲する形勢を作る。 (その後の戦況は略)

 陽動作戦は何も戦場だけではない。 “これぞ究極の陽動作戦” と呻りたくなるような話を読んだことがある。 いささかゴシップめいているが、 2006年6月17日のロシアの日刊紙の記事である。
 モスクワ郊外のバラシカの河原のビーチで大勢の人たちが日光浴や水遊びをしている所へ1台の高級車が乗付けた。 車から降りた男女の中の3人の女性はモデルのような若い美女たちで、 忽ち人々の目を引きつけたが、 彼女らは水辺まで歩いてゆくと、 着ていたものをすべて脱ぎ捨てて全裸になり、 膝まで水に入ってしばらくふざけ合っていた。 ビーチの人たちは、 その眩しい裸体に見入って、 彼女らと一緒に来た男たちがどこで何をしているかなど誰も見ていなかった。 しばらくして突然水から上がった彼女たちは、 そそくさと乗ってきた車で去っていった。 気がつくと、 ビーチにあった4台の車が消え、 他の車も車内から金品が消えていた。

“あることに注意を注いでいると、 他のことに対する注意が弱くなる。” 情報の受信には濾過が起こる。



情報夜話内の関連事項】  関ヶ原の陽動作戦 (あるいは虚報) 情報戦の桶狭間


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(1) http://rate.livedoor.biz/archives/50279761.html