資料シート/[Office Paradix]

鳥居ホールシンポジュウム
パネル資料

桂勘



[パラディオの回廊]プロジェクト参加中



質問(司会):
 [舞踏家]の桂さんご自身がなぜ[タイ]にいまのような形で滞在されているのかという理由や必然性そのものが、フォーラムを展開していくための基調ビデオに仕上がるのではないかと推察いたします。
 そこで、おおまかではありますが、

1)アジアと舞踏の関係性
2)政治、経済、アートなどの視野を含む同時代のなかでの舞踏とはなにか
3)なぜ、欧米ではなくアジアなのか

回答(桂):
 なぜ欧米ではなくアジアなのか、から始めると私のルーツともつながりわかりやすいと思うのでここから行きます。

[A]
 一般にアジアのアーティストが欧米をめざすのは単純な理由だと思います、誰しも英語を習ったら、本場で使ってみて通用するかどうか知りたいのが人情です。あるいは本場で直に勉強したいのも当然です。[アート]がヨーロッパに置いて先導され名付けられ発展してきたプロセスは確かに人間世界に実質的な[価値]を創造してきました。さて、ほとんどのアジアのクリエーターは、その本場で何を学ぶことになるかというと、そこは製造や展示の現場ではあるが材料はアフリカやアジアだったりするわけです、イギリスの博物館などはひどいものでよそからの略奪品の陳列場所です。つまり創り方がわかり作りたいものを決めたら自分で材料を求め、作りやすい場所で作るのは自然だと思います。
 このような作業はビジネスの世界では[朱印船貿易時代]とまでは言わなくとも戦後の日本の経済界のパワーの一端であることはご存じの通りです。もちろん終わりなき[芸の技術]の[道]を志している者にとって新しいアイデアや情報は欠くことが出来ませんし、製品を価値づけ高く売るためにも欧米詣では、あと何世紀続くでしょうか。

 とまあ少し皮肉っては見ましたが桂勘個人にこの質問が向けられているのでもっと謙虚に別の回答があります。

[B]
 私は1979年に白虎社の創設に立ち会い約3年間大変凝縮した時間を過ごしました。ここ10年くらいは[舞踏]はかっこいい芸術とかあれはもう終わったとかヒーリングの道具にもされたりしていますが、当時そんなモノに所属しているという事の覚悟は今と少し趣が違っていました。まず、メンタルなハードルの方が大きい、親類縁者からは準禁治産者の扱いを受け(これは事実私の白虎社時代'79〜'81にメンバーの一人が親の遺産相続に際してBUTOHなるものに没入せし物狂いとて家裁にてそのように認定を受けた物である、もっともその当時の白虎社なる物はとことん物狂いとしかカテゴライズ仕様のない物ではあったが)世間からは嘲笑と道楽者の烙印を押され決して一人前の社会人とはみなされない、確かに絶対食えないんだモノ当然ですよね!話が横道にそれましたが、ずぶの素人の私に主宰の大須賀勇は徹底的に[アジア]をターゲットにした戦略を四六時中辛抱強く説き続け、ために文字どおり"真っ白な虎"だった私はその戦略をそのまま今にまで、色々理論武装を重ねたとはいいながら至っているというのが真実です。しかし言われるままに一直線にやったことそれは正しかったのです。白虎社に付いては一冊本が出来るくらいの凝縮された[嵐の時代]デスがまたの機会にゆずるとして。

 次は、ではその欧米との比較として、アジアであること、をつぎの [アジアと舞踏の関係性] という質問に答える形で進めます。

 [アジアと舞踏の関係性]をまともに語り出すと文明論から始めなければならなくなるので、ここはもっと気軽に行きます。それは、桂勘の舞踏がめざす亜細亜戦略ということです。では最初に'95年に[ルシフェル]プロジェクトという国際交流基金との共催で行ったプロジェクトにおけるあるインタビュー記事を転載します。

[ルシフェル-プロジェクト]

 次は[(2)政治、経済、アートなどの視野を含む同時代の中での舞踏]というこれも巨大なテーマについて思うところを述べたいと思います。このテーマに取りかかる前にもう少ししつこめのタイとシンガポールの体験に基づいた、現地の雑誌等に寄稿した軽いエッセイに目を通してください。

演出ノート
[Little Lunch Box]

アジア-ハイブリッド雑考

 色々話しが飛んだりして解りづらいかと思います。ここで簡単に結論だけを書いてみましょう。

問 なぜ、欧米ではなくアジアなのか。

答 18年前白虎社の大須賀勇氏に3年間にわたって洗脳されたから。でもひょっとして本当に洗脳されたのは私ひとりだったかもしれません。当の白虎社ですら世界5大陸制覇に転向しましたから。

問 アジアと舞踏の関係性は。

答 アジアには「舞踏菌」の原種が居る、日本や欧米にいては見つけにくい。これは日本のそれよりもっと激しく熱を出す、その熱に鍛えられた肉体は最も高い肉体表現力を獲得する。

問 政治、経済、アートなどの視野を含む同時代のなかでの舞踏とはなにか。

答 まず舞踏をアートの範疇にいれます、そして政治、経済とアートの今後の関係性を推測し同時代の中でというのを現代及び近未来と言い換えて再び舞踏の身の置き所について考えを述べます。いずれにしてもかなりの独りよがりな推測と、引用に関する断りもないことをご勘弁願います。
 アジアでは韓国、台湾、シンガポールが文化、なかんずく現代芸術ものにかなりな予算を割いているそうです。そしてこれらの国は大変緊張を強いられている国です。彼らは軍事力のつぎに「民族の誇り」というものの必要性を痛感しています。この「誇り」とは、そうです、高い文化力です。才能です。創造する力です。あるいは世界に誇りうる伝統を持っていることといってもいいかもしれません。その国の文化は本来ナショナリズムを越えて、人類の限りなき可能性の光となるものです、それは紛れもなく世界財産として静かなパワーをもっています。例えばその文化遺産の故に京都は原爆の惨禍から免れたというのは真偽のほどは別にしてある説得力を持ちます。
 [Little Lunch Box] の最後に少し触れた「質の高い舞台芸術の育つ国は世界に置いて尊敬を集める」というのは本当です。「尊敬」の集まるところには必要な「金」が実は自然に集まるのだというのは何となくありそうだと思いませんか?それは「信用」されうるということです。これは明らかに「価値」です。つまり「物」は今やその価値を失い「情報」や「信用」がすでに価値を持つ時代になっています。
 日本では「尊敬」は完全に「死語」でしょう。でも東南アジア「タイ」や「インドネシア」では強力に生きています。特に「タイ」は数世紀を架けて「尊敬」のシステムを社会に定着させることに成功させた世界でもきわめてユニークな国です。日本で世界の動きに最も敏感で優秀な人材が集まっているのは「官僚」と「経済人」です。彼らはいつの時代にもそのことに気づいていたに違いありません、ただなかなかチャンスがなかったのだと思います。しかし今や時代は「尊敬」されうる「文化・芸術・伝統」が社会のシステム(政治、経済、教育)を活性化しうる最後の切り札であることを感じ始めました。元々普遍性を持つそれらが超国家的なコミュニケーションのために新しいデザインを描いていくことは間違いありません。それ以外に人類が事物と共生しながら生命の存在の意義を高める道はもはやないといっても過言ではありません。
 さて、ここで「舞踏」に戻ってみましょう。70年代から80年代に架けて、フランスを中心に燃え上がった「BUTOH熱」は(仕掛人は官僚です)今や下火になったとはいえ、それでもパリにおいてすら未だに舞踏公演は観客の注目を常に集めずには置かないようです(パリ交流基金幹部)。特に今はアメリカが第二次感染の最中だと聞きます。今年のBAM'97秋の「ネクストウェーブ」にピナバウシュやロバート・ウイルソンの新作と肩を並べて「エイコ&コマ」がでているのを見ても分かるというものです。海外のその辺の事情はむしろ大野さんからお聞きになればもっとハッキリするでしょう。でも一言つけ加えるなら、海外に単身乗り込んでいく「舞踏さん」は大変キバリハルのです。ユニークなんです。技術のないぶんだけエネルギーがあって、何より圧倒的なリアリティが観客を感動させるのです。それと、ほかがあまりにもフツーなんですよ、あまりにも。
 ところで、この世紀末から次世紀に架けて、芸術と政治はもとより経済との激しい相克が起こることが予想されます。特に芸術をビジネス化できるほどに経済が進歩し多様化し追いついてきたからです。もともと経済人の方が優秀ですから。普通の芸術家もしっかり勉強する必要がでてきました。でもこれはクリエーターにとって逆風ではありません。むしろ追い風です。それとアジアの日本以外の中華圏から舞踏に偏見のない高い技術力を持つ舞踊団(例えば、Lin Hwai-min 率いるCLOUD GATE DANCE THEATRE 台湾)などが続々と名乗りをあげて来るでしょう。アメリカはこの点大変すばやい動きを見せています。昨年からUCLAに開設されたWorld Arts & Cultures Facultyには主要なアジアのダンスアーティストが網羅されています。ドイツにいる古川杏さんやフランス、イタリアなどを拠点とするカルロッタ池田さんはどうなんでしょうか。私の会った時点では、高い技術力を持つダンサーを使って本気で作品づくりをされているようでしたし、アジアで見えかくれする桂勘なども要注意でしょう。ほかの人は最近見る機会がないため分かりません。
 ただ、舞踏もポストモダンダンスと同じ運命をたどる可能性があります、つまり技術の洗練に傾くということです。だから、ある種モダンダンス化は避けられないでしょう。欧米がすでにそうであるようにこれからは「アート=食えない」とは言えなくなると思います。それは文化力の先端がアバンギャルド性のあるアートでなくてはならないということが認識され定着するからです。結論などという物はありません、私にとってアートが変に仕事になると、何となく飽きてしまってアートをやめるかもしれません。それでもやはりゾクッとする名づけようのないような物に出会いたい。舞踏がそうあり続けるのが本当なのかどうかそれはよく分かりません。でも政治、経済、という極に拮抗して文化・芸術という極が対等の価値を得れば、人はもっと多様な生き方や価値観の選択が可能です。何せこの肉体は可能性の塊りなのですから。



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