資料シート/[Office Paradix]

アジアハイブリッド雑考

96-09-16
桂勘



[パラディオの回廊]プロジェクト参加中



 私は95年の10月から96年の3月まで、ジャパンファンデーションの委託を受け てタイとシンガポールの舞台芸術及び現代芸術のクリエーターとの共同研究と共同ワ ークショップを行った。これは日本では「ルシフェルプロジェクト」と名付けられシ ンガポールでは其の意味の両義性から「モーニングスタープロジェクト」と呼ばれた 。96年の3月にシンガポールのシアターワークス(シンガポールにおける最もメジ ャーなプロ劇団)の小劇場でその実験的内容がやく2週間にわたって公開されたので ご存じの方もいらっしゃると思う。
 シンガポール側からはローイーチャン(ピープルズアソシエーションで中国古典舞踊 を基に創作活動をしている振付家)、ローキーホン(モダンダンサー)、シアターワ ークスのタンケンフォワ(女優)、ノリナモハメッド(女優)、オンケンセン(演出 家)そしてパフォーマンスアーティストのリーウェン(イエローマンの名で良く知ら れている)にスーパーバイザーとしてDr.チュアスーポン(中国戯曲学院のプレジ デント、アジアの舞台芸術を俯瞰出来る希少な学者)に参加していただいた。 私は1980年に初めてインドネシア各地で公演を行い、その後15年ほどの間に様 々な共同作業をアジアで行ってきた。そんな中で、シンガポールのアーティストの持 つ共通の意識について考えさせられるものがあった。 日本もそうだがインドネシアやタイ、韓国のアーティストが陥りやすい罠のようなも のがある。それはともすれば伝統と言う言葉にからめ取られやすいと言うことである 。それに比べてシンガポールのアーティストはより個人的な方法論を模索しているよ うに感じられた。それはつまりシンガポールが若い国で歴史や伝統に縛られない軽い フットワークを持っていると言うだけの単純な理由ではない。なぜならローイーチャ ンは中国古典舞踊とマーシャルアーツの源流を常に彼の創作の座標軸の原点に置いて いるし、Dr.チュアはそのグローバルな視点から中国大陸で失われつつある伝統の再 構築に余念がない。彼らの身体の置き処は明らかに欧米のアーティストとはひと味違 うものである。そんな中でリーウェンやオンケンセンには深い孤独を感じた。もちろ んこの二人の孤独はそのベクトルが違っているのだが、常にその創作の痛みに直面し 、安易な伝統的身体に寄り掛かることの危険を良く承知している。彼らの共通項は海 外での個的な深い対話の経験を持つと同時に決して「お客様」扱いをされていないと 言うことだ。
 私はこのプロジェクトの始まる前にハワイで貴重な体験をさせてもらった。「ヒロシ マ・ナガサキそして戦後50年」の記念イベントのためにアジアンアメリカン達とホ ノルルで共同プロジェクトを組んだときだ。ハワイは明らかにアジアだった。彼らは 自らのアイデンティティのハイブリッド化に楽天的なように見受けられた。いたると ころで文化のカクテルにであった。正直言って悲しくさえあった。 今シンガポールは政治のツケがまわってきて家庭に置ける深刻な世代のギャップが問 題化している、例えば3世代の家庭の中で子どもは中国アクセントのきつい英語のみ で中国語がダメ、両親はマンダリン、祖母は潮州語や北京語だったりして一つの家庭 で日本では考えられないような自体が起きている、たまにこの子と日本人が結婚した 場合たまたま祖父や祖母が日本語が出来たりして良かったね、などという笑い話のよ うなしかしシリアスな問題が有るのだ。ただシンガポーリアンはとにかくアジア系で はあるが英語のネイティブなのだ、このネイティブイングリッシュを話すアジア系と 言う意味ではシンガポールにとってハワイは未来の選択肢の一つではある。だが文化の混交と言うことについてもう少し述べてみたい、私は今のクロスオーバーな料理は 好きではない、一年中同じものが食べられたり、ヨーロッパの素材で日本料理や中華 風にアレンジして喜んでいる日本のグルメ番組には批判的である(しかし料理の鉄人 は見逃せない大切な教育番組である)。これは大変難しい文化の本質的な問題をはら んでいる、つまり私はハワイのホノルルを見てああ背骨のない文化はなんと気持ちの 悪いものだ、と危機感を覚えたからだ。この混ざり具合ははっきり言って失敗作だと アメリカにたいして怒ってしまった。
 この怒りはアフリカのナイジェリアでヨーロッパにたいして激怒したときよりはもっ と本来は深刻なものかもしれない。そしてこれはあらゆる分野に共通の問いと警告を 投げかけている。それは、「いかなる創造行為を為すものも、素材の持つ本質的な意 味あるいは力を見失わないように常にそのための術を磨くことを怠ってはならない」 と言うことである。アーティストの仕事は大げさに聞こえるかもしれないが人類の未 来がかかっている。それはクリエーターに未来のコミュニケーションのあり方を指し 示すからだ。
 この点で日本文化は近世から近代にかけてやはり背骨を持ち得たと思う、舞台で言う と能や歌舞伎に集約させたその力は世界的に見てもただ事ではない、舞踏がその恩恵 を受けていることは間違いのないところである。私の肉体もそういう背骨を背負って いる、そして私の所属した「白虎社」という舞踏グループは、創立の旗印としてその 背骨をなげうつ舞台を東南アジアに求めた。つまり堅すぎる背骨を解体して再ハイブ リッド化をもくろんでいたのだ。これは当時のはやりの文化思潮の舞台への応用であ った。
 しかし意に反して私の背骨は彼の地の神々に快く迎え入れられた、日本でアグレッシ ブだった白い虎は彼の地の神々の懐の深さと豊かさの前に静かな自省の時間を与えら れたそして私の肉体は戦略としてのハイブリッドに拒否反応を示した。 この意味に置いてシンガポールのアーティストが自己の肉体の風土を作為的に求める ことなしに静かに熱帯雨林の背後の神々に耳を傾けさえしたら、ハワイのような選択 肢に至ることはないだろう。イエローバナナなどという時代錯誤の単語は笑い話とし て残して置いてもいいしかし、CNNやBBCに簡単にコミットできるハイブリッド なシンガポーリアンを笑える日本人は居ない。そしてそのハイブリッド性が東西を横 断する強力な背骨になることは疑いのないところである。この意味で私は彼らとの共 同作業中にモーニングスターを確かに見たのである。 シンガポールにて。



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