数量を記録(/通信)するための手法は、アナログな手法とデジタルな手法との二つに大きく分けられる。
アナログ(analogue=類似)による方法は、たとえば音ならレコードやテープレコーダなどで用いられてきた。
この方法では、数量の大小を
電気や磁気の強弱などに置き替えたものとして表現する。特に時刻の進行につれて変化していくような(=単独ではない)数量をこの方法で表現すると、その結果としての電気や磁気の強弱も時刻につれて変化するので、その全体は電気や磁気の波になる(▽図)。たとえば音は時刻につれて寄せたり引いたりする度合いの変化とみなせるので、電気や磁気の波として記録/通信できる。
テープレコーダで録音したテープでは、テープの長さ方向に磁気の強弱の変化が書き込まれている。レコードでは、電気や磁気の代わりに溝の深さの変化で波を表現している。
デジタル(digital=指名)による方法は、
オーディオCDで使われている。
この方法では、数量に
名前をつけておき、それを記録/通信する。
もともと、わたしたちは日常の生活でも、数に "2000" とか "π" とか "八百" などの名前をつけて数量を表現している。これらの名前は文字の列として組み立てられているが、大量の数量を正確(または高速)に記録/通信しなければならない場合には、字の代わりに電気や磁気の強弱のパタン(一定の長さの
ビット列がよく使われる)を使って名前を組み立てる。
情報が気圧や電圧の変化としてアナログに通信されていた時代には、情報を通信しているという考え方はそもそも存在しなかったのかもしれない。当時の人々は、気圧や電圧によってやりとりしているのはエンジンやモータなどを働かせるたるのエネルギであって、その大きさを変化させるのも、働きの度合いに応じてエネルギの量を適時に調節しているだけだと考えていたに違いない。
もしそうだとすると、情報がエネルギと同じように(またはそれ以上に)重要なものだと考えられるようになるのは、真空管や半導体素子が使われるようになってからだということになる。真空管や半導体素子に出入りする何かは電子のレベルのエネルギしか持っていないので、エンジンやモータを働かせるためのエネルギとは考えにくい。それでいながらこれらを正しく働かせるためには必要な何かをそれは持っている。これが情報とよばれるようになったのだ。
数(の変化)と直接には関係ないことがらでも、数量やそれを並べたり組み合わせたりしたものとして扱えるなら、アナログによる方法でもデジタルによる方法でも表現することができる。そうでない(またはそれに無理がある)ことがらはデジタルによる方法でしか表現できない。いっぽう、名前をあらかじめつけておけないものに対してはデジタルな手法は適用できない。