何枚かの
スチルがごく短い一定の時間ごとに取り替えられているのを見ていると、わたしたちの
目(というより脳)は、そこに描かれているものが実際に運動しているかのように(実際には動いていないのに)見えてしまう。つまり、
スチルと
スチルとの間に相当する時間の分の視覚が(実際には見せられていないのに)補われて見える(▽図)。
この条件と現象との関係に初めて気がついたのはFaraday(ファラデー、Michal。▽図。電気の研究の方が有名だろう)だ。柵ごしに車(もちろん馬車だろうねぇ)が走っているのを見ていて、車輪のスポークが止まって見えたり逆向きに回っているように見えたりしたことがきっかけだったという[
Gronemeyer]。
Faradayは電気モータも発明しているし、映画は多くの点でFaradayの恩恵を受けている。
のちに、ある特別な条件が揃えば、実在しない運動が視覚されてしまう場合があることが認められ、
仮現運動(apparent movement)とよばれるようになった。
仮現運動は(
目だけではなくて)脳のはたらきによって生じるのだが、そのしくみはよく分かっていない。
仮現運動が起るようにするためには、▽の条件が成り立つようにしておく必要がある。
仮現運動として認められている現象にはいろんなタイプのものがある。Faradayが考えた条件とそれが引き起こす現象は、仮現運動と(少なくともそのうちの
β運動とよばれているものと)とてもよく似ているので、この二つは同じものと考えていいだろう(と思う)。
ビデオの再生も、
フレームの間欠表示によって運動が見えることをベースにして成り立っているので、これも仮現運動と関係があると考えられている。
"映画の原理は
目の
残像のはたらきに基づいている"と書いてある本をよく見かけるが、これはFaradayよりも前の時代の説明で(資料
[残像は映画の原理ではない])、現在では適切ではないとされている。
CRTや映写機(どっちもそのうちに使われなくなるだろう)を使った上映では、
フレームを切り替えている間も視覚が途切れないようにするために
視覚の持続(persistence of vision。残像に似ているけれど別の現象)が役立っているが、一般には、
ビデオの上映にとって、視覚の持続や残像はかえって妨げになる。