作品/[三月劇場]

[映画の食卓-僕の食卓]
16
差別の味
-餃子-




http://www.infonet.co.jp/apt/March/Aki/Eat/16.html




 "差別" と聞いて、すてきな言葉だと感じる人はまれだろう。"差別"という言葉には、人種差別や民族差別をはじめとして、暗い印象がつきまとっているからだ。
 差別語には、"はげ"、"でぶ"、"ぶす"、"ちび" といった肉体的特徴を指したものから、"根暗"、"脳天気" といったような精神的特徴を指したもの、"貧乏人"、"乞食" といった経済状態および職種について言及したものなどがある。差別語というものは、およそ人間が活動するところには必ずついて回るものだと理解したほうがよさそうだ。

 差別には "いじめ" がつきものだ。戦時中のユダヤ人大量虐殺などは、最大級の "いじめ" といえる。こうした"差別" や、それに伴う "いじめ" を描いた映画は星の数ほどあるに違いない。僕が最近観た映画やビデオでは、ホロコーストの問題を描いた[ライフ-イズ-ビューティフル](La Vita e Bella)が、イタリアにおけるユダヤ人虐殺を今までにない明るさで描いていて印象的だった。前半の明るさが、後半の悲劇を盛り上げていく手法で描かれたこの映画は、ただひたすら暗い時代を描くに終始していた今までの"ユダヤ人虐殺問題" 映画と比較すると、フィクションとしての力(エネルギー)が大きい、より映画的な作品だと言える。

 民族問題ほど大きな差別ではないが、あいつは違うぞといっていじめられた[キャリー]などは立派な"差別" 映画といえる。だいたい、当時の[キャリー]のキャッチは、確か"ブスをいじめてはいけない"というものだったはずだ。しかし、よく考えてみると、いじめた相手が単なる"ブス" だったから悲劇になったのではなく、いじめた相手が"超能力を持ったブス" だったから悲劇となったのである。
 岡山県で発生した17歳の少年の金属バット殺人事件にしても、あれは、"反撃する意志" を持った先輩であることに気づかなくていじめ続けたことの結末なのである。

 では人は"差別" が嫌いか、というと決してそんなことはない。僕などは"差別" されるのが好きな方かもしれない。"ハンサムね"、"声が素敵"、"やさしいわね"、"私だけのものよ"、"愛しているわ" などが日常的に僕の受ける差別で、こうした他の男性との差別は決していやではないからだ。
 僕ほどもてないあなたでも、レストランに行って注文していない料理や酒が出てきて"これはあなた様だけのサービスです" などといわれれば厭な気はしないはずだ。つまり、自分にとって都合の良い"差別" は好ましいが都合の悪い"差別" は厭だというわけだ。

 この"差別" を書かせれば天下一品なのがつかこうへいである。映画の[蒲田行進曲](1982、松竹+角川春樹事務所 深作欣二)は、一見軽快に見える作品だが、差別する側と差別される側を描いた映画としてとらえると、そこで扱われているのは重く暗い笑いだということがよく分かる。
 [蒲田行進曲]については、公開当初から、こういう見方をしていた評論家もたくさんいた。ただ、あの映画を、その中に描かれているような"差別" や"いじめ" が社会の中でますます一般的になっていく時代の前触れだったとして認識している人は少ないかもしれない。
 ある演劇や映画に影響されることで、社会全体が"使用前使用後" みたいに大きく変化していくことがある。つかこうへいの代表作[熱海殺人事件]が発表されたのは、たしか73年であり、それがきっかけになって昭和50年代(75〜85年)にはつかブームが起こるが、これに歩調を合わせるかのように"いじめ" も表面化していったような気がする。

 さて、突然であるが今回紹介するレシピは餃子である。
 我が家の餃子は本当においしいのだ。今まで、食べた人でまずいといった人もいないし、残した人もいない。それどころか、我が家で餃子を作るというと、親戚がそれを目当てに寄って来る。東京の友人は椎茸嫌いであるにもかかわらず、つい我が家の椎茸入りの餃子を食べてしまうのである。僕自身、ずいぶんといろいろな店で、"餃子" を食べたものだが、自分の家の餃子ほどおいしい餃子は食べたことがない。いままで、いろいろな怪しいレシピを紹介してきたが、これこそ自信を持ってお送りできる一品といっていいだろう。
 実は餃子そのものは、今までの話とはおよそ関係がないといっていい。そう、お気づきのとおり、今回に関しては、レシピの公開は、[とら新聞]本誌購読者のみの限定とさせていただこうと思うのだ。ウェブ版でこの欄を読まれている方には大変申し訳ないが、この餃子はあまり広めたくないのだ。つまり我が家とよその味を"差別" したいのだ
 今、あなたは[とら新聞]本誌を読んでいるのだろうか、それともウェブ版を読んでいるのであろうか。あなたはこれを読んで怒りを覚えたであろうか、それとも選別された人間である優越感を抱いたであろうか。

 まあ、これが"差別" というものである。

Sun, 9 Jul 2000
とら新聞静岡支局
森島永年






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