戻る 2045年問題 : シンギュラリティ   (人工知能)


またまた、 鬼面人を驚かす奇説・珍説で、 人々の注目を集めたいとする学説がある。
いわく、 2045年問題、 あるいは、 シンギュラリティ (singularity 特異点) 。

人工知能の規模・能力は年を追って加速度的に増加している。 そして、 2045年には、 遂に、 ニューロコンピューターのニューロン (神経細胞) の数が、 人間の頭脳の神経細胞 (約140億個と云われる) の数を越える。 そこが転換点である。 すると、 氷が水になる摂氏0度や、 水が水蒸気になる摂氏100度と同じように、 相転移が起こり、 コンピューターが意識を持つに至り、 この世界が、 まるでSF映画の世界のように、 想像を絶する変化を遂げると云うものである。 その世界は現在の世界とは別の世界であるので、 現在の人間にはそれを予測したり描写したりすることが不可能であるとも云う。

言い出したのは、 ヴアーナー・ヴインジとレイ・カーツワイル。 彼らは、 この転換点をセンセイショナルに、 あえて 「特異点」 と呼ぶ。 特異点とは、 他と同じようなルールを適用することが出来ない点のことで、 もともとは、 難解な複素関数論や代数幾何学の中の言葉であり、 平面図形で云えば、 曲線の尖端や、 曲線が自分自身で交わっている点などのように、 接線が存在しないか、 もしくは、 多数の接線がある点のことである。 (下図の 印の点)


ニューロコンピューターのニューロンの数が人間の頭脳の中のそれを越えることを、 何故、 特異点 (シンギュラリティ) などと呼ぶのだろう。 転換点、 屈折点、 相転移点などなど、 幾らでも言葉があるのに、 わざわざ、 一般には使われることのない 「特異点」 などと呼ぶことに、 私は多分に、 ある種の臭みを感じてならない。 あえて、 高邁な理論を装ってセンセイショナルにしようとする意図が紛々と臭えてならない。
今までも人間は、 その能力を遙かに越えて移動する機械を手にし、 その生存条件を逸脱して空中を飛び宇宙を走ることさえも可能にし、 その聴力・視力を越える遠方と話をし、 遠方の物を見る。 しかし、 それらの能力を得た時に、 世の中が別次元に入ったと云うことはない。 今日現在は人類の歴史約500万年の延長上にあり、 そこには何の断絶もない。 まして、 特異点など。
ひと昔前に、 カタストロフィー理論と云うものがあった。 カタストロフィー (catastrophe) とは、 破滅、 破局の意味であって、 三次元の特殊な曲面を、 現実の自然現象や人間社会の出来事になぞらえて、 当てはめようとした、 こじつけのような感じのするものであった。 私には、 特異点なるものが、 その再来のように思えてならない。

思えば、 人工知能と云うものの歴史は、 公式的には、 1956年の夏、 ダートマス大学で開かれた、 いわゆる 「ダ―トマス会議」 から始まる。 しばらくは、 Wikipediaの中の 「人工知能の歴史」 が用いた時代区分に準じて、 その歴史を要約してみる。


(1) 創成期 (1956〜1974)
1956年のダートマス会議後の十数年は、 人工知能の第1期の黄金時代だった。 コンピューターは代数問題を解き、 幾何学の定理を証明し、 英会話を学習してみせた。 プログラミング言語においても、 LISPが作られ、 Prologが作られた。 最初のエキスパートシステムとして Mycin (伝染性血液疾患診断) やDendral (分光分析の化合物同定) が作られる。 ファジー理論が作られ、 ニューロコンピューターも試みられる。
研究者たちは強烈な楽観主義を表明し、 1965年、 ハーバード・サイモンは 「20年以内に、 人間の出来ることは何でも、 機械で出来るようになる」 と予測し、 1970年、 マービン・ミンスキーは 「3年から8年の内に、 平均的な人間一般知能を備えた機械が登場するだろう」 とまでいった。
政府機関もどんどん、 この分野に資金を注ぎ込んだ。
1968年、 アーサー・クラークがSF小説 「2001年宇宙の旅」 書いた時、 そこには 「HAL9000」 と云う、 人間を越える人工知能を備えて完全に人間の代わりとして動作するコンピューターが描かれていた。

(2) 第1冬の時代 (1974〜1980)
しかし、 問題はそんなに簡単ではなかった。
今までに成功した問題は、 ほんの 「おもちゃ」 のような物で、 現実には、 天文学的に膨大な組み合わせのそれぞれを解かねばならぬと云う、 誠に手に負えない (intractability) 問題が多数あることが明らかになった (組み合わせ爆発問題) 。
また、 自然言語などを処理しようとすると、 今見えている物が何なのか、 今話している内容が何なのかと云った実世界についての大量の情報がなければならない。 所がコンピューターはそんなことについては、 3才児の知識も持っていない。 (常識推論問題)
こうして、 モラベックのパラドツクスと云われる諺が囁かれた。 「難しい問題は容易であるが、 容易な問題の方が難しい」 (高度な推論よりも、 1才児レベルの知覚と運動のスキルを与える方が難しい)
かくて、 楽天主義者たちの予想は裏切られた。 期待される程の成果が得られぬことに苛立って、 人工知能研究に投資する者がいなくなってしまった。

(3) 発展期 (1980〜1987)
エキスパートシステムが世界中の企業で採用されるようになる。
日本が第5世代コンピューター計画に多大の資金を提供し始めたのを機に、 各国で資金提供が復活した。
ニューラルネットワークが広く使われるようになり、 音声認識や文字認識に用いられるようになる。

(4) 第2冬の時代 (1987〜1993)
80年代から90年代初めけて、 AI研究は再び資金難に陥った。
エキスパートシステムは確かに有効だったが、 それはごく限られた状況でのみだった。

(5) そして現代 (1993〜)
人工知能は人間全体の知能を模倣しようと云うようなことではなく、 特定的個別的な機械やシステムの中の部品の一つとして、 様々な場面で、 裏方の一人として用いられるようになってくる。 例えば、 産業用ロボット、 医療診断、 銀行業務、 物流、 など、 大規模なシステムの中でその一部を担う代理人 (知的エージェント) として用いられるようになってくる。
そこには、 コンピューターの性能が驚異的に向上して、 組み合わせ爆発問題にも対処出来るようになったこともある。
そして、 それらの技術は、 わざわざ人工知能などとは呼ばなくなった。 技術一般の中に溶け入ったのである。
もはや、 HAL9000を作ろうなどと云う夢想をする人は殆どいなくなった。


このように見てくると、
2045年に、 人間の知能を越えた人工知能が出現して、 人類が技術的特異点 (シンギュラリティ) を迎えて、 現在とは異次元の世界に入るだろうと云う考えが、 全くの白昼夢に過ぎぬと感じられるであろう。
私は、 あえて云いたい。
(1) 人間の頭脳を甘く見過ぎてはいけませんよ。 宮尾登美子原作の映画 「鬼龍院花子の生涯」 の中の夏目雅子の名啖呵 「鬼政の娘じゃきい、 なめたらいかんぜよ」 。
(2) もし万の万一に、 HAL9000が出来たとしても、 どこかの国で アインシュタイン二世が生まれたと云うだけ のことで、 世の中は何も変わらない。



情報夜話内の関連事項】  リヤ王コンプレックス : (続) 2045年問題


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