戻る 広目天は情報の神 (情報収集)


広目天  仏教がインドで成立する以前に現地で行われていたバラモン教などの既成信仰の中の神々を、 仏教は巧みに取り入れて、仏教を護る護法神としている。 それらが、いわゆる天部である。 中でも四天王は須弥山 (しゅみせん) の中腹に住して、 頂上にある帝釈天 (たいしゃくてん) の喜見城を守る天部の四人の天王で、 東方を護るのが持国天、南方を護るのが増長天、西方は広目天、北方は多聞天 (毘沙門天) が護るとされている。 すなわち、四天王は仏国土の四方を守護する鎮護国家の武将たちである。 従って、寺院の須弥壇では、その四隅に四天王像が立てられる。  四天王はすべて甲冑で身を固め、岩の上に立つか、 もしくは邪鬼を踏んで立ち、それぞれに剣や鉾、槍、棒などの武器を持っている。 ところが、これらのうち、西方守護の広目天だけは違っている。 武器は持たず、右手に筆、左手に巻物 (巻子) を持つ。 有名な東大寺戒壇院の四天王像では、広目天は目を細め、厳しく眉根を寄せ、 遙かなる草原の彼方の遠方を窺うかのように凝視している。

 広目天は梵語では 「ビルバクシャ」。 直訳すると 「通常ならざる目を持つ者」 となるそうだが、その意味は千里の遠くをも見通す者と云うことだろう。

 それやこれやで、私は広目天を仏教における情報の神だと思うのである。 中国では孫子が、その兵法の書の中で 「敵を知らざれば百戦危うし」 と述べて、戦における情報の重要性を強調しているが、 情報の重要性は何も中国のみのことではない。 インドで生まれた仏教も、仏国土守護の四天王の中に広目天を配して、そのことを暗に示しているように思われる。

 「最も好きな仏像は?」 と訊ねた時、 ある女性がためらうこともなく 「東大寺戒壇院の広目天」 と答えたのを私は覚えている。 たしかに、あの広目天の顔容はすばらしい。 その像には人を引き付けて離さないものがある。 あの眼差しは人間の心の奥の闇を凝視するものかも知れない。

 会津八一の自註鹿鳴集の中の歌 「びるばくしや まゆねよせたる まなざしをまなこにみつつ あきの のをゆく」。


(2003年11月)


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(註)広目天の像に2種類があるようで、索や槍を持つものも時には見かける。
このページの写真は、保育社カラーブックス 「仏像」 入江泰吉・青山茂著 昭和41年初版 から引用致しました。