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 偉大なる神様は、 おおむね、 「使い番」 (神の使い) を従えている。
 「神の使い」 と云うのは、 その神様の郎党の者であって、 平素は、 その神の脇に侍っているが、 ひとたび命令を受けると、 現世の人々に、 その神の意向を伝える仲介者 (メッセンジャー) の働きをする。 (人間の側から神の意向を訊ねて、 その声を聞くは神職。 人間側の仲介者)
 戦国時代の大名たちは、 それぞれに使い番を持っていた。 武田信玄の十二人の使い番はムカデの旗指物を背負い、 徳川家康の使い番は 「伍」 の字の旗指物を差していた、 など。 彼らは主君の命令を、 前線に展開している諸將に馬を駆って伝達する。 だから、 神様たちもそれに習って、 吾が意を人に伝えるために、 使い番となる動物を持っていたと考えられたのである。
 有名なものでは、 大黒様のネズミ、 天神様のウシ、 お稲荷さんのキツネ、 春日さんのシカ、 日吉大社のサル、 弁才天のヘビ、 八幡様のハト、 熊野三山のカラス、 伊勢神宮のニワトリ、 などなど。

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(1) 大黒様・・・・・ネズミ  
(第1説) 大黒天は梵語ではマハーカラ (Mahakala) 「大いなる黒」 の意味。 「黒」 は陰陽五行では北方。 「北」 は十二支では 「子」 (ネ) であるので、 使い番がネズミとされた。 なお、 大黒様は縁日も甲子きのえねの日。
(第2説) 大黒天は日本に入ってきて、 「大国主命」 と習合した。 「大黒」 も 「大国」 も 「ダイコク」 と読むためである。 古事記の大国主命の段には、 大国主命がネズミたちによって命を救われる話が出てくる。 すなわち、 広野の中で野火に囲まれて焼け死にそうになった時、 ネズミが来て、 ネズミの洞穴を教えてくれたので、 その穴の中に隠れて、 火が燃え過ぎるのを待って助かったと云う。

(2) 天神様・・・・・ウシ 
(第1説) 天神様のご祭神の菅原道真の生まれた承和12年 (845) は乙丑きのとうしの年。 だから、 ウシが使い番になったと云う説。
(第2説) 道真が太宰府で死去する時の遺言 「我が遺骸は牛の赴く所にとどめよ」 に従って、 亡骸を牛車に乗せたところ、 道行く途中で牛が座り込んで動かなくなったので、 そこに寺を建てて、 埋葬した。 (北野天神縁起絵巻)
(第3説) 道真の神号は 「天満大自在天神」 (大自在天とはシバ神の仏教名)、 もしくは、 「日本大政威徳天」。 「威徳天」 とは 「大威徳明王」 であって水牛にまたがった牛神である。

(3) お稲荷さん・・・・・キツネ 
(第1説) 倉稲魂うかのみたまを祭神とする神道系の稲荷 (伏見稲荷系) が、 荼吉尼天だきにてんを祭神とする仏教系 (豊川稲荷系) の稲荷と習合する。 ダキニテンは野干 (ジャッカル) に乗った女性の姿であるが、 中国にも日本にもジャッカルが生息しないので、 これがキツネに代わった。
(第2説) 倉稲魂うかのみたまは穀物の精霊であり、 食物神の意味で、 御食神みけつかみとも云われた。 このミケツガミに 「三狐神」 の文字を当てたので、 キツネが稲荷神の使いになった。

(4) 春日さん・・・・・シカ 
(第1説) 春日神社は710年平城遷都の時に藤原不比等が春日の三笠山において、 藤原氏の氏神である建御雷之男たけみかづち神を祀ったのに始まる。 称徳天皇の768年、 不比等の孫の藤原永手が、 現在の地に社殿を建て、 茨城県の鹿島神宮より武甕槌たけみかづち命を、 千葉県の香取神宮より経津主ふつぬし命を、 大阪府の枚岡神社より天児あめのこ屋根やね命および、 その比売ひめ神の、 合わせて4柱の神をここに移した。 この時、 鹿島の神は白い鹿に乗ってここまで来た。 このためシカが春日神社の使い番になった。
(第2説) 鹿島のタケミカヅチ命と香取のフツヌシ命の所へ、 天照大神から使者が来て、 二人で出雲の国に赴いて、 大国主命に国譲りをさせよと命じてきた。 この時の使者が鹿の神霊である天迦久あめのかぐ神であった。 これに因んでシカが春日の使い番になった。

(5) 日吉山王・・・・・サル 
日吉神社=日枝神社=山王神社。 祭神は比叡山の地主神である 大山咋おおやまぐい神で、 別名は山王権現。
最澄が比叡山に延暦寺を開いた時に、 地主神を山王と称して祀ったのに始まる。
その使い番が猿。 何故に猿なのかはよく分からない。 山王と比叡山のイメージから猿が使い番になったと物の本には書いてあるが、 これでは何の説明にもなっていない。 さっぱり分からない。 山には熊もおり、 猪もおり鹿も棲んでいる。 何で猿なのか。 比叡山には猿が沢山棲んでいたのだろうか。

(6) 弁天さん・・・・・ヘビ 
ヒンドウ教の三大最高神の一人ブラフマー (梵天) が、 我が妻とすべき女性をサラスヴァティ河の水から作った。 それが弁才天、 弁天さんである。 従って弁才天は水の神である。
他方、 蛇は水陸両棲の爬虫類で、 水の中を泳ぐ。 好んで水中に棲む種類もある。 このため蛇が弁才天の使い番になったと云う。
しかし、 これには何の説得力もない。 水に棲むものと云うと、 先ず魚や亀。 何で蛇が?
しかし、 弁才天と蛇との結びつきは強固である。 弁才天の縁日が己巳つちのとみであるだけではない。 弁才天には宇賀弁才天と云われる変形があり、 これは、 とぐろを巻いた人頭蛇身の姿である。
とにかく、 蛇との結び付きの理由は、 どうもよく分からない

(7) 八幡様・・・・・ハト 
八幡様の神である応神天皇の神霊は、 宇佐の山頂の巨石から、 まず金色の鷹となつて出現し、 その後、 鍛冶の老翁に変身し、 次いで三歳の童子に変身し、 最後に金色の鳩に変わったと伝えられる。
また、 宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ分霊した時にも、 金色の鳩が現れたと伝えられ、 これらから、 鳩が八幡宮の使い番になったと云われるが、 何だか漠然としている

(8) 熊野三山・・・・カラス 
古事記や日本書紀によると、 神武天皇が熊野から山をわけて大和へ侵攻した時、 八咫やたがらすが道案内した。 それによって無事に紀伊の山中を突破して大和に入ることができた。 このために、 烏が熊野の神の使い番になったと云う。
熊野牛王の誓紙には、 沢山の烏が描かれている。
太陽の中に三本足の烏が棲んでいると云う伝説は世界に広く分布しており、 八咫烏は太陽の化身とも考えられている。 (太陽の烏と云うのは、 太陽の黒点である)
なお、 八咫烏は京都の下鴨神社の祭神で、 賀茂県主氏の祖神である 建角身たけつぬみ命であるとも云われている。

(9) 伊勢神宮・・・・ニワトリ 
天照大神を祀る伊勢神宮の使い番が鶏であるのは、 古事記の中の物語に基づいている。 すなわち、 天照大神が天の岩戸に隠れてしまった時、 何とかして、 大神に岩戸から出てもらいたいと、 諸々の神々が知恵を絞る。 そして、 まず常世の長鳴鳥ながなきどりを集めて岩戸の前で鳴かせて、 大神の出御を促す。 長鳴鳥とはニワトリのことである。
これによって、 ニワトリが伊勢神宮の使い番になったと云われる。
天照大神は日神である。 ニワトリは昇る朝日に向かって鳴いて朝を告げるから、 イメージも整っている。

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 これらを通じての感想 ・ ・ ・ ・ ・ ・ その動物が、 その神の使い番になった理由は、 いずれも曖昧模糊としている。 後で作られた理屈と思われるものも少なくない。 しかし、 そんなことは、 どうでもよいのだ。 要は、 神様ともなると、 それぞれに、 伝令役の小間使い=情報伝達手段を持っていたと云うことである。
 現代なら、 手元に携帯電話もあり、 メールを送ることが出来るパソコンもあるので、 そんな使い番の従者など不必要だけれど、 神様の時代には、 そんなものがなかったと云うこと。



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