わたしたちがいつもの生活や科学で使っている数の書き表わし方は、一般には "アラビア
数字" とよばれています。しかし、このよび方には少し問題があります。
ヨーロッパの人たちは、直接には、アラブ世界との接触によってこの
記数法を知ったので、"アラビア
数字" とよぶようになりました。でも、本来の生地に基づいてよぶのであれば、これはむしろ "インド
記数法" とよばれるべきです。
そもそも、アラビア語では数のことをヒンドサー(al-hindsya。インドからもたらされたもの)とよんでいるのです[
Nehru]。
古代のインドでは、当時のほかの地域と同じような、10や100を表す特別な数字を用いる記数法が使われていました。そうした古い記数法は、当時の文書に書かれて残っています。
662年に、ユーフラテス川の近くの僧院にいた僧侶のセボホトは、
ギリシャの記数法よりもインドのそれの方が優れていることを主張する文書を書いています。このことから、この時期までには、インドでは現代のものと同じような位取り記数法が使われるようになっていて、西アジアにも(少なくとも
記数法を含む)インドの数学が伝わっていたことが分かります。
公式には、アルマンスール(カリフ:753-774)の時代に、複数のインドの学者がバグダードを訪れて、数学を含む書物をもたらしています。それがさらにヨーロッパ世界に伝わったのは1000年代ごろだと考えられています[
本田]。
デーバナガリ文字は1000年ごろまで変化が続いていたので、今の
数字がインド
記数法が成立した時期のものと全く同じだったというわけではありませんが、かなり近い形をしていたはずだということは考えられます。
インドの数字は記数法とともにイスラム世界に伝えられ、さらにヨーロッパ世界に伝わりました。そして、それぞれの地域の言語に溶け込んで進化し、これらの地域で使われている今の数字ができました(▽図)。