[蒼街から]



けたたましく笑う電気釜




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計画というものは、思いがけない形で崩れていくものだ。一点の非のうちどころもないと思われた計画も、非のうちどころがない、という一点のために失敗に終わることがある。ぼくたちの映画計画は女優のものもらいというアクシデントでスタートした。

撮影予定の前日になって、ただ一人しかいない女優が電話をかけてきた。
「私ものもらいになっちゃったの。目が腫れあがってるの。」

でも、彼女のことばを文字通りに受け取るのは、まだこのような発言に対する理解としては希望的な方で、もっと絶望的で不健康な推測だってできるのだ。ぼくは希望的な理解の方を選んで電話を切った。

すぐに高岡から電話が入った。駅に着いたから出迎えに来てくれ、というものだった。ぼくが夏の間だけ借りているこのアパートの所在地を、高岡は知らなかった。

駅まで出迎えに出て、ぼくは女の子のことを高岡に話した。彼女はアパートを貸してくれた先輩のガールフレンドだった。長い髪をした、エキゾチックな雰囲気を漂わせた美人だった。美人だっただけに、出演が不可能になったのが残念だった。
「出られないものはしょうがない。とりあえずロケハンだけでもやっておこうか」
アパートに向かいながら高岡がぼくに言った。

線路ぞいの一本道を高岡の重い荷物を持って歩きながら、ぼくはほかに女の子の知り合いがいないのを悔んだ。東京で浪人していて、あまりカッコ良くない、となると女の子の知り合いなんてできるはずがない。ましてや、夜飲みに出ることもほとんどないぼくにしてみれば、それはなおさらのことだった。

唯一の例外は渋谷で声をかけてきた、統一原理の女の人だった。

彼女との会話は宗教の話から始まって、なぜかたわいもない食べ物のことになって、さらに分らないことに、代々木まで電車で行って、デートらしい感じになった。公園でペッティングを始めたが、彼女はオッパイはいじらせるのにキスはさせないのだった。まだぼくは、ホテルに行こうなんて気軽に言えなかったし、彼女も宗教上の理由でセックスはしない、と断った。だから、ぼくの頭の中では、統一原理は、オッパイを触られるのを喜ぶが、キスを嫌う、欲求不満女性集団というイメージがどうしてもぬぐえないまま現在に到っている。

高岡の荷物をアパートへ置いて、宮村さんから借りたカメラを1台持って、ぼくたちはロケハンに出かけた。中央線沿線のこの小さな町は、「次郎物語」の下村湖人の記念館があることで知られている。ちょっと歩けば、町並みがとぎれて畑や雑木林が残っている。

ぼくたちが最初に行ったのは階段だった。ぼくと高岡がこの夏、撮ろうとしていた「距離」という映画は九つの断片で構成されていた。その第1の断片は階段をモチーフとするもので、最も重要なシーンだった。

第1の断片は、ある1枚の写真からインスピレーションを受けていた。井上靖の「西域物語」の中の「サマルカンドの興廃」という章に、ウルグ・ベク天文台跡の写真が載っていた。この写真は大分儀の跡だというのだが、ぼくには階段としか見えなかった。それにしても、ふしぎな写真で、その階段は上へ上っているのか、地へ下りていくのか、ちっとも判別がつかないのだった。
その階段は、子どもの頃から繰り返し見る、ぼくの夢の中の階段に似ていた。ぼくが階段を掃除していると、人が上って行っては階段の向こうへ消えてしまうのだった。その階段では、上ることは、同時に下りることでもあって、地の底へ消えていく人たちもいた。この夢は、病気で高熱を出している時には必ず見るふしぎな夢だった。

もちろん、たった九つの断片からなる映画のさらに一部にすぎない短い断片でこれほどの内容を表現できるはずはなかった。ぼくたちが欲しかったのは、時間にとって一瞬は永遠でもあり得るというイメージだった。最初の断片をぼくはごく簡潔な映像として構成するつもりだった。
ところが、この町は平地にできた町なので、階段がまるでないのだった。ぼくがようやく見つけておいた階段は、高架道路から下の住宅へ下りるための小さな階段だった。
「イメージがだいぶ違うね」
ぼくがやっと捜し出しておいた階段を見て、高岡はぽつりともらした。
「ここらへんは、神社も低いところにあるんだ」
ぼくは必要もないのに言い訳をした。

とにかくカメラテストをしてみることにした。時間が悪くて、ちょっと逆光になるので、缶ジュースを飲みながら光待ちをした。その間に、高岡から高校時代の友人の尾形の話を聞いた。

尾形は大学で演劇部と映画部とに入ったということだった。尾形は2年生の時、ぼくと同じクラスで陸上部だった。中距離ランナーだったが、長距離は極端に弱くて、運動をほとんどしたことのないぼくよりも遅かった。尾形は、ぼくらの高校時代の芝居を何本か手伝ってくれたことがあった。ある時は役者をやり、ある時は演出を担当した。大学へ入って心理学をやるんだ、と言っていた彼にとって、芝居は心理学の一ケーススタディなのだった。登場人物の心理分析をしていくのがとてもうまかった。

高岡は秋に尾形がやる芝居の美術を引き受けた、と言った。宮沢賢治の童話に題材を得た、ファンタジックな芝居になるだろう。
「だから」
と高岡は続けた。「距離」を編集しているヒマもとれないし、出演してくれるはずだった女の子も来られないようだから、残念だけど、やっぱり、この映画は没にしよう。

僕も賛成だった。なぜかこの映画には、不運がつきまとっていた。シナリオらしいシナリオもない。ぼくたちの夢の映画なのかもしれなかった。実際、ぼくたちは高校時代に撮影を始めていたにもかかわらず、受験のために制作を中断していたのだった。それでも、第3の断片はすでに撮影が完了していた。それは手なし犬の話だった。

没にすることを決定してしまっても、時間になると、高岡はカメラリハーサルを始めた。ぼくは、たまたま階段の下の家のへいに立てかけてあったホーキを持って、階段の掃除を始めた。通行人がふしぎそうな顔をしてぼくの脇を通り過ぎた。

アパートへ戻ってからも、ぼくたちの気分は重かった。「距離」はことしも撮ることができなかった。多分、来年も。

ぼくは高岡のために何日かぶりで飯を炊くことにして、その準備を始めた。
「テニスコートは、ことしからスチールとリバーサルで撮りだめしてるから、あとは合成をどうするかだけなんだけどね」
ぼくが米をといでいると、高岡が荷物をほどきながら語りかけた。
7番目の断片?」
「ああ、そうだよ。半年間かけて撮っているんだ」
7番目の断片は無人のテニスコートの幻想の予定だった。高校時代に意見が分れて一番問題になったのが、この断片の撮影方法についてだった。スチール写真を使ってゆっくりと背景を変化させた方がいい、というぼくの考えに対して、高岡は逆に背景をスライドにして、いかにも切り換えています、という感じにした方がいいというのだ。高岡は、この何十秒かのシーンのために、今でも毎週同じテニスコートの同じ場所で、2種類のフィルムで写真を撮り続けてくれていたのだった。

それから冬まで高岡はテニスコートを撮り続けた。しかし、結局このシーンは完全に失敗だということが分った。ボールを合成してみると、テニスコートの大きさに対してボールは小さ過ぎて、目にインパクトを与えないのだ。

ぼくは、クリームコーンの缶詰を開けて、ベーコンとコンソメと牛乳で高岡の好きなスープを作った。それからツナ缶を開けた。電気釜はコトコトと音をたて始めた。
「小林さあ、あしたは朝早く、5番目の断片撮っちまおうか」
と高岡がカメラのメンテナンスをしながら言った。
「線路沿いの、栗の木のある直線道路。あそこでいいんじゃないかな。朝5時ぐらいなら、人通りも少ないだろうし。」

高岡は早朝撮影が好きだ。正直言って、ぼくは朝が弱い。それでも、結局つき合されることになるのだろう。そう言えば、8番目の断片も、早朝撮影だった。

この断片の撮影は終わっていた。朝の6時に、ぼくは警察署の壁にもたれかかってコーラを飲み、空き缶を警察署に投げつけた。

行為そのものよりも、朝起きるのがつらかった。朝4時に起きて、30分歩いて警察署にたどりついた。撮影できる明るさになるのを待って、すぐ撮影を始めた。警察署の壁にコーラの空き缶を3回投げたあとで、ぼくは貧血を起こした。

ぼくの後ろで高岡がカメラを回していた。
「10番目の断片を思いついたよ」
そう言って、高岡は蒸気を吹きあげている電気釜にレンズを向けた。
「けたたましく笑う電気釜って言うんだ」

イメージはどうするのさ、ぼくが聞くと、フィルムに固定されるのは、この電気釜だけさ。内実を支えるドラマは、小林がそのあとで考えればいいのさ、と高岡が答えた。

ぼくはタマネギを切っていて、目が痛かった。涙が出てとまらなかった。
「そんなに感動的な話になりそうか」
と高岡が聞いた。
「ああ」
とぼくは自分の涙に誓って、嘘をついた。
「すごく感動的なドラマになりそうだ」
10番目の断片を支えるドラマを考えるのには、結局10年かかった。電気釜がアレルギーで笑いの発作が起きるのだ、という単純なアイデアがなかなか思い浮かばなかったのだ。

ツナ缶をあけたのと、オニオンスライス、ベーコンとクリームコーンのスープだけの簡単な食事だった。10番目の断片について高岡が希望を述べたことで、高岡が「距離」という映画そのものを断念していないことがわかって、ぼくはうれしかった。

翌朝の第5の断片の撮影は予想通りつらいものだった。まだ薄暗いうちから、ローアングルで固定したカメラに向かって、黒い布で目隠しをしたぼくは、線路沿いの道路を、何度も全力疾走させられた。

そしてその頃、アパートでは第10番目のエピソードになるはずの電気釜が、カタカタとけたたましく笑いながら、ぼくらのために炊飯にいそしんでいた。






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98-12-28