[蒼街から]



[蒼街から]




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徹夜で喋った。タバコの吸い過ぎで歯の裏側がねとついていた。へやを出て、共同の流し場の曇りガラスを開けると、夜明け前の青い街が僕の目の前に広がっている。僕は電気ポットに水を入れ、それから歯を磨いた。

東京はいつでも僕には青い街だった。東京を想う時、徹夜明けの目の鈍い痛みと、タバコのやにの匂いと、夜明け前のあの街の青さだけを考えてしまう。

街の西側はまだ静まりかえっていて暗い。東の空だけが薄明るくなっている。その徹夜明けの感覚だけが、鮮明な印象として残っている。

ポットの湯が沸くと、僕はコーヒー豆を挽いて、クリアブラウンの香り高いコーヒーを煎れた。

「これうまいな」コーヒー嫌いだった高岡が呟いた。高校時代に初めて知り合った頃、高岡はコーヒーを飲まなかった。無理に喫茶店へ誘ってコーヒーを飲むことを教え込んだのは僕だった。

コーヒーを飲み終えると、僕たちは下宿のすぐそばの公園へ散歩に出た。

公園の西には大きな病院があった。立原道造が死んだという病院の、言わば付録みたいなこの公園には、そのまま病院に通じる道があった。木立ちに挟まれたその小道には、幽霊のようにひょろっと立って白い花を咲かせているあじさいが生えていたり、薬瓶や白い包帯が落ちていたりした。影絵の話の世界から、現実へ立ち戻りきれない僕たちにとって、その風景は妙な存在感があり、僕たちはとまどっていた。

小道を抜けると廃屋になった病舎が二つ並んで朽ちかけていた。中へ入ると遠い昔のクロロホルムの匂いがするからふしぎだ。
「ここで映画を撮りたいな」
高岡がまた影絵の話を始めた。

「木々の間からこぼれ落ちる光線の中に少女を置くんだ」
久しぶりに筑波から出てきた高岡は、指でフレームを作って風景を切り取りながら言った。
「ここはほんとうにしっとりした空間だからね。俺はほんとうはこういう空間に身を置いて暮らしたいんだ」

何をやるにも場がない。基礎がない。でも、あそこから自分を追い出してしまうこともできない。
毎日毎日、教育研修センターの食堂で酔っ払いの高校の先生を相手にして働いて、金を貯めてフィルムを買いに街まで出てきて、さて映画を撮ろうとすると、もう高校の時のように撮りたいものがないことに気づく。撮りたい人間がいない。撮りたい風景がない。あそこは街じゃないから。
俺は街を撮りたいんだと思う。この廃屋だって、街の中にあるからすばらしいんであって、もし筑波の村に廃屋があっても、なんの魅力も感じないと思うんだ。

廃屋を出ても高岡の話は続いていた。

黎明の中でストロボをたくだろ。その中に人影が映ることが大切なんだよ。入れ物ばかり大きくて、与えられた時間と空間の中だけで生きていたら...
小林、お前には分らない。カメラの前にひとりの少女を置くことのできない苦しさなんて。

高岡にとって、開学したばかりの未完成で管理体制のモデルケースみたいになっている筑波大学は、まるでなじめないものだったに違いない。

僕と高岡が知り合ったのは、高校の2年の時だった。僕は自分で初めて書いた芝居を上演するために、背景画を美術部に頼みに行った。美術部にいた高岡が、それを簡単に引き受けてくれた。それが始まりで、高岡は何本かの芝居の美術を手掛けてくれた。

高岡は美術部でアニメーションを作っていた。1年がかりで作っていた高岡のアニメーションは、高校の文化祭で上映されて高い評価を得た。高校には映画部もあったのだが、高岡は彼らとは全くつきあいがなかった。二人で映画を撮ろうと企画したのは、高校生活ももうすぐ終ろうとしていた頃だった。高校生活の記念を映画という形のある物で残しておこうと言い出したのは、どちらだっただろう。

「距離」という題のその映画は、結局完成しなかった。僕が書いたシナリオはイメージを設定するだけのものだったので撮影できない所だらけだった。高岡はすぐアニメーションをインサートしたりトリック撮影をしたがったりした。そして大学受験を控えていた僕たちには時間がなさすぎた。

僕は受けた大学全部に落ちて、高岡はたった一つ受験した筑波大学に合格した。そして、僕は東京で予備校生活を始め、高岡は筑波に行った。

高岡は手紙が好きで、おびただしい量の手紙を僕に送ってきた。僕が返事を書き終らないうちに、もう次の手紙が届いていることもしょっちゅうだった。

高岡の手紙は回を追うごとにぐちをこぼすことが多くなっていった。映画研究会に入ったのに話が合わないので飛び出した。自治会がないので学校とはいつも個人で立ち向かわなくてはならない。本屋がない。映画館がない。食堂がない。アルバイトがない。先輩がいない。つまりは学校と寮との間を一日中うろうろしているしかない。

高岡は、毎月のように何か用事を作っては東京へ出てきた。古本屋漁りをすることもあったが、たいていは意味もなく人ごみの中をただ歩いてそれだけで満足したりして、日曜日の夜にはまた筑波へ帰って行った。

高岡は木立の間をゆっくりと歩きながら風景を切り取り続けていた。こうして高岡が東京に来ているのは、高校時代に中断していた「距離」という映画を夏休みを利用してもう一度やってみないかという高岡の手紙に、一度会って相談しようと僕が返事を書いたからだった。

ここでは映画は撮れない。ドラマを考えることができないし、触発されるできごともない。人間もいない。小林はそんなことはないと言う。だけどね、俺にとっての風景は、ここにはないんだよ。ゴキブリを踏むべき駅すらない。人間らしい顔をした人間がいない。オカマもいないしレズもいない。いや、それは俺が知らないだけかも知れないけどね。
小林、俺はここで何を撮ればいいんだ。お地蔵さんと田んぼでも撮ればいいのか。
「距離」をもう一度、撮ってみないか。

どこでも同じだ。それぞれの場所に人間がいるし、ドラマもあるんだ。風景もあるんだ。駅の待合室で踏み潰されて内臓を暴け出したゴキブリにだって一つのドラマを感じることはあるんだ。



徹夜して話した内容は、ほとんど今度の映画とは関係がなかった。知識欲の塊りの高岡は、大学に入ってから猛然と外国語の勉強を始めていると言った。フランス語とドイツ語とロシア語と韓国語と中国語のそれぞれにおける相違点や共通点、そしてそれらによって制約される思考パターンをわかりやすく僕に説明してくれた。また、数学の関数によって植物の成長モデルが表現できることを話した。高岡の話は、新しい知識の世界をパノラマのように展開して止まらなかった。僕は浪人生で、大学受験に必要な高校の科目はともかく勉強は好きではなかった。僕は東京で見た映画の話をした。高岡は驚くほど映画を見ていないので、まるで話が噛み合わなかった。それはたとえば芝居の話についても同様だった。感性について説明しても現物を越えることは困難だ。こんな僕たちの会話は、他人が見たらきっとDNAの二重螺旋を想わせただろう。たった何か月かの生活の違いが、僕たちの共通項を全く失わせていた。

そこで僕たちは、散歩から戻ると一眠りして、近所の飯屋で食事をしてから中野に出かけた。

中野にはチャップリンの短編をいつも上映している喫茶店があった。店に入って席に座った。高岡はしきりに親指を噛んで、落ち着かなくあたりを見回していた。ロック喫茶でもあるこの店には、長髪の男女が集まって、ロックに聞き入っていた。

誰もリクエストしなかったらしく、映画はかかっていなかった。僕はオーダーを取りに来た女の人にビールを注文し、映画を見たいんだと頼んだ。高岡はコーヒーを頼んだ。

18歳の僕から見れば、彼女はやはり女の人なのだった。

しばらくして「チャップリンの酔っ払い」が始まった。僕はこれを見るのは3回目だった。高岡は親指をしゃぶりながらスクリーンを見ていた。

スクリーンの中のチャップリンが酔っ払って車から降りてくる。家の中に入ると、左右に階段があって、巨大な振子時計の振子が不気味に揺れている。チャップリンがふらふらと階段を上っていくと、振子にはねられて転げ落ちる。それが何度も繰り返されるだけの映画だ。

まるで舞台を見ているような、単純きわまりない構図の中で、この映画を撮った当時には存在しなかったロックに合ったり合わなかったりしながら、チャップリンが酔っ払っている。真剣に、コミカルに酔っ払って見せていた。

一つの季節が終ろうとしていた。4人組だったビートルズを知っている僕たち。安田講堂が機動隊に囲まれているのを、そして連合赤軍が山荘で銃撃戦をやっているのテレビで見ていた僕たち。だけど、僕が東京に出て来た時、もう新宿西口広場の歌声は聞こえなかった。革命の夢を語っていた人たちは、街の影に姿を隠してしまっていた。しかし、日常生活のちょっとしたつき合いの中で、彼らは平凡な人たちの顔から突然姿を変えて現れてみせては、何も知らない僕たちの経験のなさをおびやかし、なじるのだった。彼らは共通の一つの時代を生きてきたのだろう。けれども、僕たちは何も知らなかった。知ろうとしなかったのではない。テレビのスクリーンの向こうから石は飛んで来なかった。彼らの見せびらかす体験は、僕らの持ち得ない一つの時代、一つの季節だった。僕らは困ったことに、この季節に乗り遅れてしまった。でも、僕らは白けきってはいない。僕らは楽天的なのだ。

また季節がめぐって来るだろう。確実に僕らのあとに。それは世界を動かしている経済とか気候とか技術の発達とかそういう気圧に左右されながら地球上を吹き抜けている風だ。

僕らは酔っ払っているかもしれない。現実の苦しさや差別は、知らない所で酒に侵されていく肝臓のようにどんどん悪化しているのかもしれない。けれど僕らは酔っている。いつか醒めきった人種が僕たちのあとに現れて、君たちはただ酔って、消費して時代や季節を変えようとしなかったと非難するだろう。だが、今、僕たちは酔っている。映画に酔っている。音楽に酔っている。何もしないことに酔っている。いつかまた、時代を吹き抜ける大きな嵐が来るだろう。その時にはコートの衿を立てよう。家の中へなど逃げ込まず、風の中に立って、そうすればもしかして酔いが醒めるんじゃないかなんて考えながら立ちすくんでみよう。なあ、高岡。

たったビール1本でいい気持ちになって眠ってしまっていた。ロックはあまり好きじゃないのに、ビートに身をまかせているのが苦痛でなくなっている、そう感じているうちに、いつの間にか夢の中で高岡を相手に喋っていた。

「この曲、何て題?」
現実の高岡が聞いた。気がつくと映画は終っていて、店内にはロックだけが鳴り響いていた。

「この曲名知ってる?」
高岡がまた訊いた。

曲?曲名なんて知らねえよ。ロックはロックさ。こんなレコード聞いたって俺たちの中で何が爆発するんだ。季節は終っちまったんだ。俺立ちは酔っ払っていればいいのさ。なんて言い切れるのは心の中だけで。

「さあ、音楽なんてあまり聞かないからな」
本当にロックなんて聞いたことはほとんどなかった。自分がリズム音痴なのは自他ともに認めるところだ。

「さっきの曲、俺の映画に使えないかと思ってさ」映画を語るにはぴったり過ぎる「ブロードウェイ」と名のついた商店街を歩きながら、高岡が言った。僕はまだ半分眠っているみたいだった。自分が二人いて、現実の自分は曖昧に高岡に返事をしているだけだったけれど、もうひとりの自分は熱っぽく高岡に語りかけていた。

高岡、優等生になるのはやめようぜ。あれもこれも映画のため、映画一筋一本どっこ、そんな態度とっていると、きっと言われるぞ、体験者たちに。
「映画は変革のための手段でなければならない。映画のために音楽があるなんてナンセンスだ。映画と対立し、止揚するものとして音楽があるんだ。映像というメディアを浮き立たせるためにあるんじゃない。映画に触発され、映像さえも壊しかねない真実として音楽があるんだ。映像は嘘の世界だ。テレビの報道を見たって分る。一面からしか映像はとらえられない。映像は風景を切り取る。しかし、音楽は全てだ」
なんてね。ああ、だけど高岡、小学校の6年生の時にいとこの女の子に振られて以来女の子を口説くことのできない女性恐怖症の高岡。自然を破壊して人工的な都市を作り上げていく過程を目撃している高岡。生活とか社会とか、街のざわめきとかとまるで縁のない生活をしている高岡。だから映画を撮るんだろ。映画によって自分の体験できないものを創りあげたいんだよね、高岡。

「シナリオはどうする?」
「きれいな意外性のある画面を撮りたいな。バスの中の晩餐会とか」
「ドラマが根底にない以外性なんて着想だけだぜ。着想ってのは案外もう誰かがやっちまってることが多いし、ともかくドラマを構築しなくちゃしょうがないんじゃないか?」
「ドラマなんてのは一つの画面があればそこから作られるのさ」
「そんなのは流行語に過ぎないよ」

どうも通りを歩きながら高岡と僕は喋っているらしいのだが、どっちが自分なのか分らない。もうひとりの僕は高岡に向かって、別のことばを吐き続けているからだ。

マリファナ吸ったってちっともいい気持ちじゃないさ。好奇心が満たされるだけでさ。僕は酒をうまいと思うけど、それは僕の味覚に合うだけで、高岡はちっともうまくないって言うだろ?女の子と遊ぶのはおもしろいけど、高岡は口説かないだろ。でも、そんないろんなことがぐちゃぐちゃ重なって、体験になって僕を支えている。今ここにいる高岡は、高校の教室で、僕の芝居の練習を見て笑い転げながら背景を描いていた時の高岡よりも、二周りも三周りも小さくなって、自分の映画と呼んでいるものにしがみつきながら、どんどん自分を崩れさせている。

高岡、ドラマは体験から作られるのではなくて、君自信の空想力からだって作れるじゃないか。もっとも、空想力を支えるのも体験だし、どんなに小さな体験だってドラマなしには成立しない。でも、自分の小さな体験だけを大切にしていたら、消極的なドラマができるだけだ。だったらまず、大きな体験をすることが必要なんじゃないだろうか。体験を生み続けるのも一つの勇気であり、想像力なのだから。ああ、高岡、俺はますます酔っ払って女々しくなって、しまいには郵便局の配達人を待ち伏せて、結婚式の招待状やラブレターや、ともかくダイレクトメールを除いた手紙という手紙を奪い取って片っ端から破り捨ててやるんだ。

「そんなんじゃないさ」
と高岡が言った。僕は、たったビール1本で酔っ払って、ほんとうに高岡を相手に喋っていたらしい。
「俺はあせらないよ。あせって自分を無理に変えようとは思わない。きっと少しずつ変っていくんだ」「もうどのぐらい歩いた?」
と僕が聞くと
「住所表示を信用すれば、もうすぐ下宿だろうな」と高岡が答えた。

そして、下宿へ戻った僕たちはまた夜が明けるまで喋り続けるのだった。そんなおしゃべりから何が生まれるのかは分らなかったけれど、ともかく口だけは休ませずに、自分たちは創造的な作業をしているのだという特権的な優越感と、安保や三里塚に対する体験のないことによる劣等感とを持て余しながら、タバコで歯の裏側がねとつくまで。

夜明け前に、コーヒーを沸かすために、流し場へ立つ。青い街は、何か起こるかもしれないという期待感と、何も起こりはしないという絶望感とを秘めて僕の目の前に広がっている。アップライトピアノの中から飛び立った蝶が廃屋へ向って飛んで行く。

もうすぐ夜明けだ。また東の空の端が明るくなり、街の西側の暗さが気にかかるだろう。あしたは季節を変える風が西から吹いてくるかも知れない。









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