いくつかのものが互いに結び合い、それぞれの力だけでなく、それらが結び合ったことによって生まれた新しい力が発揮できるようにしたものを
ネットワーク(<network、網)という。たとえば、何台かのコンピュータを電線や
電波でつなぎ合わせれば、それぞれのコンピュータを互いの仕事の手伝いのために貸し借りすることができるようになる。このような
ネットワークは、特に、情報の記録や通信で大きな力を発揮する。
ネットワークのもとになっている一つ一つのもの、たとえばコンピュータを
ノード(<node、節=せつ)という。
同じ一つの会社や学校の中のコンピュータをつなぎ合わせて作った
ネットワークを
LAN(ラン<local-area network、小域網)という。70年代に入る直前から、多くの大学や研究所でLANが張られるようになってきた。そして、これらのLANをつなぎ合って、よそからよそへの情報を受け渡してやる代わりに、情報の受け送りを手伝ってもらうという組合が世界の各地で作られるようになった。このような、
ネットワークがノードになっている
ネットワークを、(本来の意味での)
インタネット(internetwork。▽図)という。
69年から運用が始まった
ARPANET(<ARPANET)は、現在のインタネットの源流になった最も古いインタネットの一つだ。
合衆国DARPA(Defence Advanced Research Projects Agency=国防総省高等研究計画局)は、多くの大学や研究所(ここに、戦争に役立ちそうな研究をしてくれる、という条件がつくんだけど)に対して経済的な支援を行なっていた。当時は、コンピュータが大学での研究でも使われる(+使える)ようになってきていたので、コンピュータを導入するための資金を出してほしいという要求が多かった。そのうちに、それがあんまりにもたび重なるようになってきたので、DARPAとしては、同じようなコンピュータをあちこちで買うのはもうよしてほしいと考えるようになった(まさにこれがDARPAの一番の仕事なんだけど)。これを解決するためには、ほかの大学が導入しているコンピュータを、通信によって遠くから使ってもらえるようになればいい。こうして、ARPANETが開発されることになった。
ARPANETは、もともとDARPAの支援を受けて開発が始まった。そのため、インタネットは戦争のために開発された技術だと思っている人が多い。しかし、事実は全く違う(それどころかこんなほほな事情)。
ARPANETにしても、最初は軍のネットワークは参加していなかった。そのうえ、83年01月には
ミルネット(MILNET)という別のインタネット(小文字のね)が立ち上がり、国防に関する機能はARPANETから切り離された。したがって、少なくとも83年からあとについては、ARPANETは戦争とは関係ない
ネットワークになっていると言っていい。
インタネットが戦争のために開発された技術だという考え方を広めるのに特に影響があったのは[TIME]に載った記事だった。ARPANETを開発したRobertsは、記事の内容は間違っていると伝えたが、[TIME]は正しいとして記事を訂正しなかった。
戦争などの原因で一部の通信が途切れても、そこを避けて通信できることがARPANETの(+インタネットの)特徴の一つとして紹介されている。でも、それはあとから強調されるようになったことでしかない。そもそも、最初のARPANETは三つの大学と研究所を3角形につないだだけで、通信を迂回させる機能を研究するような状態にはなっていなかった。
ARPANETが登場する以前にも、複数のルート(路)のうちから使えるルートを選んで通信する技術は完成していた。たとえば、電話でもこの機能はかなり早い時期から取り入れられている。
ただし、電話とARPANET(したがってインタネットでも)とでは、ルートの選択について一つだけ大きい違いがある。それは、電話(初期の。今は違う)では、一つの通信(=通話が始まってから終わるまで)が続いている間は、ルートは固定されてしまっているが、ARPANETでは、通信の途中でどんどんルートが変化していくことだ。
電話のように一つの通信ごとにルートを決定しまって途中では変更しない方式を回線交換方式という。それに対して、ARPANETのように通信の途中でルートを変更していく方式をパケット交換方式という。ルートの変更は、通信しなければならない情報がある決まった量だけ溜まるたびに行なわれる。したがって、その分の情報の塊りについてはさすがに一つだけの固定されたルートを通って通信されることになる。この塊りをパケットという。つまり、パケット交換方式では、パケットごとにルートが決定される
パケットのアイデアは60年代には登場していた。
Landという、軍から委託を受けて新しい技術を開発している企業がある。冷戦の時代だったので、合衆国空軍は戦時にも安定して使える通信システムを提案するようランドに依頼した(1,2)。
ランドのPaul Baranは、パケット(に当たるもの)と分散自律制御を考え出し、62〜64年に発表した。しかし、空軍はBaranの提案を採用しなかった(2)。
全く同じ時期に、Donald D. Davis(イギリス国立物理学研究所)は、回線の効率を向上したいと考えていて、TSSをヒントにしてパケットを思いついた(1)。Davisはこのアイデアを65年に発表した。"パケット"という術語はDavisが初めて使った(1,2)。
Davisの専門はコンピュータ科学ではなく、物理学だった(1)。そう言えば、ウェブを発明したBerners-Leeも専門は物理学だ。
ARPANETはRoberts(Lawrence G.)が設計した。Robertsは、BaranのではなくDavisの方のアイデアを参考にした(2)。
パケットによる通信が可能であることは、理論的にならKleinrock(Leonard。当時UCLA)がすでに明らかにしていた。しかし、一般の通信では回線交換方式をわざわざ切り替えることは難しかったし、ARPANETの開発でもAT&Tはパケット交換方式に反対していた。
したがって、パケット交換方式の通信については、たしかにARPANETで初めて実現した。
KleinrockとRobertsはルーレットの音から出目のくせを発見するギャンブルシステムを開発しようとしたが、カジノに警戒されたためにそれを中止したということがあった(3)。もしこちらの研究が成功していたら、ARPANETはほかの人がほかの作り方で実現していたかもしれない。
一方、NSF(全米科学財団)の支援のもとに、
NSFネット(NSFNET)という
ネットワークが構築されていた。NSFネットは合衆国にあるいくつものスーパコンピュータをたがいに結び合わせるために作られていた。86年に、ARPANETはついにNSFネットと合体した。このことが引き金になって、それから90年代前半にかけて、インタネットは急速に拡大した。
インタネットは、初めは地域や目的の違いに応じて個別に組み立てられていたが、統合が進み、現在では地球全体で一つにまとまっている。これを(大文字の)
インタネット(Internet)という。
A
ウェブ(<web=くもの巣、織り物)は、
インタネット(<Internet<inter+network=
ネットワーク間
ネットワーク)のいろいろな活用のしかたのうちの一つです。この二つはしっかりと区別してください。
インタネットには、ウェブのほかにも電子メールやファイル転送などのいろんな使い方があります。これはちょうど、同じ道路でも、バスや宅配便や散歩などいろんな使い道があるのと似ています。
ウェブはインタネットを通じて、一人一人が世界の人たちに向けていろんな情報を発信するという使い方です。インタネットの外の世界で言えば、放送や出版に当たります。
インタネットの接続は、電線や電波でなければいけないわけではない。実は、伝書鳩を使ってもいいことになっていて、そのためのプロトコルもちゃんと決められている(笑)。実際に使っているのは見たことがないけど。