学習書●[情報処理]

演習
のりと
出雲国造神賀詞
報告

今西彩乃
(02年度履修生)
02-10

http://www.infonet.co.apt/March/syllabus/Literacies/network/gallery/Imanisi.html




  [出雲国造神賀詞](口語) をとりあげ、そこに折り込まれているプロトコルについて検討する。
 以後、"<>"の中は自分の考え、"⇒"は [訓注祝詞] からの引用である。

第一段・・・この神賀詞の本原を述べたもの

日は八十と多くありますれども今日のめでたいよい日に、出雲の国造何某が恐れつつしみ、恐れ謹んで申しあげますことは

<送り主の氏名を明らかにする>

言葉にかけて申すも恐れ多い、現つ御神として大八嶋の国を知るしめたまふ天皇陛下の大御世をば長久の大御世と神に祗りつつ御祝ひ申し上げようとして、

⇒天皇の御世の安泰を祝するため

<送る目的を明らかにする。メールでいえば主題>

出雲国の茂っている山が青い垣のごとく四方をめぐらして居る所の内に大地の底の地盤の大盤の上に宮の柱を太く著しく確かに立て、空に棟の千木を高く著しくあげて

⇒<柱>は<宮柱>と関わり、聖域の標示である。

イザナギの貴い愛子であらせられ、神祖であらせらるる熊野に坐す大神櫛御食野の命および国土を経営あそばされた大穴持命の二柱の神を始めとして186の神社に鎮り坐す皇神たちを/何某がか弱い方にふとい袂をとりかけて、清く神聖な幣の緒を結んで神聖なみかげとして、かうぶりて、忌み清めた神聖な屋に穢れのない自然のままの清い草をば忌み清めた席として刈り敷いて、忌み清めたイツヘ即ち神聖なヘ黒くなるまで火をたいて神餅を調え、神聖な神瓶をば輪のごとくに多く並べて、そこに斎みこもりて、その伊豆の眞屋をば静かな宮として上述の神たちを忌み清め鎮め仕へ奉りて御祭を奉仕して朝日の見事に勢い盛んに登る時に斎い祭りを仕え奉った

⇒一年間神々を奉った(同時に国造は、この文により独自の祭祀伝承を語る)

<神と対話するために行わねばならない、規則が書かれている→インタネットに参加するための規定に対応>

 このあとにも、プロトコルの内容を説明するかのような表現が何度か現れます。
 たぶん、プロトコルの内容を改めて送信することによって、実際に行なっているコミュニケーションの手順が規定のプロトコルと一致していることを向こうに了解させようとしているのでしょう。
 コンピュータのような自動的なシステムのコミュニケーションではあまり意味がありませんが、人と神とのコミュニケーションでは、これは正しいプロトコルに則っているはずです、というたがいの確認が大切なのかもしれません。

返り事の神聖な御祷の祝い詞を申し上げ奉るのでありますと奏上いたします。

⇒ことを祝い詞をもって、天皇に報告する。

第二段・・・賀詞そのもの

高天原の神祖、高御魂の尊に、天下即ち大八嶋国をば政治事をば避けて御寄託になった時に、出雲臣等の遠い先祖である天の穂比命をば国の形勢の視察に遣わし給うた時に、幾重も重ねた天のくもを押し分けて天を翔り廻り、広く天下を視察して御返事を申し上げらるるには、豊葦原の瑞穂国は書は荒ぶる神が夏の蝿のように一斉に沸くがごとくに騒ぎまわり、夜はまた飛び散る火の粉のごとくに光り輝いく神があり、岩根や立木や、青沼の水の泡まで物を言って荒び騒がしい国であります。 しかしながら、それらを鎮め敬服させて安らかな国として平穏に治めあそばさるるようにして差し上げますようと申して、御自身の 天の夷鳥の命にフツスシの命を副へて天降らせて遣わして、暴威を振るう神こもを撥い敬服させ、国作りあそばされた大神をもことば和やかになだめ鎮めて大八嶋の国の現世の政事をば避けさせ奉りました。

その時、大穴持命の申し給うことは大倭国は皇后御孫命の鎮り坐すべき国であると申して、ご自身の和魂をヤタノ鏡に取り託けてその和魂をば倭の大物主櫛甕玉の命と御名を申し上げて大御和の神奈備に鎮まらせ給い、ご自身の御子阿遅須伎皇孫根ノ命の御魂をば葛城の鴨の神奈備に鎮まらせ、同じく事代主命の御魂をウナデに鎮まらせ同じく賀夜奈流命の御魂を飛鳥の神奈備に静まらせられて、八百丹杵築ノ宮に鎮まりていられました。

⇒この日本国の安定に関しての出雲国造の始祖天穂日命の功績(神話、神を直接に称える。神名をいえば神得が発動し、期待した結果がもたらされると信じた)

<神得を得るには、神名を述べる規定>

この時に、皇祖の男神女神の神勅として仰せららるるには、汝天の穂比ノ命は天皇陛下の長久の大御世を堅き磐石の如く、常しなへに変わらぬ磐石の如くに、千代に8千世に御祝い申し上げ栄えゆく御世として永く幸あるようにし奉れと御命令遊ばしました。

⇒出雲大社の大神の神慮の委細・・・天皇の御世の安泰を永遠に祈り奉れ

<これは本文>

その仰せの次第に随いまして斎事を奉仕致しまして、(今日)朝日の見事に勢い盛んに登るときに神の奉らるる礼物、臣たる某の奉る礼物として御代を祝し奉る神聖な御祷の神賓を献じ奉りますことを奏上いたします。

⇒この賀詞をかくの如くにして奏上するのは、古来行われ来た古儀<=プロトコル>によるものである

第三段・・・賀詞の本髄

白玉の如く大御白髪(が生えるまで御健やかに)おわしまし、赤玉の如く(御顔色はいつも若若と)赤らびて(健康)にましまし、木の若枝の如く水水した色の青玉が、相並びあって調っているがごとき様に、悠理井然として、現つ御神として大八嶋ノ国を治め給う天皇陛下の長久の大御世をば/御太刀廣らかに鍛冶が打ち鍛え堅めたるように白い御馬が前足の蹄、後ろ足の蹄を踏みたて歩くことは皇居の大宮の内外の御門の柱をば地上に近い所は磐石の如くに踏み固め、地下の深いところは磐石と一つに凝り固まるように踏み凝らして少しも揺るがぬ根にしっかりと立て、(叉馬が物を聞くときに耳を)ふりたつるが其れはその耳の如く、高きが上に益々高く天下を治め給うようにというその表の でありまするし、叉白鵠の生きた御調物は御心を慰め奉る為の御玩物として戯れるのでありまするし、シズオリの縞目の鮮やかなように天皇の大御心も乱るることなく正しく確かに御世をしろしめし、古川岸の彼方此方に生じてありまする若い水沼の如くにいよいよ益々若やぎに御若やぎあそばされそのぎ振るヲドの美しい水の上に溯るように見ゆるごとく益々若返りに御若返りあそばされ、眞澄の大きなる御鏡の面を押し拭い掃い清めて明かに照らして御覧あそばさるる事のように現つ神(としてまします天皇)が大八嶋ノ国を天地日月と共に安らかに、平らかに治めたまうであろうという事の表の為として御代を祝し奉る御祷りの神賓を捧げ物ちて、神の奉らるる礼物、臣たる者の奉る礼物として、恐れつつしみ恐れ慎んで高天原の神代から伝って来た次第によりまして吉例の神聖な御祷りの祝い詞を申し上げ奉るのでありますと奏上いたします。

⇒その献る神宝を一々に唱え挙げ、それによそえて、天皇の万寿を祝し奉る(献供)
これは臣たる国造だけの奉る神宝ではなく、同時に出雲の神々の捧げらるる神宝であり、それは昨今生じた事ではなく、神代以来の礼儀として行われてきた通りに行い奉るのである・・・第一段、第二段すべてに亙っての総括としての詞を述べておわる

<神代以来の礼儀=プロトコル>

賀詞(ヨゴト)

天皇に奏上する<言寿き>の言葉

出雲国造は寿詞を奏するにあたり<斎戒>を行う。古代人の信仰心意によれば、<祝詞>などの神聖な言葉を発するには、厳重な<斎戒>を必要とした。

参考文献
山田孝雄、出雲国造神賀詞義解、出雲大社教教務本廟、1960
金子善光、訓注祝詞、高科書店、1998

<感想>

・祝詞の大部分は修辞語で占められており、本題はほんの少しであると思った。

 "修辞語"?そんなことを言ったりしたら、せっかくの学習が台なしです。
 修辞語って言ったら、おたがいに迷惑なただの飾りみたいに聞こえるでしょう?そうじゃなくて、それらは全部、人と神という、全く立場も能力も違うものどうしが正しくコミュニケーションをするために必要なものなんです。
 コミュニケーションの両端にいる人にとっては、本文のほかはいらないもの、とつい思えてしまうのはしかたないかもしれません。でも、コミュニケーションの途中で働く人たち(神官や郵便局の人たち)にとっては、プロトコルは飾り=修辞語ではなくて、欠かせないものなんです。これがないと、向こうまで届かないのです。

・祝詞は祭祀方法や、神話の内容を詳しく述べており、古代を調べる時の参考文献としても役に立つと思った。



このページの記事は、科目[情報処理]を履修した学生が課題の学習の一環として作成した著作物(一部加筆)です

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