学習書●[情報処理]

演習
著作権
イギリスにおける変容
報告

丸山圭
(00年度履修生)

http://www.infonet.co.apt/March/syllabus
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 ヨーロッパ全体に関しても、ドイツのヨハン-グーテンベルクによって1600年代に活版印刷術が発明され、各国に普及するようになるまで、著作権の概念は希薄であった。なぜなら、それまでは一度に同一の書物が大量に出回るということは、技術上困難で、経済として成立し得なかったからである。それゆえ、著作物について財産的な権利を認めようという思考には至らなかった。ただし、フランスなどでは芸術作品において著作者の権利(ここでは、作品の無断の改変と贋作に対抗する作品の純粋性の維持に関して)を認めようとする動きがはやくからあったらしい。
 しかしながら、大量複製技術である活版印刷術の登場によって、著作権をめぐる問題が徐々に発生することになる。イギリスの場合については、当初、著作権は著作者ではなく出版者を保護する権利であった。
 このことに関してわれわれは違和感を覚えるが、それは現在のわれわれが"copyright"を著作権と訳しているからである。著作権は元来、copyのright、すなわち出版の権利だったのである。
 活版印刷によって、その初期に普及した書物は、聖書や古典であったので、その著者たちは、当然のことながらもはや亡くなっていたし、それどころか場合によっては誰が著者なのかさえ不明であった。それゆえ、保護の対象になるのは、第一に出版者であった。では、出版者を保護するというのはどういうことなのだろうか。
 著作物を出版するには、それなりにコストがかかる。印刷機、活字、鉛版を揃えなければならないのである。つまり、それまで(手写しの時代)に比べてはるかに大きい初期投資が必要になるわけである。出版を業として成立させるためには、充分な収益がなければならなくなった。それゆえに海賊版(=無断複製)の出現は、出版業の存立に関わる問題なのである。しかしながら、海賊版の取り締まりは、一個人でできるものではない。こうして出版者は、国王や行政機関にその保護を請願したのである。イギリスでは、1662年に印刷法が制定されている。
 その次の段階として、著作者の権利が認められるようになったのは、1600年代も終わりに近づいてからのことである。すなわち、出版者は、著作者が作品に対して保有している権利を買い取って、出版している、という意識が生まれてきたのである。こうして徐々にではあるが、著作者の保護を求める声が上がり出したのである。
 また、海賊版の取り締まりは、同時に、国による出版物の検閲を助長することにもなっていた。したがって、著作者の保護を求める声とは、作品の純粋性を求めるものであると同時に、言論の自由を求める声でもあったのである。つまり、政治的圧力を排除し、自由に"この私"を表現できる場の要求である。
 もちろん、はじめはこのような声は無視されるわけだが、とりあえずイギリスでは1709年に世界最初の著作権法であるアン法が制定され、それがしだいに拡大して現在に至るのである。
 現代の日本では、国によって言論の自由が保証されていると言うが、どこまで保証されているかは疑わしいものである。



このページの記事は、科目[情報処理]を履修した学生が課題の学習の一環として作成した著作物(加筆)です

情報処理[制度+作法+倫理][著作権の意味]

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