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演習
著作権の意味の変化
フランスにおける変容
報告

川井夕織
02-11
(02年度履修生)

http://www.infonet.co.apt/March/syllabus
/Literacies/ethics/gallery/Kawai.html




 著作権とは、著作者が自分の著作物を守るためのものである。しかし、著作物について財産的な権利を認める思想が生まれた当初と現在とでは、その意味に違いがみられる。その意味の変化について、フランスの場合を例にとって述べよう。

 1445年にグーテンベルクがヨーロッパで初めての活版印刷に成功し、それは少し遅れてフランスにも導入された。当時の印刷業は、印刷のための機械や活字を揃えるために、多額の資金を必要としたが、印刷した書物を完売して投資した資金が回収できるまでには長い年月が必要であった。しかも、売れ行きのいい本はすぐに海賊版が印刷され、安い値段で市場に出回ったため、印刷業者と書籍商は苦しめられていた。そこで、彼らは海賊版に対抗し自分たちの利益を守るために、独占的な営業権を国王に保証してもらおうとした。これは、特権認可状(Privilege)として実現した。
 したがって、特権認可状は、著作物や著作者ではなくて、出版者である印刷業者と書籍商を保護するものであり、そこで言う著作権とは、著作物をコピーさせない権利であった。

 その後、特権認可状のほとんどは、パリの書籍商によって独占されていたが、それに反発する各地の書籍商との間で紛争が引き起っていた。この頃まで、著作者は、書籍商と契約して原稿を引き渡してしまうと、そのあとは何らかの権利が主張できるとは考えていなかった。しかし、こうした情勢に刺激されて、著作者も書籍商に抵抗するようになった。
 1700年代になると、特権認可状は著作者に対しても交付されるようになった。そして、著作者とその相続人はその権利を永久に保有することが認められるようになった。
 これは一見すると現在の著作権に似ているようであるが、著作者とともに印刷業者と書籍商も特権認可状を交付されていたのである。

 著作者に保護の対象として焦点が合せられるようになったのは、フランス革命の時期である。1789年にフランス革命が勃発すると、それまでのすべての特権認可状は廃止された。そして、1791年に、著作者に上演権を認める法律が制定された。この法律の第3条には、生存する著作者の著作物は、著作者の正式かつ文書による同意がなければフランス全土のいかなる公開の劇場においても上演することができないことが記されている。続いて、1793年にはさらに文書を出版する権利が著作者の側の権利として認められる法律が制定された。
 以上の二つの法律は、著作者の権利を保証することを目的としている。これらによって、著作者は、自分の著作物に対して上演権と出版権とを持ち、他人はそれを勝手に上演したり出版したりできないことになった。

 1791/1793年の法律によって上演権と出版権が保護される期間は、それぞれ、著作者が死んでから5年および10年後までに限定されていた。このため、その後のフランスにおける著作権の拡大を求める運動の関心は、期間の延長に集中した。現在でも有名な文豪のバルザックやユゴーは政治にも関心が深く、著作を行ないながら、議員として著作者の権利を拡大するために積極的に活動した。彼らの働きは、著作権法の改正や国際条約であるベルヌ条約の締結を促進した。
 1866年に、作家で政治家のサルバンディやビルマンたちの活躍によって、著作権の保護される期間が著作者の死後50年に延長された。また、フランス政府の働きかけで各国の代表が集まり、1886年には著作権に関する国際条約のベルヌ条約が締結された。

 現在のフランスの著作権制度は1957年に制定された法律に基づいている。これは著作権に関する初めての総合法であり、1791/1793年の法律はここにようやく役割りを終えた。
 このように、フランスの著作権は、初めは出版者が出版によって得る利益を保護するものであったが、フランス革命を転機として、著作者の著作物を許可のない印刷や上演から守るものへと意味が変化したのである。

参考文献

宮沢溥明、著作権の誕生 フランス著作権史、(日本ユニ著作権センター) 1998

下中直也(編)、著作権世界大百科事典第18巻、(平凡社) 1988



このページの記事は 表記の学生が学習の一環として作成した報告(一部加筆)です

情報処理制度+作法+倫理著作権の意味の変化


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02-11-24