戻る 2000年問題の思い出   (情報今昔物語)


 かつて、 コンピューターの世界で2000年問題と云うのが大問題になったことがあった。 これは、 日付の年月日の 「年」 を西暦の下2桁だけの数字で記していたため、(例えば1956年は単に56年と記した) 西暦2000年を越えるとトラブルが起きると予想されたものである。 (例えば、 1998年から2008年まで10年間の保険契約期間が、 08−98でマイナス90年になる) 当時は、 コンピューターの記憶装置が高価だったので、 出来る限り記憶させるものを少なくしなければならず、 下2桁と云う形で表していたのである。
 当時、 コンピューターは既に社会に深く浸透していたため、 あらゆる場所でコンピューターミスが起こって、 社会機能が麻痺するものと予測された。 コンピューターで制御されている交通機関は、 電車も航空機も止まってしまうのではないか。 銀行は営業不能になり、 電気も水道も供給できなくなる。 病院も治療が出来なくなる。 果ては、 核ミサイルが誤発射されると云う流言まで流れて大騒ぎになった。 これが2000年問題である。
 そのため、 コンピューターシステムを提供している会社は云うに及ばず、 コンピューターを用いているすべての会社や機関は、 社内外にいるコンピューター技術者を掻き集め総動員して彼らにプログラムの点検を行わせた。 点検はすべて手作業とならざるをえず、 膨大な時間と人力が投入された。 必死で時間と戦いながら休みなしで。 更に、 実地で確認するためのアルバイトも動員された。 交通機関は午前0時の前にすべて運行を停止した。 それでもなお、 万一に備えて、 多くの会社、 機関、 役所、 警察などでは、 大晦日から寝袋を持ち込んで、 徹夜で万一の事態に備えた。 そのためか、 どこでも、 さほどの問題は発生することなく、 新年を迎えることが出来た。
 後年、 当時を経験していない若い新入り技術者が、 何かの時ふと 「2000問題なんて大騒ぎしましたけど、 大したことではなかったのですね」 と口走ったとき、 先輩たちの冷たい目が一斉にその子の方を向いた、 と云う話もある。
そう、 結果的に大事は起こらずに終わった。 しかし、 その裏で、 その陰で、 大変な努力が必死で払われたのである。


2000年1月1日午前0時、 停車している地下鉄
 以前に、 NHKが 「プロジェクトX」 とか云う題名で、 今は見上げる人もなく見守る人もなくなった技術に、 いかに多くの人たちの汗と涙が注がれたかを描いていたことがあった。 中島みゆきによるテーマ曲 「地上の星」 は 「風のなかの昴、 砂の中の銀河、 みんなどこへ行った、 見送られることもなく・・・ 草原のペカサス、 街角のヴィーナス、 ・・・」 と歌う。
 そう、 よろず、 何事もなく平和で平穏で平凡であると云うことが、 いかに多くの人たちの力によって支えられたものなのかを思わざるを得ない。 「何事もないこと」 は 「大したことではない」 に非ず。 見えない所で血の汗が流されている。 ・・・





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