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イソップ童話:狼少年 (情報伝達) |
最近の若い人は 「狼少年」 と聞くと、大野寛夫原作の東映動画アニメ 「狼少年ケン」 を思い出すだろう。
しかし、ここに書くのは、イソップ童話の中の 「狼少年」 である。
正しくは 「羊飼いと狼」 と云う題で、イソップ童話の中でも代表的なものの一つである。
村はずれの牧場で羊の世話をしている羊飼いの少年が、いつも一人ぼっちで淋しいし退屈なので、
いたずらして大人たちを脅かしてやろうと考え、狼が来てもいないのに、「狼が来たぞ〜」 と叫ぶ。
その声に驚いて、大勢の村人たちが手に手に棒を持って駆けつけてきたが、どこにも狼は居ないので、やがて帰ってゆく。
面白がった少年は、来る日も来る日も嘘をついて 「狼が来たぞ〜」 と叫ぶ。
初めのうちはその度ごとに村人たちが駆けつけて来たが、そのうちに、村人は少年を信用しなくなり、
「狼が来た」 と叫んでも、どうせまた嘘だろうと思って、誰も駆けつけて来なくなってしまう。
ところが、ある日、本当に狼がやって来た。
少年は 「狼が来た」 と必死で叫ぶが、村人は誰も来てくれず、少年は狼に襲われて喰われてしまった。
と云うお話である。
このお話は 「嘘をついてはいけません」 と云う教訓として、子供たちに話し聞かされる。
しかし、見方を変えて情報の点から考えると、
このお話は、村人の側において起こった 「習慣化による受信濾過」 の問題である。
人間は、耳に入ってくる音声のすべてを大脳に送っているのではない。
入ってくる情報のうち不必要なものを無意識のうちに、海馬と云う脳の中の器官で排除して、
必要なものだけを大脳に送っている。
これが受信濾過である。
そのことを端的に示す例が講演会でとったテープである。
会場では講師の話がはっきりと聞こえたのに、それをテープにとって、家に帰ってもう一度聞いてみると、
テープから流れる声には、聴衆の咳払いする音、椅子をずらす音、ひそひそ話の私語、
果ては窓の外の自動車の騒音までが入っていて、講師の話はそれらの中に埋没してしまって、はっきりとは聞き取れない。
会場で聞いている時は、それらを無意識にフィルターしていたのである。
これが受信濾過である。
こうした受信濾過は習慣化によっても起こる。
幹線道路に近い家に移り住んで、初めの頃は、昼も夜も絶え間なしの自動車の騒音に悩まされたが、
そのうちに習慣化して、さほどには感じなくなる。
これが習慣化による受信濾過である。
常勝チームが勝っても話題にはならないが、百戦百敗のチームがたまに勝つとニュースになる。
犬が人を噛んでも新聞には載らないが、人が犬を噛むと新聞種になると云う笑話と同類である。
あるいはまた、壁紙の色と文字の色との関係であって、
赤系統の壁紙の画面に赤色で文字を書いても読めないのと同類である。
村人にとって、「狼が来たぞ〜」 と云う少年の声は習慣化してしまっているので、フィルターされて気にも止めてもらえない。
少年がもし 「象が来たぞ〜」 と云ったら、村人も飛び出して来てくれただろうに。
(2003年11月)