戻る アフリカ戦線の弾道表 (コンピューターの誕生)


 第一次大戦は化学者の戦いであったが、第二次大戦は数学者の戦いであったと云われる。 第一次大戦では高性能火薬・毒ガスなどが作られ、これが戦争の行方を大きく左右した。 これに対して、第二次大戦では、暗号解読・弾道表・OR (作戦研究) など 数学者が挙げた成果が戦いの帰趨を決定した。 そして、数学者たちは、その演算を高速で行うために、コンピューターを作り上げた。 コンピューターは第二次大戦が作らせたものである。

 世界最初のコンピューターの一つであるコロッサス (Colossus) は、 トイツの暗号エニグマ (Enigma) を解読するために英国のブレッチェリーパークで チューリングたちが作ったものであった。 他方、米国では、コンピューターの前駆的製品であるリレー式計算機をスタイビッツやエイケンが作り、 更に、最初のコンピューターの一つ 「ENIAC」 をエッカートとモークリーが作ったのはすべて、 弾道表を計算するためであった。

 弾道表とは弾丸を発射する時、目標物に命中させるためには、 どの方向にどの角度で発射すればよいかを表の形で示したものである。 目標物までの距離のみならず、風向・風速・気温など多くの要因が関係してくる。 長距離になると「コリオリの力」というものまで関係してくると云う。 コリオリの力とは、地球の自転のために、北半球で発射した砲弾は右にずれてゆき、 南半球で発射した砲弾は左に曲がる。 (このために、黒潮は時計回りに曲がり、高気圧から吹き出す風も時計回りである)  このような計算を前線で兵士が行うことは出来ないので、予め弾道表という表を作っておき、 兵士はその表によって照準を決めるのである。

アフリカ戦線  この弾道表を急遽作り直さねばならなくなったのは、アフリカ戦線において弾丸の命中率が著しく低下し、 従来から用いている表は正確でないことが判明したためである。 1942年、独伊軍と英米軍は、身を隠す所の全くない砂漠の中、エルアラメインで激突した。 独伊軍を率いるのは、「砂漠の狐」 の異名をとるドイツの猛将ロンメルである。 両軍は死力を尽くして激しい戦車戦を繰り広げた。戦闘は二次にわたって展開された。 七月に行われた第一次戦闘はオーキンレック将軍指揮下の英国第八軍がロンメルの進撃をくい止め、 更に十月末から十一月にかけて行われた第二次戦闘において、 英国のモンゴメリー将軍率いる連合軍は遂にロンメル軍団を撃破する。 この戦いが第二次大戦の戦局を逆転する重要な転機となった。

 この戦いで、なぜ砲弾の命中率が低下したのかの原因はすぐに明らかになった。 それは、砂漠であるため、発射による反動を受け止める地盤が軟弱であり、 この要因が従来からの弾道表には入っていなかったためであった。 このため、弾道表の作り直しが急務となった。しかし、それは膨大な計算を繰り返し行わねばならぬ仕事である。 そして、この事がコンピューターというものを誕生させたのであった。



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