戻る タイタニック号の沈没(情報処理)

 イギリスの客船タイタニック号 (Titanic)(総トン数 46,358トン)は、 1911年、当時世界最大の豪華客船として建造され、翌1912年4月10日、イギリスのサザンプトンを出港し、 アメリカのニューヨークに向けて処女航海に出る。 その途中、14日の真夜中、北大西洋のニューファウンドランド沖で氷山に衝突し、2時間40分で沈没した。 乗船者2208名の中、1517人が死者となり、世界最大の海難事故となった。 乗客には、貴族、富豪、名士の絢爛たる顔ぶれが数多く見られ、それらの人たちも、船と共に海に沈んでいった。

 事故の原因は次のように伝えられている。

Titanic  その4月14日、タイタニック号は、朝から、付近を通る他の船から何度も 「氷山多し」、 あるいは 「氷原あり」 との無線連絡を受け取っている。その回数は、判明したものだけでも7回に及んだと云う。 しかし、それらの情報は全く無視された。 その多くはブリッジにも届けられず、届けられた電文も無造作にポケットにねじ込まれるだけであった。 それは、船長以下の航海士たちに、小さな氷山の一つや二つあろうとも、 この巨大な最新型の客船にとって何程のこともないと云う思いと、 自分たちの航海技術についての過大な思い上がりによるものと云われている。

 しかも、無線室は、7本目の警告となった、近くにいたカリフォルニアン号からの無電に対しては、 「うるさい、こちらは忙しいんだ」 と怒鳴りながら、受信の途中で無線機の電源を切ってしまう。 船が、ニューファウンドランド島南東のレース岬の無線基地との交信有効範囲に入り、 乗客の私的な電報が洪水のように押し寄せ、 山積みになったメッセージの処理に追いまくられるようになったためである。

 船は速度を落とすこともなく、そのまま全速力で走り続ける。 監視台の見張り員が氷山を見た時、それはすぐ目の前にあった。

 情報は、いくら多く発信されても、受信されなければ、あるいは処理されなければ、ないのと同じである。 あるいは、情報を受信する者は自己の主観によって情報をフィルターするのが常である。 そのことを示す典型的な例である。


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(参考文献) ロバート・D・バラード (中野恵津子訳) 「タイタニック号発見」 文芸春秋、1988年、