戻る てえほがたり (大砲語り)  (誇大表現)


人は 情報を誇大に発信する性向を持つ。 他人から注目されたいと云う自我の心理的現象であろう。 この種の自己愛性パーソナリティ障害は、 殆どの人が持っている。
 「大風呂敷 今日は大海呑み干した」
 「狼が来た来た 天が落ちてくる」
大風呂敷。 大口をたたく。 大袈裟。 大言壮語。張ったりをかます。 放言癖。 自己顕示欲。 虚勢を張る。 大ボラ吹き。 鬼面人を驚かす。
 誇大表現にまつわる言葉は数多い。 まだまだあるだろう。 仙台弁に 「てえほがたり」(大砲語り) と云う言葉があると聞く。 大きなことを云う意味である。

ハイ ネの原作にワグナーが作曲した 「さまよえるオランダ人」(Flying Dutchmann) と云うオペラがある。 その素材になったのは、 欧州の船乗りたちの間で伝えられた伝説である。
 当時はスエズ運河がまだなかったので、 オランダのアムステルダムと、 植民地インドネシアのジャワ島のバタヴィア (現在のジャカルタ) の間は、 アフリカ南端の喜望峰を回らねばならず、 通常は3ヶ月は充分にかかった。 しかし、 そのオランダ船の船長は、 俺ならば1ヶ月もかからないと豪語する。 それでは賭けをしようと云うことになり、 船長はオランダに向けてバタヴィアから出航する。 強い東風に恵まれて印度洋を僅か5日で走破し、 喜望峰に差し掛かる。 これならば1ヶ月と云わず半月で行けると船長が云った時、 風は急に強い西風に変わり、 船は全く進まなくなった。 船長は西風を呪い、 神に悪態をついて、 悪魔よ力を貸せと叫ぶ。 すると忽ち神の怒りを受けて、 彼は世界の海を永遠に彷徨わねばならなくなったと云う物語である。 そして、 今でも喜望峰の辺りで、 ボロボロになつて幽霊船になったその船を見掛けることがあると云う。

誇大 表現には、 お決まりの手法がある。 比較対象に小さい物を選ぶことである。 後楽園球場の10倍の広さと云うと、 「広いなぁ」 と思ってくれる。 しかし、 東京都文京区の面積の百分の一などと云うと、 「何だぁ」 と思うだけの事。 分母が小さくなれば、 幾らでも誇大に表現できる。
 低開発国の経済成長は、 以前の経済規模が小さいから誇大に聞こえる。 我が国の 1950〜1960 年代の高度成長と云うのも、 その前の敗戦によって、 比較する分母が小さくなっていたからに過ぎなかったとも云える。

世に は珍説・奇説と云うものがある。 ノストラダムスの大予言はさておいても、 日本の歴史の中においても、 天武天皇渡来人説、 聖徳太子非実在説、 ジンギスカン源義経説、 本能寺の変秀吉黒幕説、 豊臣秀頼琉球亡命説等々、 延々として続いている。 証明することが難しい歴史の分野だけではない。 厳密な科学や医学の分野でも・・。 例のSTAP細胞さえも・・その疑いが持たれている。
 とかく学者は奇説を述べたがるもののようである。 これも誇大表現に流れる人間の性向がもたらすものに違いない。 しかし、 かつては天動説が通説で、 地動説は奇説であった。 だから、 あながち奇説をもって、 人を惑わすものと非難すべきではないかも知れない。

己れ の保身のための誇大予報と云うものがある。 大地震が来ると誇大に予報しておけば、 来なければ、 いずれ来ると云えばよい。 地震は来ないと予報していて、 地震が来た時は袋叩きになる。 確率は低くても、 何でもかんでも大袈裟に来ると云っておけばそれでよい。 免罪符である。 最近では空振りも許されるらしいから。 狼少年も責められないらしいから。

誇大 表現は遂にヤラセに至る。 ありそうもない事を、 あるが如く誇大に表現しようとしたならば、 偽物を作るにしくはない。 こうなると詐欺であり犯罪である。 それをしも、 表現の自由と称するかも知れないけれど・・。 ダイバーたちのモラルの低下を云うために、 自分で珊瑚礁に落書きしたカメラマンの例もある。 しかし、 演出とヤラセの境界線は微妙である。

勝海 舟は 「自ら、 俺は大ボラ吹きだ」 と称したことで知られている。 そんなことを云うこと自体、 彼が、 ちゃきちゃき生粋の江戸っ子で、 いなせで、 伊達男を張り、 歯切れ良くて喧嘩早い江戸っ子気質であったことによるものとも云われている。

結論 、 人は情報を誇大に表現したがる傾向がある。 しかし、 良いことは余りなさそうだ。



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