戻る 褒似の烽火(情報伝達)

 紀元前 771年、西周の最後の王幽王は驪山(キザン)において犬戎(ケンジュウ)に殺され、ここに西周は終わる。 亡国の裏には常に絶世の美女があり、これを傾国の美女と云うが、 西周の滅亡にも褒似(ホウジ)(ジは正しくは女偏に以)と云う美女がいた。

 彼女は、もともとは氏素性も知れぬ捨子であったと云う。 褒の国の貧しい行商人の夫婦に拾われ育てられ、やがて、絶世の美しさに育っていった。 たまたま、褒の国が周の王室から責めを受けることがあり、褒は罰を免れるために、彼女を周の幽王に献上する。 幽王はその美しさに魅せられて彼女を溺愛し、正妻の申后を廃して彼女を后とする。 更に、申后の生んだ子が太子となっていたのを廃して、彼女の生んだ子を太子に立てるまでに至る。

褒似の烽火  この褒似は、どんなことがあっても笑うことのない女であった。 幽王は彼女の笑顔を見たくて、いろいろと試みるが、決して笑顔を見せなかった。 ところが、ある日、何かの手違いで烽火が上げられてしまった。 烽火は緊急の警報であり、それが上がると、諸候は何をおいても直ちに王宮に集まることになっていた。 ところが、駆けつけてみると、それが間違いだと分かり、諸候は呆然とする。 その驚きの様子がおかしくて、褒似が思わず笑ってしまう。 幽王は喜んで、それから後、彼女の笑顔が見たくて、何事もないのに烽火を上げさせる。 それが度重なり、諸候は馬鹿々々しくなって、烽火が上がっても、もう王宮に集まらなくなってしまった。

 そうこうしているうちに、怨みを抱いている申候は、同志を語らい、 蛮族の犬戎 (後の匈奴と云われる) を引き入れて、周王室に反旗を翻し、幽王は殺害される。 これが、史上最初に現れる烽火の話である。

 古代においては、情報を伝達するためには、原則として、人間が足を運ぶ以外に手段はなかった。 すなわち、通信=交通であった。 しかし、人はこの等式を何とかして破ろうと色々に知恵をしぼった。人間が移動することなく情報を伝える方法を模索した。 この結果、最初に登場したのがこの狼火であった。 更に、手旗、太鼓、半鐘、伝書鳩などが考えられる。 しかし、これらは必ずしも一般的ではなかった。 敵襲などを知らせる緊急時だけのものであった。 しかも、それらが伝える情報の量は極めて少なかった。特に狼火や半鐘などは僅かに1ビットである。 緊急事態が発生したか否かの、「イエス」か「ノー」かだけである。 もし情報量がもっと多ければ、この話のようにはならなかっただろう。

 烽火は、狼火とも書き狼煙とも書く。狼の糞を乾かして燃やしたからである。 狼などの動物の糞は硝酸塩を含むため、風が吹いても真直に立ち登るので、これが燃料にされたと云う。

 なお、褒似については、奇怪な誕生譚が「東周列国志」の冒頭に記されている。 竜の口から出た泡が化してトカゲとなり、そのトカゲを見た童女が夫なきに妊って生んだ子であったと云うものである。 もとより、それは信ずるに足らぬ。

 陳舜臣は、彼女の悲しみに満ちた生い立ち、更には、生木を裂くように引き裂かれた恋人への思いが、 彼女を笑わぬ女にしたのであろうと述べている。


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(参考文献) 陳舜臣「中国の歴史」第2巻、平凡社、1981
挿絵は東洋文庫の 「列女伝3」(平凡社、 2001年) より引用しました。