戻る 噂:流言蜚語  (情報の伝播)


 噂とは、 世間の中で、 人の口から口へと、 口移し的に密かに伝えられる情報である。
川上善郎は、 著書 「噂が走るー情報伝播の社会心理」 の中で、 噂を3つに分類している。
@ 流言 (社会情報として伝わるもの)
A ゴシップ (gossip) (周囲の人についての風評、 取りざた)
B 都市伝説 (物語として楽しむもの)

噂はしばしば、 人を傷つけ、 人を追い詰め、 あるいは人を不安に陥れる。
特にその特性が強いのが、 @の流言である。 次いでAのゴシップである。

・ 最も有名な例は、 大正12年の関東大震災の時、 「朝鮮人が暴動を起こした」 「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」 と云う噂が広まり、 多数の罪なき朝鮮人が虐殺されたと云う史実。
・ 昭和48年のトイレットペーパー騒動。 トイレットペーパーと原油とは、 直接的な関係が何もないにもかかわらず、 原油の輸入が困難になった時、 トイレットペーバーがなくなると云う噂によって、 全国的にパニック的な買い占め騒ぎが起きた。
・ 同じ昭和48年の豊川信用金庫事件。 女子高生のたわいない会話がきっかけで、 豊川信金に対する取り付け騒ぎが起こり 豊川信金は一時営業不能に陥った。

「火のない所に煙は立たぬ」 と云われているので、 本当らしからぬ噂にも、 少しは真実が含まれているのだろうと、 我々は考えるけれど、 それは正しくない。 「火のない所でも煙は立つ」 。 噂は創作されるものである。
「一犬影に吠ゆれば万犬声に吠ゆ」 (一匹の犬が影におびえて吠えると、 他の犬がその声を聞いて吠える) (あるいは、 「一犬虚に吠ゆれば万犬実に吠ゆ」 とも)  こうして、 真偽を定めず拡散してゆき、 成長してゆく。 「悪事千里を走る」
・そうなると、 「人の口に戸は立てられぬ」 もはや処置無し。 名誉毀損として訴えても、 それで人の口をふさぐことは出来ない。 裏からすごんでみせても、 やましいことがあるからだと思われるだけのこと。
「人の噂も七十五日」 と云うけれど、 必ずしも75日では消滅しない。 社会が変化して、 そのことが、 もはや何の力も効果もなくなった時に初めてフェードアウトするのである。 (それでも、 時々人に思い出させながら)

 特に流言は、 デマ (デマゴギー:demagogy:扇動) として意図的に流されることがある。 権力者、 為政者に対して攻撃のために中傷・誹謗を浴びせる。 相手陣営の分裂を画策して敵将の裏切りを敵陣内で囁く。 古来、 何人の名将・忠臣が、 このような反間の謀略によって、 自らの主君の手で殺されたことか。 歴史書の中には、 その実例を見出すに枚挙のいとまはない。
 その一つ、 戦国時代、 中国の毛利元就は、 もともとは東の尼子氏、 西の大内氏に挟まれた小国に過ぎなかった。 彼は東の尼子氏に謀略を仕掛ける。 尼子氏の中核的精鋭戦力であった新宮党を陥れるために、 新宮党を率いる尼子国久、 誠久親子が毛利氏に通じて、 謀反を起こそうとしているとの噂を広める。 これを信じた尼子晴久は、 城下北麓の新宮谷に住む新宮党を急襲して、 その一族を誅殺してしまう。 これによって、 尼子の戦力は急速に低下してしまう。
 それに続く厳島合戦の前にも、 西の大内氏の重臣江良房栄に裏切りの心ありとの噂を撒き散らし、 陶晴賢に江良房栄を誅伐させる。
 この種の話は限りもない。 誠に噂は恐ろしい。 流言は恐ろしい。

 だから古来、 独裁者・専制者は自らの保身のためにも、 強権をもって流言を取り締まろうとする。 「人の口に戸を立てよう」 とするものである。 我が国においても、 かつて、 治安維持法の名の下に、 特高警察によって血眼で取り締まろうとした。 情報はすべて大本営発表として一元化され、 それ以外の情報を口にする者を容赦なく拘留した。 情報統制は専制政治の道具である。 小林多喜二もこうして殺された。
 いま中国の共産党独裁専制体制は、 必死で言論統制を敷いている。 香港のジャーナリスト達は未だ行方不明である。
 だから、 かつてゴルバチョフは 「グラスノチ」 (情報公開:glasnost) を掲げて専制的独裁的なスターリン政治を突き崩した。 それ以来、 「情報公開」 は魔法の剣、 呪文の言葉となった。

 しかし、 情報公開=情報の自由化・・・→流言 には 「二面性」 がある。
 片や、 人を傷つけ殺すもの。 片や、 独裁政治を打ち破るもの。 表と裏の顔を持つ 「両面スクナ」 であることを思わなければならない。


(写真はWebより)



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