戻る 超常的情報伝達 (情報伝達)


●<夢枕>
 私事になるけれど、 私の妻の次兄は、 昭和20年6月14日、 フィリピンはルソン島のカガヤン州リサールで、 頭部に受けた砲弾の破片創によって戦死した。 その朝、 未明、 内地にいた長兄の夢に次兄は立った。 見れば、 軍帽はなく頭部から血が流れたまま、 軍刀を杖に、 じっとこちらを見つめていたが、 やがて、 そのまま消えてしまった。 長兄は、 その時、 はっきりと弟の戦死を確信し、 誰にも云わず、 布団をかぶって一人泣いていた。 と云う。
 夢枕と云われる超常現象は物語世界だけのことではないのかも知れない。 生死の境のギリギリの切羽詰まったカタストロフィー的局面においては、 実際に起こることなのかも知れない。 しかし、 それにしても、 それは何という物凄い情報伝達なのだろう。
 あの今昔物語の中にも、 夢枕の話が幾つも幾つも出てくる。 なかには同じ夢を二人が同時に見ると云う話まである。

●<霊魂>

菊花の約
雨月物語 「菊花の約」 の表紙
 上田秋成の雨月物語の中の 「菊花の約 (ちぎり)」 の物語も凄まじい。 来年の九月九日の重陽の節句の日には、 もう一度必ず参ります。 と云う約束を、 旅先で捕らえられたために果たすことが出来なくなり、 自ら命を絶って、 魂となって訪れて約束を果たしたと云う話である。 そして、 「人一日に千里を行くことあたわず、 魂 (たま) よく一日に千里をも行く」 と述べられている。  話もここまでになると、 単なる創作としか思えないが、 壮絶極まりない情報通信である。

●<透視>
 鎌倉時代の高僧、 栂尾高山寺の明恵上人は、 ある法会で講話をしていた時、 突然話を止めて、 「たった今、 かつて自分の身の回りの世話をしてくれた男が、 臨終を迎えております。 申し訳ないが見送ってやりたいので、 しばらくご容赦願いたい」 と云って、 小時、 講話を中断して念仏を唱えた。 これは俗に 「透視」 あるいは 「千里眼」 と云われる現象であるが、 夢枕現象が白昼の覚醒時に出現したものと云えるであろう。
 明恵上人は夢について非常に強い関心を持っていて、 40年に及ぶ修業の間での夢想を記録した 「夢記」 と云う著まである。 明治時代にも、 御船千鶴子と云う女性が透視能力を持っているとしとて世間が騒いだことがあった。

●<神がかり><憑依>
 超常現象による情報伝達には、 これらとは別に 「神がかり」 と云う現象がある。 急に神霊が人に乗り移り、 トランス状態と云われる催眠状態になって、 本人が無意識のうちに、 神に代わって重要な秘事を口走ったり、 常人には出来ぬような言動をするものである。
 古事記や日本書紀には多数を見ることができる。 崇神天皇の時に、 和珥坂 (わにざか) の少女が神がかりして埴安彦の反乱を大彦に伝えた話。 神功皇后が神がかりして、 新羅を討つべしと命じたとする話。 奈良時代の称徳天皇の時、 宇佐の八幡神が、 女帝の愛人の弓削道鏡を天皇にせよとの神託を、 一人の巫女に神がかりして告げたと云う話など、 枚挙にいとまもない。
 このような神懸り、 憑依現象の例は、 古代だけでなく、現代までも巷間の民俗の中に続いている。 沖縄のノロやユタ、 恐山のイタコなどが行った個人霊の憑依。 狐憑きなどと云われる悪霊への憑依などである。

●<予知>
 似た現象に予知がある。 夢の中で、 将来起こることを予知される。 将来のことが予め夢の中に出てくる。 「予言者」 と云うと聖書に出てくる聖者。 ノストラダムスの大予言が世間を賑あわせたことがあったが、 大高順雄氏などは、 フランス語の言語論的分析から、 あれは予言の書ではなく、 当時の社会への不満を隠喩したものであり、 なかんずく、 肉親が殺された1572年のサンバルテルミの大虐殺への怨恨の書であると言う。

●<テレパシー><念力>
 テレパシー、 精神遠隔感応と訳される。 「手を合わせて見つめるだけで、 愛し合える話も出来る」 「もの言わずに思っただけで、 すぐ貴方に分かってしまう」。 かつて風靡したピンクレディーの 「UFO」 の歌詞である。 いくら愛し合っていても、 なかなかそのようには行かないと思うのだが。
 これが更に発展したものに念力 (念動力) がある。 心の中で思うだけで、 物を動かすと云うもの。 そして行き着く所はユリゲラーのスプーン曲げに至るが、 もうこれは手品・奇術の領域である。

●<第六感>
 視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚の五感を超えたもので、 勘、 直感、 霊感、 インスピレーション、 虫の知らせ、 超感覚的知覚とも云われる。 五感が得た情報を無意識に綜合的に分析判断したものとも云われ、 また、 右脳・左脳の働きを論ずる人は右脳の働きだとも云う。 確かに人にも存在するように思えるが、 も一つ不確かである。

●“一体何だろう”
 しかし、 それにしても、 このような超常的な情報伝達は一体、 如何なるメディア (媒体) により、 如何なるメカニズムによってなされる情報伝達なのだろう。 これらの情報伝達については、 概して否定的な人と肯定的な人に二分される。 お前はどちらなのかと問われたら、 私はどちらかと云うと否定派であって、 これらの現象は、 多くは、 「あらまほし」 とする心の願望が作り出して、 それを確率的に非常に低い偶然が支えているものだろうと思っている。



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