戻る インテルサットとケネディ大統領 (通信)

 国際電気通信衛星機構 (インテルサット) は、 ケネディ大統領が強力な指導力を発揮して計画がスタートしたものである。 彼は、1961年7月 「宇宙通信に関する大統領声明」 において、 「すべての国が参加できる単一のグローバル通信衛星システムを実現させよう」と演説し、 全世界で無差別かつ平等に使用できる通信衛星システムを作ろうと提案した。

Intelsat  こうして、人工衛星を用いた大陸間通信の実験が始まることになった。 1962年、アメリカは、大西洋上にテルスター1号を、太平洋上にリレー1号を打ち上げる。 これらは地球の回りを約3時間で回る低軌道の周回衛星で、静止衛星ではない。 そして、1963年11月には、このリレー1号を用いて、日米間で第1回の衛星テレビ伝送実験がおこなわれた。 ところが、その時、最初に、米国から日本に、衛星を用いて送られてきたテレビニユースは、 なんと、ケネディ大統領が暗殺されたと云うニユースであった。 「ジョン・F・ケネディ大統領が、11月22日午後0時半頃、テキサス州ダスス市において オープンカーでパレード中に暗殺された」と云うニユースであった。 偶然にも、その暗殺の第1報を日本に伝えたのが、彼が提案した通信衛星であったと云うことは、 何か運命の悪戯と云うものを感じさせるものであった。

 最初の静止衛星は、1963年に打ち上げられたシンコム1号である。 ついで翌年の1964年には、シンコム2号が打ち上げられ、これによって、東京オリンピックが全世界に中継された。 こうして、静止衛星を用いた国際通信の効用が確認され、この年、インテルサット機構が発足し、 1965年4月インテルサット機構の第1号衛星アーリーバードが大西洋上空に打ち上げられ、 1966年10月には第2号衛星が太平洋上にも打ち上げられ、 1969年インド洋上にも衛星が打ち上げられ、 ここに、インテルサットのグローバルな通信衛星網が完成を見たのであった。

 ところで、人工衛星を用いてグローバルな通信・放送をおこなうと云う構想を最初に示したのは、 SF 作家のアーサー・C・クラークであった。 彼は、第2次大戦終了直後の1945年に無線専門誌 「Wireless World」 に論文を発表し、 ここで彼は、42,000キロ半径の赤道軌道 (赤道上空約三万六千キロの高度) に衛星を乗せれば、 地球の自転と同期して回転し、地上から見れば、空の一点に固定させることが出来ること、 また、衛星を東経30度、東経150度、西経90度、に各1個、合計3個上げると、 全世界をカバーした通信・放送を実現出来ることを述べている。 初めての人工衛星スプートニク1号がソ連によって打ち上げられたのは、 彼が論文を発表して12年後の1957年であった。 そして、初の静止衛星シンコム1号が打ち上げられたのは、18年後の1963年であった。


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