戻る ハザードランプは停止か感謝か (コード)

 自動車のドライバーたちは他の車に自分の意志を伝えるために、いろいろなサインを発信する。 それらのサインの中、比較的新しいものは、自然発生的に生まれたものであるため、 同じサインが多様な意味を持つものがある。 その典型的なもので、正反対な二様の意味を持つものとして、パッシングとハザードランプがある。 ハイビームを点滅させるパッシングには 「どうぞお先に」 と云う意味と、「通るぞ、どけ!」 と云う意味がある。 ハザードランプの点滅には 「ありがとう」 と云う意味と、「停止するぞ」 と云う意味がある。 このため、とんだ事故が発生する。

Hazard  左側車線を走っていて、右側車線のタクシーに前に割り込ませてやったら、ハザードを点滅させたので、 「ありがとう」 と云っているのだなと思っていたら、急に停車したので追突してしまった。 ハザードは停止の意味だった。と云う話を読んだことがある。

 右折車線で反対車線が空くのを待っていたら、反対車線の車がパッシングするので、 行かせてくれるのかと思って右折したら、「どけ」 の意味だったらしく、 突っ込んで来て側面衝突しそうになったと云う経験を私も持っている。

 一つのサインは一つの意味しか持ってはならないのである。コードは一義的でなければならないのである。 記号論的に云うと、一つの 「シニフィァン」(signifiant) は 一つの 「シニフィェ」(signifie) しか持ってはならぬのである。

 コンピューターのキャラクターコードは正に一義的でなければならないのに、 それでも一つのコードが二様の文字を示すことが起こる。 十六進数 「4142」 はJIS漢字コード体系では 「疎」 であり、JIS8単位コード体系では 「AB」 である。 十六進数 「C1」 はJIS8単位コード体系では 「チ」 であり、EBCDICの体系では 「A」 である。 このため、その間で変換という厄介な操作が必要になる。

 我々が日常用いている言葉となると、もう混乱の極致である。特に日本語は同音異義語の洪水である。 「はし」というコードは、「橋」「端」「箸」 と三様の意味を持つ。 我々は前後の事情からどれであるかを判断しているが、これはとても不便なことである。 しかし、このことによって日本語には多彩な語呂合わせやダジャレや頓知が生まれる。 そして、王朝和歌の華麗な「掛け言葉」が生まれる。 「このはし通るべからず」 と書いた立て札があつたが、 すたすたと橋の真ん中を (端ではなく) 歩いていったと云う一休頓知話が生まれ、 「隣の家との境に塀を作ったよ」「へぇっー」(塀)と云う落語の一口話が生まれる。 そして、「わが身世にふる(経る、降る)ながめ(眺め、長雨)せしまに」(小野小町) 「まだふみ(踏み、文)も見ず天橋立」(小式部内侍) というような名歌が生まれる。 日本文化の面白さではあるが、日本語を学ぶ外国人にとっては耐えられぬことだろう。

 本当の文化の多彩さは、このように、一つのコードが複数の意味を持つことではなく、 逆に、一つの意味が複数のコードで表されることではないかとも思われる。 例えば、男性が自分の配偶者を表現するコードは、妻、女房、家内、奥方、嫁、ワイフ、連れ合い、山の神 などなど多数のコードを持っているが、そこには何の支障も起こらない。


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