戻る 牛頭天王  (情報の捏造)


 情報はしばしば、 意図をもって (更には悪意をもって) 捏造される。 その一例が 牛頭天王 (ごずてんのう) と呼ばれる祇園の神様に見られる。
 牛頭天王。 ――牛の頭を持ったデーモン神。 ――だから悪疫の神。 ――悪疫を撒き散らす神。 ――しかし、 信仰すれば悪疫から守ってくれる神。 ――京都丸山の八坂神社に祀られる神。 祇園祭はこの神の祭礼である。
 ひとたび、 病気にかかったら、 まじないをするか、 お祈りをするかしか方法がなかった時代、 病気平癒を願って、 この神に対する信仰は、 燃え広がる野火のように全国に広まった。 延喜式に名を連ねる由緒正しい古来からの名神大社までが、 本来の神を横に置いて、 この神様を祀るようになった。

 その時、 この神様は、 日本古代史の中のスサノオノミコトと同体であるとされ、 また、 仏教の中の薬師如来の別の姿とされ、 従来から我が国にあった神道とも仏教とも習合して擦り寄り、 勢力を拡張したのであった。


(箕面市粟生外院 「五字神社」 境内の牛頭天王碑)

 江戸時代、 国学者たちは、 この状況に憤激していた。 そもそも 「てんのう」 と云うと、 庶民たちは、 「天皇」 ではなく 「(牛頭) 天王」 のことだと思うのが気に入らない。 その上、 古事記・日本書紀の中で重要な働きをしているスサノオノミコトをその化身だなどと称して、 乗っ取っているのが怪しからぬ。 牛頭天王はまことに疎ましく目障りな許し難いものであった。

 そこで彼らは一つの捏造をした。 今西玄章は摂津国の豊島郡誌を書くにおいて、 「天正年間、 織田信長、 高山右近に命じて、 しきりに社寺を剥落し焼亡するに及び、 信長の信仰深い牛頭天王を祀るものと称して愁訴し、 その難を逃れた。 」 と (註 1書いた。
 次いで、 秋里籬島も 「摂津名所図絵」 をこれに従って記述した。 そして、 北摂の古社寺の多くが、 自らの縁起書をこれに従って改変した。
 つまり、 牛頭天王を祀っているのは、 信長の難を逃れるための一時的かつ臨時的な緊急避難であり、 本来のものではないと云うストーリーを創作したのである。 そして、 遂にこれは、 現在にまで及ぶことになる。
 これは凄まじい捏造である。 信長は延暦寺こそ焼き討ちにしたが、 さほど、 他の社寺に火を掛けてはいない。 また、 信長が牛頭天王を信仰したと云うのも嘘である。
 歴史は捏造される。 情報は捏造される。

 「歴史は勝者によって書き換えられる」 と云う言葉があるが、 しかし、 勝者ばかりではない。 誰もが恣意的に (ほしいままに) 書き換えるのである。(註 2
所詮、 情報とは、 かくまでも頼りないものなのだ と思わなければならないのか。



(註 1) 「摂津名所図絵」 の 「為那都彦比古神社」 の条、 および、 為那都比古神社の現在の略誌による。

(註 2) 明治初年、 国学者たちの思いは遂に達成された。 明治新政府は神仏分離政策において、 牛頭天王を祀ることを禁じた。 牛頭天王を祀っていた神社は、 祭神をスサノオノミコトと改称するか、 もしくは、 牛頭天王を祭神の中から削除した。


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