戻る ごんぎつね(情報化社会)

 新美南吉が創作した童話 「ごんぎつね」 は、現在では小学校四年の国語教科書のほとんどに採用されているので、 広く知られており、読む人に深い感動を与え、かつ、色々の事を考えさせてしまう物語である。 私には、この物語は、 コミュニケーションというものが、いかに難しいものであるかを語っているようにも思われる。

クリックすると原画が表示されます (58KB)  一人ぼっちの小狐 「ごん」 は、森の住処から村に出て来ては、いたずらを繰り返していた。 ある日、小川に仕掛けた網に掛かっていたウナギを口にくわえたとたん、網の持ち主の兵十に見つかり、 「ごん」 はウナギを首に巻き付けたまま逃げ出した。 まもなく、兵十の母親が死んだ。 あのウナギは、一人息子の兵十が病気の母に食べさせようとしていたのかと知った 「ごん」 は、 悪いことをしてしまったと後悔し、何とかお詫びをしたいと、イワシ売りの籠から、こっそりイワシを抜き取り、 それを兵十の家の縁側に置いた。 イワシ売りは売物のイワシが兵十の所にあるのを見て、さては兵十が盗んだものと思い、 天秤棒で兵十をなぐり大怪我を負わす。 「ごんぎつね」 は自分がしたことが、思いもかけず、兵十を傷つけてしまったので、 何としても償いをしなければと、それからは、毎日森でクリやマツタケを拾って、 それをこっそりと兵十の家へ届けるのだった。 しかし、とうとう、その姿を目撃される。 兵十は、また悪戯をしに来たのかと、「この悪戯きつねめ」 と、 手元にあった火縄銃を取ると、「ごん」 を撃ち殺す。

 この結末が、読む人の心を激しく揺り動かす。 孤独な小狐が悪戯を悔いて償いに献身しながら、相手の心には通じないまま悲劇の結末を迎える。 通じないだけでなく逆に誤解されてしまう。 「ごん」 が発信した情報は兵十には正確に受信されない。 それは何故だろう。 単純に、狐は人間の言葉が話せないからと云う情報表現の問題だけではない。 情報受信における入力濾過の問題、情報処理における主観性の問題などなど、多くの問題を示唆するものである。


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