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グラスノスチ (情報公開) |
1985年、 ソ連共産党書記長は、 チェルネンコの死去によって、 54才の若きゴルバチョフに交替する。
1986年彼は、 折しも発生したチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故と相まって、
「ペレストロイカ」 と 「グラスノスチ」 を提唱する。
「ペレストロイカ」 とは 「再構築・建て直し」 の意味で、 経済改革・政治改革を急進的に押し進めようとするものであり、
「グラスノスチ」 は 「情報公開」 の意味で、 言論・思想・集会・出版・報道などの自由化をはかり、
知識人・学者をその改革に参画させようとするものであった。
「ペレストロイカ」・「グラスノスチ」 のもたらしたものは、
ゴルバチョフ自身が思い描いていたものよりも遙かに幾十倍も大きかった。
1891年、 彼自身は抵抗勢力のクーデターによって保養地の別荘に軟禁され、
実権は彼を軟禁から救出したエリツィンに移ってしまうが、
彼が撒いた花の種はやがて世界を大きく変えていった。
@ 東西冷戦が終結し、 1989年東欧諸国で次々と体制の転換が行われ、 ベルリンの壁が撤去され、
1990年には東西ドイツが統一される。
A ソ連および東欧諸国の軍事同盟であるワルシャワ条約機構が、 1991年には解体し、 米ロ軍縮会議も進行する。
B ソ連を構成した共和国が次々と連邦を離脱し、 ロシア共和国らも 1991年に離脱して、 ソビエト連邦が崩壊する。
C ロシア国内においても、 共産党による一党独裁が破綻し 、計画経済・統制経済の社会主義経済体制が崩壊して、
自由経済体制へと変化してゆく。
かくて、 グラスノスチ=情報の公開=情報の自由化は、
独裁体制を突き崩し民主化をもたらす魔法の剣、 呪文の言葉のように考えられた。
下って、 2011年、 チュニジアでベンアリの長期独裁政権が倒れたジャスミン革命から始まり、
エジプトのムバラク政権の転覆、 リビアのカダフィー独裁政権の崩壊に及ぶ 「アラブの春」 を演出したものも、
ソーシャルネットワークの力と云われている。
衛星放送、 インターネット、 携帯電話などによって、 民衆は情報を得ては呼び掛けあい、
リアルタイムに状況を世界に発信していた。
しかし、 本当にそうであろうか。
情報公開は民主化のための有力な武器ではある。
しかしながら残念なことに、 民主化のための必要条件ではあっても、
それだけで、 民主化が達成できる十分条件ではないのではあるまいか。
アラブの春の後に来るものも、 必ずしも民主主義ではなく、
いまだに7世紀の戒律を強いようとするイスラム原理主義であるのかも知れぬ、 とも云われている。