戻る 百万塔陀羅尼 (メディア)


百万塔陀羅尼  印刷と云うと、ドイツのグーテンベルグ (1394〜1468) が、ルネツサンスの頃、 活版印刷を始めたと云う話を先ず思い出すかも知れないが、 これは、中国で古い時代に発明された技術が十三世紀になって、ようやく西欧に伝わったものに過ぎない。

 我が国へは、八世紀の 奈良時代以前に伝わった。 そして、現存する世界最古の印刷物も我が国にある。 百万塔陀羅尼である。 天平宝字八年(764) 称徳天皇の発願によって作られたもので、 ロクロ引きの木製小型供養塔百万基の中の空洞に、陀羅尼一巻を納めたものである。 経文を百万本も作らねばならぬので、木版印刷によって印刷された。 この百万塔は神護景雲四年(770)に完成し、奈良などの諸大寺に分け納められたが、 現在、法隆寺に約四万基が残存しており、うち完全なもの百余基が保存されている。

相輪陀羅尼  活字を用いる活版印刷も十一世紀の半ば頃、中国の北宋で発明された。 我が国へは、活版印刷の技術は十六世紀に二つのルートから入って来た。 一つは、豊臣秀吉の朝鮮出兵に伴って朝鮮半島から入ったものであり、 もう一つは、キリシタン宣教師たちによって西欧から入ったものである。 これによって、我が国でも活版印刷が行われるようになるが、我が国では主に木製活字が用いられた。 しかし、それもやがて、旧来の方式の木版印刷に戻ってゆく。 それは、活字では、数ページ分を印刷するとその活字組を崩して、次の数ページの活字を組むことになるので、 かえって不便であったためであると云う。

 そして、江戸時代に入ると、我が国の出版事業は世界的にも希な大発展を呈する。 従来からの仏典・漢籍などのみならず、浮世草紙、読本、黄表紙、赤本青本黒本、滑稽本などが 百花繚乱の活況を示してゆく。 そして、このことによる文盲率の低下が、後に明治維新が平穏裡に遂行される要因の一つとなってゆく。


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