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コンピューターと呼ばれた女性たち (情報今昔物語) |
◎ 現在では、 コンピューターと云う言葉は 「電子計算機」 を指しているが、 そもそもは 「コンピューター」 と云う言葉は人間の職業名であった。 研究機関や企業にあって数学的な計算を担当していた人びとを指していた。 通常、 数人でチームを構成し、 巨大で複雑な計算を分担して、 同時並行的に行った。 来る日も来る日も、 対数表を片手に手計算か、 もしくは手回し式の計算機で計算をした。
彼らは 「計算手」 (computer) と呼ばれた。 「コンピューター」 と云う言葉は、 もともとは、 こうした人たちのことであった。 若手の研究者たちが、 この仕事を命じられていた。
しかし、 ハーバード大学天文台のエドワード・ピカリングが、 1900年頃、 天文台の計算手として大量の女性を採用したことから、 にわかに女性で計算手になる者が多くなり、 更に、 第2次大戦で、 男子の若手研究者が徴兵されて減ったために、 計算手は女性の職業の一つとなった。
しかし、 計算手はこのような純粋に狭義の計算を行う人たちのことを呼ぶものとは限られていない。 ピカリングが採用した女性たちの仕事は、 天体の写真を解析することであったし、 ENIACで働いていた女性たちの仕事は、 配線を繋ぎ変えるのが主な仕事であった。
(1) ハーバード大学天文台の女性たち (ハーバードコンピューターズ) 1900年頃
写真機を望遠鏡と接続することが出来るようになると、 散在する無限と思われる程の星たちの像が写真乾板に撮影された。 これらの星々は、 その位置と共に、 明るさや色を読みとって記録しなければならない。 しかし、 丹念に一つ一つ記録すると云うことは、 気が遠くなるような作業である。 天文台長のエドワード・ピカリングは、 多数の女性たちを雇い入れて、 その作業に当たらせた。 多くは天文学の知識など全くない女性たちであった。
それらの女性の中から、 後年、 天文学に偉大な成果をもたらした女性たちも輩出した。 ウィリアミーナ・フレミングは、 もとはピカリング家のメードだったが、 天文台の計算手になり、 後に白色矮星のスペクトル特性を発見し、 英国王立天文学会より名誉会員の称号を贈られる。 アニー・キャノンは後に、 恒星の表面温度による分類を確立する。 ヘンリエッタ・リービットはケフェウス型変光星の周期光度関係を見出す。
(2) ENIACの7人の女性 1946年
1946年、 ペンシルバニア大学において、 ジョン・モークリーとジョン・エッカートが考案設計した電子計算機ENIACが完成した。 これは18,800本の真空管を用いて、 世界最初のコンピューターとされたものである。 二人の他に、 研究開発に加わった技術者には、 ロバート・ショー (ファンクションテーブル) 、 ジェフェリー・チャン・チュー (除算器・平方根計算器) 、 アーサー・パークス (乗算器) 、 ハリー・ハスキー (入出力) 、 ジャック・デービス (アキュムレーター) らがいた。
ENIACはプログラム内蔵方式ではなく、 プログラムはその都度、 配線を繋ぎ変えることによって与えられた。 従って、 プログラミングは複雑な作業で、 通常、 1週間ほど掛かった。 紙上でプログラムが完成したら、 次にパッチパネルでスイッチ群やケーブルの配線を変更する。 これを担当したのが6人の女性たちであった。
ENIACの配線をする女性たち
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その名は、 キャサリン・マクナルティ、 フランシス・ビラス、 ベェティ・ジェニングス、 エリザベス・スナイダー、 ルース・リターマン、 マーリン・ウェスコフ。
しかし、 ENIACが立ち上がった時、 彼女らの功績を称える言葉は何もなかった。
記念パーティーに呼ばれることもなかった。
(3) FUJICの1人の女性 1956年
我が国で始めて作られたコンピューターは、 富士フィルムの設計課長岡崎文次が1956年に作ったFUJICである。 カメラのレンズの設計には膨大な数値計算が必要で、 このため、 同社には100人近い女子計算手が勤務しており、 来る日も来る日も一日中、 2人1組で対数表を片手に手回し計算機でレンズ設計の計算をしていた。 それでも、 少し複雑なレンズになると、 1組のレンズの計算に3ケ月以上も必要だった。 この状況を改善しようと思った岡崎は、 昭和24年から7年間をかけて、 計算手の女性1人の手助けだけで、 一人で、 1700本の真空管を用いた電子計算機を作り上げる。
この電子計算機は早速に、 レンズ設計に用いられたが、 同社は2年後にはフィルムの製造に専念することになってカメラの製造から撤退し、 FUJICも倉庫行きになった。 その完成のために心血を注いで計算に没頭して働いた一人の女性、 その女性の名前は、 もう伝わっていない。
(4) マーキュリー計画の3人の女性 1961年
映画 「ドリーム」
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1959年から1963年、 米ソは激しく宇宙開発競争を展開する。 米国のNASAは 「マーキュリー計画」 と称して、 有人ロケットを宇宙軌道に打ち上げる計画を推し進めていた。 そうした中、 NASAの計算部に3人の優秀な黒人女性が計算手として働いていた。 その名は、 キャサリン・ジョンソン、 メアリ・ジャクソン、 ドロッシー・ヴオーン。 彼女らは、 南部に根強い黒人差別、 加えて女性差別の中を逞しく生きて、 素晴らしい業績を挙げてゆく。 彼女らは単に式を計算するだけでなく、 優れた数学の能力を駆使して、 複雑な軌道計算の式を立てて解いてゆく。
2016年、 彼女らを描いた映画 「ドリーム」 が作られた時、 全米に大きな感動が走った。
◎ 計算手 (computer) の仕事は、 出現した電子計算機 (computer) によって奪われてしまう。 しかし、 その電子計算機 (computer) を作ったのも計算手 (computer) たちであった。
(写真はWEBより)
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