戻る 昼と夜の間  (半導体)


 例えば、 24時間、 1440分の連続した1日の時間を、 人間は 「ヒル」 と 「ヨル」 と云う言葉によって、 不連続に2つに区分する。 このように区分した時、 そこには、 いずれにも属さない曖昧な境界領域が生まれて来る。 「ヒル」 と 「ヨル」 の区切りを、 日出、 日没と定めてみても、 それは数字だけのことであって、 その中間に生ずる 「薄明」 の時間を抹消すことは出来ない。
 「ヒル」 と 「ヨル」 の境界には 「たそがれ」 があり 「しののめ」 があるが、 それらは 「ヒル」 でもなく 「ヨル」 でもない。 グラデーション (gradation) して、 フェードイン (fade-in) し、 フェードアウト (fade-out) する。
 そうした境界領域は 「記号化し得ないもの」 であり 「どこにも所属しないもの」 であるために、 社会の秩序を保つためには、 社会の表層に置くことが出来ない。
 そこで、 「聖なるもの」 として祭り上げるか、 もしくは 「不吉なるもの」 として禁忌の対象にする。
 このようにして 「たそがれ」 は 「逢魔おうまとき」 となり、 「しののめ」 は暁の女神 「エオス」 (Eos) が支配し、 ドーンコーラス (dawn-chorus) が静かに流れる神聖な時刻となる。

 何事にあれ、 人間が、 アナログ的に連続している事柄を、 言葉 (記号) によって不連続に分節する時、 必ず、 そのどちらにも属さない境界領域が生まれ、 人はそれを、 特別なものとして、 「神聖」 なもの、 もしくは 「不吉」 なものとする。


  (コペンハーゲンの人魚姫)
 
 ひとつの境界領域に、 「神聖」 と 「不吉」 の両方が持たされた両義的存在となる場合も多い。
 コウモリは哺乳類と鳥類との境界領域の存在であるために、 魔女に随伴し、 吸血鬼の眷属とされ、 悪魔の背の翼となる不吉なものと考えられる一方で、 神の使いとも考えられた。
 人間と魚との境界領域である人魚は、 ローレライやセイレンの物語のように嵐や海難を引き起こし 洋の東西を問わず不吉なものとされると共に、 八百比丘尼の物語のように、 その肉は不老長寿の霊薬とされる。



 
(ドレーパーのセイレン)
 半導体もまた境界領域の存在である。 導体と絶縁体の境界にある存在である。 そして、 現在では、 現在の情報化社会の根幹を作った神聖な存在となった。
 昔はただ、 電気抵抗が中途半端なケッタイな物質だった。 電圧と電流が比例すると云うオームの法則に従わない、 非線形的な奇妙な物質だった。 導体として電気を通すにも適せず、 さりとて、 絶縁物として用いることも出来ない。 その名の通り、 一人前になれない半人前の物質であった。
 しかし、 曖昧な境界領域にこそ宝がある。 宝物が埋もれている。

 そして、 男と女のお話。
 人間を2つに区分して男と女に分ける。 連続したものを分節すると、 必ず境界領域が生まれるはずであり、 男でもなく女でもない存在がある筈である。 果たせる哉、 そこにはLGBTと云われるものがある。 (L=Lesbian, G=Gay, B=Bisexual, T=Transgender:女性同性愛者、 男性同性愛者、 両性愛者、 性同一性傷害を含む性的越境者)
 最近までそれは社会の表層に置くことの出来ないものであった。  私自身、 それらに不浄、 を感じ不潔を感じ、 不吉を感ずるのを否定できない。 まさに、 境界領域は「不吉」の場である。
 しかし、 境界領域には不吉と共に神聖も住む。 神聖とまで言えなくても否定的ならざるものもある筈である。 男装の麗人、 女装する女形を、 古来、 読者や観客は喜んだ。 水滸伝でも108人の豪傑たちの中に一丈青扈三娘と云う男装の女性がおり、 南総里見八犬伝にも、 八犬士の一人に犬坂毛野と云う女形がいる。 現実でも、 人々は少女歌劇の男役に胸ときめかした。



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