作品●[三月劇場]

[映画の電算室]
04


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 さぁて[映画の電算室]の第4回。

 [ゴシック](Gothic)。ケン-ラッセルは86年の怪しい怪しい作品。何しろ[トミー]に[アルタード-ステーツ]の監督だもん。
 バイロンと言えば有名な詩人。その館がスイスの湖畔にあって、そこにシェリー夫妻ほか何名かの客が訪れている。それで、怖い話しとかするうちに夜は更けふけて、いろいろとあるわけ。怖いことが。
 悪夢かと思えば現つ。現つかと思えば悪夢。ヒューズリの[夢魔]とか、近代ヨーロッパ的怖いもんが全〜ん部詰め込まれた、表現的にはやたらに密度の高い映画だ(物語は何もないけど)。これって、ちょっと徹夜とかして眠くて眠くてもう堪んない状態で、エンドレスにして2、3回繰り返して、寝ては覚めつつ見てたら、かなり行ける(どこに〜!)と思うなぁ。気持ちいいかも。脳が溶けて。

 映画の話しはちょっと置いといて、この超豪華メンバー百物語ってほんとにあったことらしくて、それぞれがあとでこの時の怖〜い話しをちゃんと文芸作品として発表しようってことになって、たとえばメアリ-シェリーさん(つまり妻さんの方)はあの[フランケンシュタイン](31年のカーロフのと94年のデ-ニーロのといちおう二つ挙げておくね)を書くことに。

 さて館の主のバイロンにはエーダという名前のお嬢さんがいて、聡明で元気な人で、結婚してラブレース伯爵夫人になる。
 エーダにはナーズな友だちがいた。この友だちというのが、チャールズ-バベッジっていうんだけど、自動計算機械、つまり同んなじような計算を何度も何度も何度も自動的に繰り返してくれる、そんな機械が必ず作れるはずだって言って日夜開発に打ち込んでる奴だった。バベッジの機械(といったって結局は実現できなくって設計図が残っているだけなんだけど)にはちょっとおもしろい機能がついていて、その機能というのは、屏風に折った長い長い帯紙にパンチを打っておいて、それを機械に通してやると、パンチの打ち方に応じて、いろんな計算を順番にやってくれる、というものだった。
 エーダはバベッジが前に書いた、計算機械の説明書を清書してあげたんだけど、その時に自分で注釈をいくつも書き足した。その膨大な注釈の中には、バベッジの計算機械にかけて高度な計算をさせるためのパンチの例が含まれていた。これってまさに現代のコンピュータプログラムなわけで、そのため、エーダは世界で最初のプログラマと見なされている。
 で、このあとが妄想なんだけど、たぶん、エーダはバイロン経由でフランケンシュタインのアイデアを聞いていて、自分にもフランケンシュタインの怪物が作れたらいいなーっと思ったのかも。それも、姿は人間のそれではなく、だから人に恐れられることもなく、それでいて人間みたいに計算という高度な活動ができる、そんなすてきな怪物が。

 80年ごろ、合衆国の国防省が中心になって、新しいプログラミング言語が制定されたことがあった。このプログラミング言語には、まさにエーダという名前がつけられた。
 プログラミング言語っていうのは、プログラム(映画で言ったらシナリオ)を書くための、文型(S+V+O+Cみたいなもの)と語彙と、それからそいつらに対応する意味をごっそり決めた体系だ。"記述法"ぐらいに引いておけっていう意見もあるけど。新しいプログラミング言語エーダが作られたのは、それまで合衆国軍で使われていたいろんなプログラミング言語が使いにくくて、したがってかなり危険な代物だったからだ。
 70年代まで、世界ではいろんなプログラミング言語が使われていた。この時期のプログラミング言語でよく使われたものにはフォートラン、ベーシック、コボルなどがあった。そもそも種類が多かった。200種類はあるなんて言われていた。
 それよりも問題なのは、これらは、ほんの短いプログラムしか受け付けないコンピュータしかなかった時代に考え出されたから、ちゃんと使いものになるまともなサイズのプログラムをそれで書いてしまうというのはムリというものなのだった。自分が書いたプログラムでも三日もしたらもう何が書いてあるか分からないやら、だからちゃんと動くかどうか誰にも分からないやらの悲惨な代物だった。ミサイルが勝手に飛んでかないようにきちんと働くプログラムを書くためには、きちんと筋が通っていて、それでいて単純なプログラミング言語が必要だったのだ。

 再びバベッジとエーダだけど、二人は結局、計算機を完成させることはできなかった。いるよね。監督とか、いや、それよりもまんが家の人が多いかな?リバイバルするとか新書版に再録するとかいう度んびに直し(怪奇クモ娘とか)をしたがる人。バベッジはとりあえず一度完成させてしまうということができない性格だったらしくて、いつまでたっても実物に取りかかれなかったんだとか。
 ほんとは直すんじゃなくて、その次を作らないといけないんだよね。でも、ここが映画の人ってつらい所で、文学や絵だったら、次のバリエーションを作るっていうのはそんなに難しいことじゃないんだけど、映画で前に作ったのをもう一度作り直すっていうのはよっぽどのことがない限り不可能なんだよね。[十戒](監督:デミル、23年/56年)とか[高校大パニック](監督:石井聡互、23年/78年)とか。うーむ、この二つ、並べて書くかなふつう?



映画コンピュータ


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