作品●[三月劇場]

[映画の電算室]
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 [2001年宇宙の旅] に描かれたその2001年まで、とうとうあと30日になってしまいました。[ストレンジ-デイズ] の時代なんか、もう1年前の過去ですよ。
 そういうわけで、今月号の [HI-HO] には [2001] のQ&Aが載ってます。ちょっと立ち読みした感じではそんなに悪くない記事だと思います。

 [2001] は、長い間、伝説の映画でした。ロードショー以来10年間もの間、国内ではずっと上映されていなかったからです。ストーリがよく分からないとか、だからこそいい映画だ(笑)とか、ともかく美しい映画だとか、話題にはのぼるけど見た人はいない、そんな映画でした。それでも、雑誌 [ぴあ] の人気投票では、ずっと上位を押えていて、80年ごろになってやっと再映された時には、みんなほんとに喜びました。俺もその時に新宿の武蔵野館(だったと思うんだけど)でやっと見たんです。

 [2001] の分かりにくさについてはいろんな人がいろんなことを言っていました。監督のキューブリックは言葉を超えたメッセージを伝えようとしているんだなんてね。実際に見てみたら、そんなに分かりにくいとは思いませんでした。でも、10年の間に、宇宙とかコンピュータのことって、いろいろ知られるようになって、観客もずいぶん鍛えられてきたわけで、68年に見たらやっぱり分らないって感じたかもしれません。
 [2001]を廻る数多くの誤解の中で最大のものは、HALがなぜ(えーとこっからあとはスポイラ=ねたバれです)ボーマンたちを殺そうとしたのかっていう、その事情に関する誤解じゃないかなって思います。HALっていうのは木星に向かうディスカバリ号に搭載されていた汎用コンピュータです。続きの [2010] にも登場します。たぶん、ほとんどの人は、これってコンピュータがとうとう人間に対して反乱を起こしたんだって思ってたんじゃないでしょうか。でも、それはちょっと違うんです。
 クラークの同名の小説を読んでから映画を見てみると、ディスカバリ号の遭難は、HALの上で走っていた業務プログラムに見落しがあって、設計のとおりに働いたのに、たまたま起こった特別な状況に対応できなくなってしまったのが原因だということがよく分かります。
 HALが実行していた業務プログラムの一つに、クルーにはミッションの真の目的を悟らせないようにしておく、というものがありました。ところが、クルーはやっぱりミッションの目的を疑い始めます。そこで、HALは故障していないアンテナを故障しているかのように見せかけてその手掛りを隠そうとしました。ところが今度はその嘘がばれそうになり、といった具合に、どんどん矛盾の埋め合わせが拡大していって、とうとう最後は惨事を引き起してしまいます。
 要約すると、クルーに知らせるべき情報をコントロールするという業務が設定されていたけれど、クルーを死なせてはいけないという例外が必要だったのに、それを命令しておくことをプランナたちが忘れてたってわけです。
 HALの行動が、68年という時点では、コンピュータの反乱として受け止められた、という現象は、とってもおもしろいことだと思います。実際には、HALのしたことは、ただの設計の見落としによる事故、作戦ミスだったわけですけどね。反乱というよりは、ただの失敗というのがより適切なアナロジだと思います。でも、当時の観客たちにはそれが感覚できなかったんですよね。ちょうどプレートー(サル-ミネオ)たちの行動が"反抗"にしか見えなくて、彼を死に追いやってしまった古いおとなたちみたいに。
 [理由なき反抗] のおとなたちは、子どもたちに、何をしでかすか分からないという不安を抱いていたので、プレートーの行動をそこに結びつけてしまいました。それと同じように、[2001] の観客たちの不安はコンピュータに向けられていたんですね。

 当時は、人間性が疎外されている原因が、おもに体制の中に求められていて、コンピュータもそんな体制の一つの要素として理解されていました。だから、人間の復権を求めるヒーローがコンピュータと戦うっていう話が、映画や小説やまんがで何度も何度も、場合によっては紋切り型の表現として、描かれていました。筒井康隆[脱走と追跡のサンバ] という長編は、そんな流行をパロディとして描いた作品です(だと思います)。おススメです。
 何しろ68年って言ったら、コンピュータは高いし(安いのでも何億円)、重たいし(図書館の本棚数枚分)、巨大な組織だけが独占的に使っているらしい危険な機械でしたから、それはただちに体制の象徴でもあったわけです。そう言えば今だって、アップルの高級機には"権力的"-Macとか"権力的"-Book(わーっ、[Myst] みたい)なんて名前がついてますよね。それはそうとして、みんな、不安から気を紛らわせるための、いじめやすい標的がほしかったんでしょう。"闇の面は強いのではない。たやすいのだ"(ヨーダ師)ってコトです。

 俺は、かえって、HALが壊されていくシーンの中に、残酷な、人間性の喪失の過程が見えるような気がします。だんだん人格(?)が退行していって、生みの親の天馬博士、じゃなかったチャンドラ博士との初めての会話を思い出すんですよね。そして、とうとうただのMIDIマシンになってしまって、[デイジー]を歌いながら消えていくんです。
 合掌。

 [2001年宇宙の旅] (2001: A Space Odyssey)キューブリックの68年の作品です。中学校の保健室にポスターが貼ってあって、確か、"文部省推薦"て書いてあったのを覚えてます。文部省がキューブリックの映画を推薦するなんてことが昔はあったんでしょうか。
 原作はサイファイの泰斗クラーク、と言われていますが、正確に言うとちょっと複雑で、クラークがまず [前哨] という短編を書いていて、キューブリックがそれを読んでインスパイアされて [2001] を企画、クラークとキューブリックは協働して脚本を作り、それをキューブリックは映像化、クラークはノベライゼーションして、ほとんど同時期に発表した、というのが正確ないきさつです。だから、[前哨] の方は原作なんだけど、[2001年宇宙の旅] (クラークの小説としての)は、(ベースになってる脚本も自分たちで書いたんだけど)ノベライゼーションということになるわけです。
 合衆国にはいろんな映画の脚本を集めている方がいらっしゃって、実際には使われなかった[2001] の初期の脚本というもの(たぶん本物)を見せていただいたことがあります。このバージョンだと、棍棒からロケットまでの人類の歴史がきちんと映像で説明されることになっています。これがもしそのまま映像化されていたとしたら、きっと中学生にはタメになる映画になってたんでしょうね。

 HALってったら何と言っても誰もが一家に一台はほしいと思うあこがれのコンピュータ(爆。ただしCubeぐらい小さかったらね)ですから、コンピュータのCFにもしっかり登場しています。日本では全然やらなかったと思うんですが、合衆国では、iMacやCube(今は早朝になっちゃったけど前は深夜の [シネマ通信] って番組でスポットをやってましたよね)でおなじみのアップルが、HALが登場するCFをオンエアしました。
 このCFって、HALがボーマンとダベってるってモンなんですけど、最初っから最後までともかくずっとHALのアップ(ってやっぱりあのモノアイが顔なんだろうなぁ)で、HALだけがぶつぶつと喋ってるんです。"やぁデーブ、去年(2000年)は悲惨だったねぇ。あの混乱の中でちゃんと働いていたのはマックと私だけだったね"って、つまり、2000年問題が起こした(時制むちゃくちゃ)大混乱を2001年の現在から振り返ってるってCFなんだけど、ここに出てくるHALはそろそろアブないみたいで、何かマックに嫉妬してるみたいなんですよね。
 怖いよあんたは、怒ると目が座っちゃうんだから。膝を乗り出すんじゃないってば。何ムキになってんだよ。こらこらハッチを勝手にロックするんじゃないっ!ちょっとここ開けなさい、開けろ、開けろってば!



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