学習書●[情報処理]

演習
祝詞
報告

野村博子
01 Feb 2001 23:17:39
(00年度履修生)

http://www.infonet.co.apt/March/syllabus
/Literacies/cariculation/gallery/Nomura.html



 祝詞には二種類の形式があります。末文が "...白す(まをす、もうす)" で終わる奏上体と "...と宣る" で終わる宣命体です。現在では多くが前者の奏上体で書かれています。
 そもそも祝詞の語源は "宣り処言(のりとごと)" を省略したものといわれ、神様の御言葉を宣り下す処という意味があるとされています。私はこのことに注目し、ヒトがカミに語りかける奏上体ではなく、カミがヒトに語り掛ける宣命体の祝詞を取り上げたいと思います。
 さて、その宣命体の祝詞の第一といえば、やはり大祓祝詞だと思います。以下にその全文を引用(文献岩波)してみます。
 六月の晦の大祓(十二月はこれに准へ)

 "集侍はれる親王・諸王・諸臣・百の官人等、諸聞こしめせ" と宣る。 "天皇が朝廷に仕へまつる、領巾挂くる伴の男・手襁挂くる伴の男・靱負ふ伴の男・劒佩く伴の男、伴の男の八十伴の男を始めて、官官に仕へまつる人等の過ち犯しけむ雑雑の罪を、今年の六月の晦の大祓に、祓えたまひ清めたまふ事を、諸聞こしめせ"
と宣る。

 "高天の原に神留ります、皇親神ろき・神ろみの命もちて、八百萬の神等を神集へ集へたまひ、神議り議りたまひて、 '我が皇御孫の命は、豊葦原の水穂の國を、安國と平らけく知ろしめせ' と事依さしまつりき。かく依さしまつりし國中に、荒ぶる神等をば神問はしに問はしたまひ、髪祓ひに祓ひたまいて、語問ひし磐ね樹立、草の片葉をも語止めて、天の磐座放れ、天の八重雲をいつの千別き千別きて、天降し依さしまつりき。かく依さしまつりし四方の國中に大倭日高見の國を安國と定めまつりて、下つ磐ねに宮柱太敷き立て、高天の原に千木高知りて、皇御孫の命の瑞の御舎仕へまつりて、天の御蔭、日の御蔭と隠りまして、安國と平らけく知ろしめさむ國中に、

 成り出でむ天の益人等が過ち犯しけむ雑雑の罪事は、天つ罪と、畔放ち・溝埋み・樋放ち・頻蒔き・串刺し・生け剥ぎ・逆剥ぎ・屎戸・許多の罪を天つ罪と法り別けて、國つ罪と、生膚断ち・死膚断ち・白人・こくみ・おのが母犯せる罪・おのが子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜犯せる罪・昆ふ虫の災・高つ神の災・高つ鳥の災・畜仆し、蠱物する罪、許多の罪出でむ。

 かく出でば、天つ宮事もちて、大中臣、天つ金木を本打ちきり末打ちきりて、千座の置座に置き足はして、天つ菅麻を本苅り断ち末苅り切りて、八針に取りさきて、天つ祝詞の太祝詞事を宣れ。

 かく宣らば、天つ神は天の磐門を押し披きて天の八重雲をいつの千別きて聞こしめさむ 國つ神は高山の末・短山の末に上りまして、高山のいゑり・短山のいゑりを撥き別けて聞こしめさむ。

 かく聞こしめしては皇御孫の命の朝廷を始めて、天の下四方の國には、罪といふ罪はあらじと、科戸の風の雨の八重雲を吹き放つ事の如く、朝の御霧・夕べの御霧を朝風・夕風の吹き掃ふ事の如く、大津辺にいる大船を、舳解き放ち・艫解き放ちて、大海の原に押し放つ事の如く、彼方の繁木がもとを、焼鎌の敏鎌もちて、うち掃ふ事の如く、遺る罪はあらじと祓へたまひ清めたまふ事を、高山・短山の末より、さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬に坐す瀬織りつひめといふ神、大海の原に持ち出でなむ。

 かく持ち出で往なば、荒潮の潮の八百道の、八潮の潮の八百会に坐す速開つひめといふ神、もちかか呑みてむ。かくかか呑みては、氣吹戸に坐す氣吹戸主といふ神、根の國・底の國に氣吹き放ちてむ。かく氣吹き放ちては、根の國・底の國に坐す速さすらひめといふ神、持ちさすらひ失ひてむ。

 かく失ひては、天皇が朝廷に仕へまつる官官の人等を始めて、天の下四方には、今日より始めて罪といふ罪はあらじと高天の原に耳振り立てて聞く物と馬牽き立てて、今年の六月の晦のひの、夕日の降ちの大祓に祓へたまひ清めたまふ事を諸聞こしめせ"
と宣る。

 "四国の卜部等、大川道に持ち退り出でて、祓へ却れ"
と宣る。
 祝詞に関して重要なことは、それが人々(この場合は天皇)が神に語りかけるためのものだということです。
 そもそも大祓とは、人が知らず知らずのうちに犯した罪や過ち、心身の穢れを祓い清めるための神事です。 "大""公" の意味で、つまり個人だけの祓いではなく、国中を祓う、というものなのです。大祓祝詞が文書として成立したのを収録されている古事記が編纂された当時とするならば、大化の改新後ようやく大和政権の地盤が固まってきた頃と考えられます。神からくだされるはずの宣命を天皇がくだす形にしたのは、天皇が神の血を引いており、神に最も近い人物であると強調するためではなかったでしょうか。
 本文のほうに視点を移します。私は、この大祓祝詞は7つの部分に別けられると考えます。

主題
"集侍〜諸聞こし召せ"
自己の出自
祖先の功績
"高天の〜平らけく知ろしめさむ"
問題点
(穢れの発生)
"國中に、〜罪出でむ"
対処法
"かく出でば〜太祝詞事を宣れ"
結果
"かく宣らば〜罪はあらじと"
回帰
"高天の原に〜却れ"
と宣る

 以上はまさに祝詞の全体の構成を示したことにもなるわけですが、この中で目を引くのは、自己の出自 祖先の功績の部分でしょう。
 当時のこの祝詞の聴衆は、親王を始めとした天皇の臣下たちでした。そして、上記の時期にこの祝詞が文章化されたのであれば、各々の家で行われていた祭祀が国家祭祀に一本化されていく時期であったわけですから、神の詞が天皇の口から発せられるためには正当な理由が必要になります。この部分はその根拠として付加されていると考えられます。
 これに続いて天と地とで穢れが発生したことが語られます。そして対処法の部分に至って、今度は中臣氏が祭祀を司ることの正当性が天皇からの指名という形で語られるのです。大化の改新後、中臣氏は大和政権の優位確立に深く関わっています。もともと大祓祝詞は中臣氏によって詠まれるため中臣詞とも呼ばれることから、この時期に大和朝廷が国家祭祀の一部として採り入れた可能性もあります。それはおくとしても、ここで、晴れて中臣氏は国家祭祀を統括する身になるわけです。
 次に期待の部分ですが、神を事態の第三者とする、ということについてはすでに的を射たレポート(田淵)があるので省略し、ここでは、諸臣という聴衆に対する天皇の駆け引きという観点を新たに提示したいと思います。
 今まで述べてきたことを踏まえて、天皇が諸臣に対し自らの神性をアピールしようとしていると仮定すると、実際に神々を掌握しているかのように見せるのが効果的です。
 そのための一つの要素として、結果の部分では、ことさらに細かく神々の動きを予想してみせていますが、これは、すでにそうなることが決まっているかのような、つまり、すでに神々に大祓いのための準備をさせているかのような、神の上位者としての印象を聴衆に与えます。そしてその最後に、罪=穢れのない世界を提示したのち、直ちに主題である大祓いの実施にたちかえります。
 このほか、自己の出自 祖先の功績の部分では "議り議りて" "掃ひに掃ひて" などとことばを重ねていますが、これは、語っている天皇が語られる祖先神を身近なところに引き寄せ、その結果として、話者自身が祖先神に近いかのように見せる効果を持っていた可能性があります。しかし確信を持てるほどの根拠を残念ながら持ち合わせていないので指摘にとどめておきます。
 ここまで見てきたように、大祓祝詞の文章はとても論理的に構成されています。これは、この祝詞が、多分に政治的意図が盛り込まれた、説得の対象としての聴衆を想定して形成されてきた文章であるためです。

参考文献

閼伽出甕、論考集大祓祝詞の謎(1)(2)、http://members.tRipod.co.jp/accord/BIGLOBE/ron00764.htm および http://members.tRipod.co.jp/accord/BIGLOBE/ron00765.htm
ここに掲載されているものは岩波書店の古事記 祝詞 (日本古典文学大系)を底本としています。

神社オンラインネットワーク連盟、Q&Ahttp://www.jinja.or.jp/faq/answer/11-08.html

明治神宮、Q&Ahttp://www.meijijingu.or.jp/intro/qa/07.htm

田淵千鶴、情報処理(講義)報告 のりとhttp://www.infonet.co.jp/apt/March/syllabus/Literacies/Internet/gallery/ Tabuti.html



このページの記事は、科目[情報処理]を履修した学生が課題[祝詞]の学習の一環として作成した著作物(加筆)です

情報処理
インタネット


Copyleft(C) 2001, by Studio-ID(ISIHARA WATARU). All rights reserved.


最新更新
01-02-12