寄稿●三月劇場

アトムの時代
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 [アトム誕生の巻]はいろんなことの始まりだったと思います。俺は今、ほんのちょっぴりですがアニメーションに関わりのある仕事をしています。その始まりは、結局は[アトム誕生の巻]でした。そして、日本の(世界のって言ってもいいんだけど)今の文化がこうしてここに来る道のりの、少なくとも一つの曲がり角に、[アトム誕生の巻]は輝いていると思います。
 これから、[アトム誕生の巻]というできごとを通じて、自分が見て自分で感じた、TVの一つの時代について、ちょっと復習してみようと思います。

 フジテレビ[鉄腕アトム]の放送が始まったのは、いよいよ来年はオリンピックという1963年元日のことでした。60年安保が全国民的な反対運動にも関わらず、政府に押し切られる形で成立してしまった直後の、敗北の時代だと規定する人もいるかもしれません。
 俺は、その頃は静岡に住んでいました。静岡で[アトム]の放送が始まったのは、フジテレビよりも少し遅れて、その年の秋のことでした。

 当時は、首都圏とそのほかの地域(この場合は静岡)とでは、TVの番組編成がまるでばらばらでした。今では、地方局とキー局は、同じ番組を同じ時間割りで放送するのがふつう(大阪のガンダムみたいな例外はありますが)ですが、それは、各地域に4〜5局ずつの民放があって、それぞれが首都圏/京阪神のキー局と系列化しているからこそ可能な話しです。当時は、民放が1局しかない地域はたくさんありました。たとえば静岡の場合だと、民放と言ったら静岡放送という局が1局あるだけでした。たぶん、その中でうまく時間割りをやりくりして四つ(テレビ東京、じゃなくて東京12チャンネルはまだなかった時代なんで)のキー局の番組を放送していたんでしょう。だから、キー局で放送している番組が地方局では放送されてなかったり、放送されていてもキー局とは違う時間帯だったり、なんてことはよくありました。

 静岡新聞のTV欄に[鉄腕アトム]の解説が載っていたのを見た時は、躍り上がったもんです。スチルもついてました。あれはアトムのバストショットだったかなぁ。もしかすると母親と並んだショットだったかもしれません。
 やっと報われたって気分でした。それまで、[少年]の[アトム]を見るたんびに、もしかして放送案内のどっかに静岡放送が載ってないだろうかって探していたからです。もちろん、そのずっと前から、[アトム]は一番大好きなまんがでした。
 そうそう。当時は、[少年]なんかの雑誌の人気まんがのページには、放送案内というものが載ってたもんでした。[少年]なら[アトム]と[鉄人]、[ぼくら]なら[少年ジェット]みたいな看板まんがは、たいていTV化されていました。そして、そういったまんがの扉の表裏とか各ページの欄外には、そのまんがのTV番組が何曜日の何時に放送されているか書き出したリストが載っていました。とってもていねいに細かく書いてあって、かなりボリュームのあるものだったように覚えています。同じタイトルでも地方局によってそれぞればらばらの曜日/時間に放送していたわけですから。こういう記事って、今ではなくなりましたよねぇ。

 いつまで待っても静岡放送がリストに上がって来ないもんだから、今度は、リストに載っている局がほんとうに静岡では受信できないのかどうか調べたりもしました。フジテレビなんかはご近所なわけだし。それで、火曜日の夕方になるとチャンネルを8とかよその局に合わせてTVをつけてみるんですが、見えるのは砂の嵐ばっかり。だいたい、当時のTVはとても受信が甘くって、見えるはずの局でさえよく見えなかったりしたんです(この話しはまたあとで)。それでも時々は、かなたから清水マリさんの声が聞こえてくるような気がして、ノイズに聞き入ってしまったりして(...^_^;)。今となっては個人的な伝説なんですが。
 このことを思い出すたびに、自分ってほんとにヘンな奴って思ってたんですが、そうでもないみたいなんですよね。ホイチョイの本にも、フジテレビが見たいって親に頼んだって話しが書いてありました(文献00)。北海道だから見られないんだってば。で、買って来てくれたのが富士電機のTV(爆)。そりゃ確かに富士のTVだけど。みんなやることは同じだったんですね。
 これって、コンピュータを持ってない人が大好きなTV番組のクロージングでよくテロップしてる番組の公式サイトのアドレスを恨めしげに見ている(のかなぁやっぱり)のに似てるかも。

 昔のTVの放送というと、編成替えのすき間の、[TV探偵団]系の特番なんかでよく話題になりますよね。でも、当時は、各地域の局はそれぞれのやり方で放送をしてましたから、首都圏とそれぞれの地域とでは、同じ番組でも細かい所ではいろんな食い違いがあったはずです。
 静岡放送[アトム]にも、(特に初期は)いろいろと違っていた所があります。一つはオープニングです。オープニングは、ボーカルが入っていない楽器だけの演奏でした。それから、[アトム]のオープニングと言えば、普通は都市や雪山の中をどんどん飛んでいく映像が紹介されますが、静岡放送のは全く違ったバージョンでした。
 もう一つの違いは、2〜3か月の間だけですが、エピソードのタイトルが表示されていなかったことです。エピソードのタイトルが現われるようになったのは、第20話の[気体人間]の巻からです。もしかすると、各局がもらって来る番組のフィルムにはエピソードタイトルは入ってなくて、各局がその時間に送出する時点で、スーパーインポーズして乗せる方式になっていたのかもしれません。
 そのほか、抜かれて放送されなかったエピソードがどうもあったらしい([ゲルニカの巻]や[スフィンクスの巻]など少なくとも7話)とか、各話の順番がくい違ってたらしい(第7話の[アトム大使の巻]を連載の順番通りに第2回で放送している)とか、気になっている点がいくつかあるんですが、そこの話しについてはもっときちんと調べてからまたどっかでご報告したいと思います。

 話しは変わりますが、[アトム]の時代のTVって、どっか不安定なメディアでした。
 まず、機械が不安定でした。あのころのTVって、実はよく見えなかったんです。絵は暗いグレーから先の部分がストンて急に黒に落ちる感じでした。音も不鮮明で、会話が聞き取れないなんてこともよくありました。
 しかも、TVはすぐ見えなくなりました。もともと、TVってのは、機械の温度の上がり下がりによって絵の表示の同期が狂う機械です。同期が狂うとどうなるかと言うと、スクリーンの表示が斜めに流れたり上下に流れたりして、何が映っているのか分らなくなってしまいます。だから、番組を見ているうちに絵が見えなくなってしまって、慌ててつまみを回すことがよくありました。今のTVみたいに、放っておいてもずーっと見ていられるようになったのは、たぶん60年代の後半からです。
 放送局だって油断なりませんでした。静岡放送だけかもしれませんが、[アトム]で多かったのは、絵と音が1〜2秒ずれて、口パクが合わなくなっちゃうトラブルです。絵のフィルムと音のフィルム(またはテープ)が別々に配られてて、それを局の人が"せーの"で同時に回してたのかなぁ。そう言えば、もう少しあとの時期だけど、[バットマン]て海外ドラマを見てたら、途中からいきなり副音声なし(まだそんなもんないってば)の英語になっちゃって参ったこともあったなぁ。
 こうして思い出してみると、60年代のTVって、ちょうど、ぎりぎりのメモリでQuickTimeとswfがてんこ盛りのウェブをプレリリース版(そうですプレリリース版ですってば)のNetscape6で見に行ってるみたいな感じです。コンピュータもいつかTVになれるのかなぁ。
 それはさて置き、そういうわけで、この時代のTVの記憶って、かなり再編集、入ってます。今こうして思い出している絵や音なんかが、実際に放送されていたのか、それとも、実は自分の妄想で、その時スクリーンには何も映ってはいなかったのか、疑い始めるとコワいです。この時期のTV史って、現代史にしちゃ珍しく、遺物も記録も残ってない、"闇の奥"(ないし闇打つ心臓)ですね。



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