私にはもうひとつの影の顔がある。ささやかなウィークエンド、私は裏寂れた街角にたたずむ孤独な映画監督である。
これまで、いくつの映画を世に送り出してきたことだろうか(→
□)。映画といっても
[単子葉植物の生活史] なんて種類のではない。
[上も×ぎます、下も×ぎます] なんて言うのとも違う。もちろん、あの、本屋の若旦那がよく作っている
[天国にいちばん×い島] みたいな美少女映画でもない。もっと手作りな、もっとマイナーな映画、そう、10年ちょっと前に流行ってて、マイホームパパが坊やの成長記録かなんかを撮影していたあの
8mm映画である。
表の顔と裏の顔との、このあまりに絶妙な取り合わせに人々はあるいは当惑しあるいは混乱する。仕方のないことである。本人さえもしばしばふじぎに思うことがなくもない。まあ、プログラミングも映画を作るのも似たようなものかもしれない。没頭している最中は何ができるのか想像がつかなくて、そのくせ周囲に対してはいつも、これこそが生涯で最高の会心の作品だなんて言いふらす。結局、最後はバグ取りに追われるはめになる所まで。
最近では、ビデオに追われて落ち目とか言われている
8mmではあるが、これで結構間口が広く奥は深い。芸術的なのから、
[太陽にほえろ] 的なのまで、日本各地のグループがそれぞれ意欲的に踏ん張っている。今年なんか、東京の某情報誌の主催による
8mm祭に、600本以上ものフィルムが寄せられていた。この
広島にも、
QMF(
クエスト-ムービー-ファクトリー)というグループがある。
QMFは、幟町にあるライブハウス
[クエスト]に出入りするアーティストたちによって1981年に結成された。以来3年で8本の映画を完成させている(→
□)。この
QMFこそが私の愛すべき悪の組織である。
映画を語るのに、その現場を以てするのは邪道であろうか。すでに2年前の夏のことである。その頃、
QMFでは、愛と冒険の一大活劇を目指して
[ロックじゃ遅すぎる!] プロジェクトが進行しつつあった。スタッフは仕事の合間を縫い、撮影にはたまた録音に忙しい週末を送っていた。ある晩、
QMFのアジト
[クエスト]のマスターで、
QMFの団長でもある
光藤氏カッコ仮名がにこにこ笑いながら私たちに話しかけてきた。
のう、Hテレからさっき電話があってのう、QMFの活動風景を取材したい言いよるんじゃが、来週はドンパチの撮影やることになっとったじゃろ。うまく行けばわしらもメジャーよ、メジャー。のっ!!!
全員がこの話を聞いてもう大喜びしたことは言うまでもない。
さて、取材の前日は、役者もスタッフも全員が
店に泊まり込んで、一人も寝坊しないように翌朝の撮影を待った。
QMFには明石のとは違うある種の標準時があり、いつもならば、打合せ通りの時間に全員が集合できたことは最近でさえ一度としてない。泊まり込んでの待機は言わば必然の成り行きである。
いよいよ取材の朝が訪れた。われわれは意気揚々と2台の車に分乗して、予定の撮影現場に向かった。移動車の中はいつもより窮屈していた。普段であればいちいち使いもしないはずのミーハー的機器がトランクと言わず座席と言わず所狭しと詰め込まれていたためである。
何じゃっ!!! お主、パラボラなんか持ってたんか。初めて見たでっ。
手前だって、何でバッテリーライトなんか下げてんだ? 昼間の撮影なのに!!!
半欠けレフ板ばっかじゃみっともなかろーが。
見に来るのはプロなんだぜ、見え見えの格好つけんじゃないって。
とまあこんなやりとりが車内では続いていたが、ともかく、車は現場についた。見れば、局の車はもう先に来ていて、カメラポジションを確保して待ち構えている。
うちのメンバーはマスコミ慣れなんかしていないマイナーだから、はっきり言って全身をかちかちにこわばらせながら、無意味に重たい撮影機材を担いでセッティングを始めた。
その日の撮影は、主人公が謎の人物から初めての射撃の手ほどきを受ける場面である。銃を撃つとはいっても、まさかたかが撮影のために実弾を撃ちまくるわけにはいかないし、大体
QMFのスタッフの中には本物のガバメントを持ってる奴なんかいるわけがない。当然お世話になるのは、あの MG× のモデルガンである。加えて、弾があたって土煙が上がる効果を出すために、土の中に仕込む爆竹も準備した。映画の中のシーンとしてはもちろん、撮影現場そのものもなかなか派手でテレビに映るにはもう打ってつけである。
このカットでは、遠景の銃を撃つ主人公と、その弾が当たってはなばなしく土煙を上げる手前の地面とが一緒にカメラに入る。当然、銃が火を吹くのと土煙が上がるのとはシンクロしなければならないわけで、そのために忙しい段取りがあらかじめ決められていた。つまり、係が撮影開始の直前に着弾点の爆竹に火を点け、大急ぎでカメラから見えない所まで避難し、続いて主人公の役者がタイミングを見計らって銃を撃つ芝居をするという次第である。
いよいよ全員が位置について本番が始まった。うちのカメラはもちろん、局のビデオカメラも景気よく回っている。爆竹に火が点けられ、主演の役者は思いっ切りモデルガンの引き金を絞った。が、銃声がしない。役者は慌ててもう一度引き金を引いた。銃は相変わらずのほほんと黙りこくっている。その場はNGにして、銃を調べてみた。何と、火薬が湿っている。前の晩から、スタッフたちが泊まり込んで狭苦しい真夏の
[クエスト]に持ちこんでいたので、店の湿気に当たってしまったのだ。いつかは火が点くだろうと、それからNGに継ぐNGを延々12回繰り返したが、モデルガンの方がOKなら爆竹がだめ、爆竹が吹っ飛べば銃の方が鳴かないといった調子でまるで撮影が進まない。とうとう、テレビ局のスタッフたちは引き上げてしまった。
その後さらにNGを重ねて最後はOKが出たが、むろんこれは私たちの熱意に天が味方したわけではなく、ただ日が高くなって温度が上がり、さすがの火薬も乾いたというだけのことである。せっかくの名場面になるはずだった現場は、テレビではオンエアされず了いだった。
過去はいつでも美しいとの言葉の通り、この失敗も今となっては懐かしく思われるが、そのほかにもむやみと懐かしい、思い出の多い夏だった。
映画は、語るには美しく、関わり合うにはあまりに悲しい。そして私はなお、街角にたたずむ一人の孤独な映画監督である。