戻る 知らぬは亭主の小便組  (情報の非対称性)


「情報の非対称性」(asymmetric information) と云う言葉がある。 当事者二人の間において、 それぞれが所有する情報量に格差がある。 あるいは濃淡があることを示す言葉である。
 何と難しい言葉かとたじろぎそうになるが、 簡単に云うと 「知らぬは亭主ばかりなり」 と云う意味に過ぎない。 女房は生まれついての浮気女。 あちこちの男を誘っては間男にしている。 長屋中、 町中そのことを知らぬ者はいない。 しかし、 その亭主だけはそのことを全く知らない。 これが 「知らぬは亭主ばかりなり」 だが、 この場合夫婦間には情報量に物凄い格差がある。 情報量が非対称である。
 これ程まででなくても、 夫婦間の情報の非対称性はさほど珍しいことではない。 長い長い恋愛期間を経た後に結ばれた二人であっても、 お互いにお互いのことを充分知ってはいない。 新婚旅行から帰った成田空港で、 「こんな人とは知らなかった」 と離婚してしまう。 いわゆる成田離婚が起きる。 「結婚は誤解の上に成り立っている」 と云う言葉もあった。 所詮、 夫婦間において情報は 「非対称」 なのである。
 この情報の非対称性という語は、 もともとは米国の経済学者が云い出した言葉で、 商取引する二人の当事者 (経済主体) 間において、 取り引きをする商品に関する情報が本質的に不均等であり、 濃淡があることを云う言葉である。 一般に売手は買手より多くの情報を持っている。 このため中国産のウナギを浜松産と云って売るような産地偽装が起こったり、 薬効のないインチキな薬を法外な高値で買ったりするようなことが起こる。 逆に、 買手には不安があるから激しく買い叩いたり、 買うのを止めてしまって市場が成り立たなくなったりもすることを論じた言葉である。
 だから、 経済社会では、 すべからく当事者は全く同じ情報を同じように持っているのが望ましいと考え、 情報格差が生む弊害を法の力を用いてなくしてゆこうと考える。 政府は消費者庁を作って消費者保護をし、 インサイダー取引は不公正として刑罰の対象にし、 情報公開制度を設けて総ての公的情報は公開されるものとする。
 しかし、 総ての情報が完全無欠に、 総ての人に共有される社会なんてありうるだろうか、 世の中、 そんなことは絶対に物理的に不可能であると思っている。 例えてみれば、 情報とは大きな池に投げ込まれた小石の波紋。 本質的に局所的であり一過的なものである。 池全体に均等に、 しかも永続的に波紋が及ぶことはあり得ないからである。
 現代の素粒子理論も、 この宇宙は 「対称性の破れによって生まれた」 と述べているではないか。?

  常磐御前雪中行  江戸川柳に 「子のために常磐 (ときわ) 小便組となり」 と云うのがある。 常磐御前は源義朝との間に儲けた今若・乙若・牛若の3人の子供の命を守るために、 心ならずも平清盛に身をゆだねたと云う故事を詠んだもので、 ここに、 小便組と云うのは妾(めかけ) を云う俗語である。
 何故、 妾のことを小便組と云うのかについては説明が必要である。 頃は江戸末期の爛熟した文化文政の時代、 当時の社会風俗に、 大金を受け取って妾になり、 頃合いを見て、 房中でわざと寝小便をして布団をずぶ濡れにし、 お暇を出されるように仕向けるという一種の詐欺行為をする女たちがいた。 彼女らのことを 「小便組」 といったのが、 いつしか広く、 妾一般を指す言葉として使われていったらしい。
「やったらと茶を呑む妾、 出る気なり」 「たれる晩、古い小袖を二つ着る」
”いざ出陣” である。 こんな川柳まである程だから、 この種の詐欺は決して珍しい例ではなかったらしい。
 こうなると成田離婚などよりも、 はるかに壮大であり、 痛快である。



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