[ロレンツォのオイル]
(増補版)



96-10-01
石原亘
京都造形芸術大学 総合環境学研究室



 なぜ情報処理を学ぶといいのかうまく説明したいのだけど、それは一子相伝の奥義のようなもので、結論だけを説明しようとすると「廊下を走るな」というスローガンのようにしか伝えられないんじゃないかと思う。だから回りくどい説明をしよう。ヒントを教える、と言った方がいいかもしれない。
 まだ見たことがないんだったら「ロレンツォのオイル」は見ておかなくてはいけない映画だ。ある意味で、ここに描かれているのは本物の、しかもうんと上質の冒険小説だと言っていい。映画も本物だし、何と言ったって実話なのだ、ここに描かれている話は。
 主人公の夫妻は最近ワシントンに転勤してきたばかりだ。二人には小学校に通っているロレンツォという息子がいる。なぜかロレンツォは突然に気難しくなって、同級生とケンカしたりして、おかしな行動が目立ち始める。最初は原因がわからないけれど、やがてそれが分る。病気だった。碓実に死ぬ病気。長くて三年以内に死ぬ。誰もその治療法を知らない。
 ここから、普通だと病気と戦いやがて訪れる死を迎える家族の愛を謳いあげちゃう人間ドラマが始まるのだが、ちゃんと保証したようにこの話は冒険小説なのだ。前もって言っておくけどモデルになった少年はまだ死んでいない。発病した時に小学生だった彼も成人して今ではりっぱな青年だ(クレジットの中で説明がある)。なぜ彼は生き延びることができたのか説明するのがこの映画の最大のテーマなのだ。
 夫妻は一度は絶望するが、まず病気のメカニズムを知ろうとして資料を調べ始める。二人とも医学を専門に勉強したことはないアマチュアで、病気も人の体のことも何も知らない。しかし、専門書や膨大な論文を読みまくっているうちに、医者が説明しきれなかったことがいろいろと分ってくる。食事や体内の物質交代で有害な脂肪酸(ここでは脂肪そのものと同じと考えてもいいだろう)ができる。健康ならすぐに分解されてしまうのに、ロレンツォの体はそれを分解できない。溜まった脂肪酸はやがて神経を包むさやを溶かし始める。ちょうど電話の海底ケーブルの絶縁が腐食してなくなってしまった時のように、神経が情報を伝逮したり蓄積したりできなくなってしまうのだ。
 ここまでのことは医者も知っていた。医者は危険な脂肪酸を含む食品(ほとんどすべての食品!)を食べさせないように夫妻に勧める。しかし、食品から摂取しなくても有害な脂肪酸はどんどん体内で作られているのだ。しかも、なぜか食餌療法を始めたとたんに体内で合成される方の量が増え始めてしまい、事態はさらに深刻になる。ロレンツォはもう寝たきりになっていて、ものを飲み込むような単純な動作でさえ自分ではできなくなっている。
 病気に関する資料は全くないわけではない。むしろ多過ぎて一人では調べきれないくらいだ。しかしその資料が何であってどこにあるのか最初は全く分らない。何を調べればいいのか知るために知識を求め、その知識を得る方法を知るためにまた別の知識を求めるという作業が続く。夫妻は分担を決めてたがいに調査を進めていく。そして、ついにある動物実験の論文にたどりつく。脂肪酸を与える量を増やしたり減らしたりしたら、体内で合成される方の脂肪酸の量はそれを打ち消そうとするように反対方向に変化したというのだ。
 もちろん有害な脂肪酸そのものをロレンツォに与えるわけにはいかない。そこで、それに似ていて人体は区別できないが、実は別のものを摂取させるという方法が浮かび上がった。次は偽物として使える脂肪酸を探せばいい。そして、それが見つかるのだ。オリープ油の中から(イタリア出身の彼らにとって一番身近な)。しかしまだ終らない。これをほかの有害な脂肪酸を取り除いた状態にしなければならない(簡単なことではない。塩と砂糖が混ざってしまったのでさえ俺たちは素手では分けられないんだから)。
 映画では、このようにして夫妻が文献と人のネットワークの中から生き延びるための情報を見つけ出していくプロセスをスリリングに描いていく。その姿は筋書きと切り離してしまえばごくふつうに本を読み、電話で話しているだけにしか見えないが、まさに生存をかけた冒険だ。日常生活がただのニチジョーか冒険かは、結局意識の違いでしかないんじゃないだろうか。
 きみたちは今、芸術をする方法を学ぽうとして今ここにいる。だからきみたちはまず夫妻と同じように、必要なことを知り、それを必要な人に伝える方法を学ばなければいけない。自分が必要とする作品を自分で創造し統けていくということは、作家にとってはロレンツォが生き延びていくことと全く同じことなのだから。
 それにしてもこの話に出てくるエンジニアたちは格好いい。実にいい。第二の脂肪酸を菜種から袖出できる老エンジニアはじきに定年を迎えることになっていた。そんな時に夫妻から相談を受ける。引退までのタイムリミットをすべて費やして、彼は世界で初めての困難な脂肪酸の抽出に挑む。会社から帰ろうともしない。同僚たちも彼の健康を気づかうが休んで家に帰れとは言わない。「誰が止めさせるというんだ」「知らない。ともかくそれは俺じゃない」プロなのだ。知っているか。プロは professional だ。 profess というのは神に誓うことだ。自分の誇りにかけて全力で働くことを profess した者が professor であり、 professional なのだ。彼らはプロなのだ。なぜか反対に科学者というとこの映画にはどうもロクなやつが出てこない。ちょっとそれは違うんじゃないかと思うけど。
 最後になったけれど、この映画はどうやったら見ることができるのか、手始めにそれをぜひ考えてみてほしい。今、手元にある1994年度版の「びあシネマクラプ 洋画篇」で確認しているのだが、VHS、LD、8mmすべてが[未]になつている(再録注)というのはどういうわけなんだっつ!

☆「ロレンツォのオイル・命の詩(Lorenzo's Oil)」92年、U.S.、監督:ジョージ・ミラー、出演:ニック・ノルティ、スーザン・サランドン、ピーター・ユスチノフ、136分。


(再録注)
 その後、ジョージ・ミラーが監督した「ベイブ」(95)は大ヒットになりました。そのおかげで、彼の作品はレンタルビデオショップによってはコーナーができるほどになり、「ロレンツォのオイル・命の詩(Lorenzo's Oil)」もVHSができて自由に借りて見られるようになりました。
 1996年度版の「びあシネマクラプ 洋画篇」によると、LDもLDCから出ています。


この記事は下記の文献を増補再掲載したものです。

(00) 石原亘、"ロレンツォのオイル"、京都造形芸術大学総合環境、No.1、pp.70-72、(95-04-01)。


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