[アトム]の放送は大成功で、それから2年間以上にもおよぶ、いわゆるTVまんがブームの原点になりました。作品としての
[アトム]が優れていたから、というのはもちろんですが、まんががアニメーションとして映像化されたことの方が、見る側にとっては意義として大きかったと思います。
ほとんど同時(63-10-20〜、これは
フジの場合です。以下略)に[
鉄人28号]の放送が始まります。怪しい記憶ですが、
静岡放送では
[アトム]の翌日だったかもしれません。少し遅れて[
狼少年ケン](63-11-25〜)や[
8マン](または[エイトマン]。63-11-07〜)も始まりました。
この4作を表にまとめてみます。ちょっと見比べてみてください。
おもしろいことに、これって、当時の子どもがTVを見ていた時間帯を完全に網羅しています。つまり、外から帰ってきたらまずTVでまんがを見るって感じですね。親としては忙しい時間だから助かるしね。[
狼少年ケン]だけがちょっと特殊な時間帯ですが、日曜日って、かなり遅い時間でもまだふとんの中でTVを見ていて、[
スチャラカ社員]が始まったらやっと起きて着替えるっていう家は、きっと多かったんでしょう(少なくともウチはそうだった)。
今だったら、こういう番組って、18〜20時に組むもんだと思いますが、当時は既存のタイプの番組が押さえてました。きっと、TVまんがみたいな新しいタイプの番組はなかなか入り込めなかったんでしょう。
このころの18〜20時って言うと、
NHKは[こどもの時間]で始まります。[こどもの時間]は62年から始まった番組編成のコンセプトで、[みんなのうた]、[こどもニュース]、人形劇の[
チロリン村とくるみの木](64年から[
ひょっこりひょうたん島])、[ぼくもわたしも名探偵]みたいな曜日ごとの番組、連続ドラマ[黒百合城の兄弟]というラインアップでがっちり19時までを押さえていました。続いて19時からニュース、そしてクイズや[お笑い3人組]なんかがビシっと入ってました。TVがそもそもあんまり信用されてなくて、子どもも見ている時間に何か見るんだったら
NHKなら仕方ないって家は多かったと思います。
一方、東京のキー局は、18〜19時はニュースとか[マイティハーキュリー]みたいな10分まんがを細かくはめ込んでたようです。そして、19〜20時は[名犬ラッシー]なんかのファミリー番組をやってました。民放の18〜20時にTVまんがが食い込んでくるのは、TVまんががブームになる、このあとに続く時代になってからです。
スポンサーはまさにおかし1色です。[
8マン]だけちょっと毛色が変わってますけど。
丸美屋ってのはふりかけのメーカーです。当時は、[すきやき]/[のりたま]の2大製品でヒットを飛ばしていました。ふりかけと言ったら当時は親たちには顰蹙の商品で、子どもにしてみればおかしとそんなに変わらなかったと言えなくもありません。それと、[
8マン]と言ったら、話しが平井和正さん、もとの絵が桑田次郎さんで、大体がおとなびてます。そこにちょっと年齢層をずらしたマーケティングがあったのかもしれません。