国際ビデオアート賞96入選作Epitaphについての解説のページです



●昨年の「YIN-YANG」に引き続き,今年も中村滋延の映像音響詩「Epitaph」が,国際ビデオアート賞(Internationaler Videokunstpreis)に入選しました.
●世界中から700作品の応募があり,50作品が入選作として,10月と11月に南西ドイツ放送(SWF)とオーストリア放送(ORF)からテレビ放映されます.
●9月に50作品の中から賞が発表されます.


中村滋延:映像音響詩「EPITAPH」

タイトル
この作品のタイトルはEPITAPH for Video and electronic Soundといいます。

サブタイトル
サブタイトルとして、to memories of my father(私の父の思いでのために)という言葉がついています。

上映時間
上映時間は約8分です。

タイトル解説
タイトルのEPITAPHとは墓碑銘、つまり墓石などに刻まれた死者の経歴や事跡についての言葉、のことです。

タイトルにVideo and electronic Soundという言葉を敢えてつけたのは、この作品におけるサウンドトラックが特徴として電子音楽的な性格を持ち、つまり電子音楽的な作られ方をしていること、その音響が映像そのものの視覚的な要素と同じ程度に重要な意味を持つこと、を明らかにしておこうと思ったからです。

サブタイトルのto memories of my fatherは、タイトルのEPITAPH(墓碑銘)の対象が私の父であることを示しています。

作品の性格
この作品は、タイトル及びサブタイトルからも明らかなように、昨年秋になくなった私の父への私の個人的な思いを描いたものです。私はこの作品を父に捧げる「映像と電子音響によるレクイエム」と性格づけています。ちなみにレクイエムとは、日本語では魂を鎮める曲=鎮魂曲と言い、キリスト教の儀式で用いられる死者の霊を悼み・静めるための音楽のことです。もちろん、私の父も私自身もキリスト教徒ではありませんので、本来のレクイエムとは直接の関係はありません。

作品発想のきっかけ
この作品の制作を思い付いたのは、次の二つのことがキッカケになっています。 ひとつは、この春休み、父の遺品の中から、父自身が映っているホームビデオを発見したことです。もうひとつは、同じくこの春休みに必要があって、私が父の死の直後に作らざるを得なかった「風の響き、息の調べ」という音楽作品の映像パートを見直したことです。

父自身が映っているホームビデオの発見は、映像というメディアの持つ事実の再現性、つまり過去にあったことをあたかも今現在にあるかのように思わせる力、をまざまざと私に思い知らせてくれました。私は、そのビデオを見て、父の死後はじめて父の死に対して涙を流したのです。

「風の響き、息の調べ」の映像パートは抽象的な形をモチーフにしており、具体的なメッセージ性などは一切含まれていません。ところが、改めて見直した時に、その抽象的な形の中に、父の死の衝撃の影をいたるところに発見したのです。

そこで、私にとって父とは何であったのか、父の死とは何であったのか、これらのことを真剣に考えるためのひとつの手立てとして、父が映っているホームビデオと「風の響き、息の調べ」の映像パートを素材にした作品を作ろうと思ったのです。

制作にあたって留意したこと
自分自身、あるいは肉親をモチーフにした作品を作るときに陥りやすい過ちのひとつに、感情過多による構成破綻というモノがあります。この作品では、発想のキッカケやモチーフそのものが、安直に感情移入しやすいものであるだけに、感情過多による構成破綻を防ぐため、私は構成するということに徹して作品を作ろうと思ったのです。

作品構成上の意図
構成に主眼を置いた映像作りをするために私が取った最初の構成上の措置はモチーフの限定と言うことです。

ホームビデオからの父の姿は2種類しかありません。それもきわめて短いシーンです。ひとつは姿全体が映っている映像、もうひとつは顔が画面一杯に映っている映像です。そしてそれらの短いシーンは徹底して反復されています。

「風の響き、息の調べ」の映像パートからは性格が明確に異なる素材が5種類取られています。一つ目は冒頭に出てきたうねるように動く形、二つ目は画面中央でチカチカするように動く形、三つ目は左右に尾を引くようにゆっくり動く形、4つ目は縦に並んだ複数の太い線となって動く形、5つ目は左右上下に急速に動く形、の5種類です。

ホームビデオからの父の姿と「風の響き、息の調べ」の映像パートからの素材は、作品全体を通じて切れることなく重なっています。

ホームビデオからの父の姿は、姿全体が映っている映像が作品のほぼ全体にわたって繰り返されています。これは、ひとつの素材の繰り返しによって、構成上の統一性を意図しているからです。また、素材の徹底した繰り返し、すなわちミニマル化によって、ある特定のイメージの押しつけをを消し、それぞれの局面において見る者の自由なイメージに委ねるようにしています。

「風の響き、息の調べ」の映像パートからの素材は、ホームビデオからの父の姿と異なり、その素材の並べたかによって構成上の多様性を意図しています。その多様性は時間軸上の明確な区分をつくっています。この区分を意識することによって、見る者が視覚的な変化の面白さを感じるようにしています。

サウンドトラックにおいても、ほぼ映像面と同じことが言えます。ホームビデオの父の声は映像の父の姿と同じ構成上の役割を果たしています。電子音響は時間軸上の明確な区分を作るように働いています。

ただ、構成上の意図からは逸脱してもどうしても付け加えたくなったのが、最後の墓地のシーンと読経のサウンドです。構成的な意図からは整理がつかない、きわめて感情的な措置だと思います。自分自身でも気にかかっている部分です。




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