[月虹舎]


(イメージ)

ラストピクチャーショー
森島永年

http://www.infonet.co.jp/apt/March/Aki/LastShow/index.html




高雄 癖という言葉を辞書で引くと、かたよった嗜好または習慣、いつもあること、きまり、特徴、欠点、非難すべきこと、折れたり曲がったりしがちなこと、とあります。どう解釈しても癖っていうのは、いいことではないようです。人はよく癖んなると言います。一度ある店のケーキを食べておいしいと思うと、そのケーキ屋の前を素通り出来なくなったり、パチンコ屋に通い出すと、夜寝ていてもパチンコ屋のあの騒音が響てくる。振られ癖というのもあって、一度振られると、二度も三度も振られ続けたりする。そうかと思うと、葬式癖なんて縁起でもない癖もあって、知り合いが一人死んで葬式の弔い服を作ると、親類や友人がバタバタ死んでみたりする。...これは全部僕の友人たちの話。で、僕の癖はといえば、映画です。町に何軒もない映画館にかかる映画は、全部観ないと気がすまない。その中でも、洋画のかかる映画館といえばたった一軒だけ。パラダイス劇場という名前からして、さぞ昔はにぎわったと思うんだけど、今ではさびれてしまって、日曜日になってもよっぽどの評判作じゃない限り、満席にはならない。そんな映画館です。僕が映画館に行くようになったきっかけは、もう誰でも思いあたることだと思います。現実の今、ここにいる僕とは別の、たった一枚のスクリーンの上に繰り広げられる少年と少女の話を観ているとき、現実を忘れることが出来たから、そのとき僕は学校での嫌なことや、今日やらなければいけない宿題や、部屋をきれいにしなさいと口うるさい母親や、他人よりもえらい人になれという父親を、すっかり忘れることが出来たのです。あれはたしか、リバイバルできていた「小さな恋のメロディ」でした。それから、毎月もらう小使いは全部映画に化けてしまって、そして今に至っているというわけです。 突然ですが、今日僕は一つ決心をしています。これは極めて珍しいことと言わなくてはなりません。僕は決心することが嫌いなのです。決心することは、義務とか責任とか、訳の分からないめんどくさいことがいっぱいつきまとってきて、そういった訳の分からない化物を相手に闘わなくてはならないかと思うとゾッとするのです。でも、今日、僕は一つの決心をしました。何んとなく高校を出て、高校の先生にすすめられるままに就職した工場で働く毎日。朝8時15分から夕方5時まで、リノリウムの床の減菌室で、螢光灯の下でレンズを磨く毎日を少しかえてみようと...。何故急にこんなことを思ったのか分かりません。というのは嘘です。本当は分かっているのです。今日が僕の誕生日だから、こんなことは理由になりませんか。では、僕の20回目の誕生日を祝ってくれる人が誰もいない、ということ。これも理由になりませんか。でも、僕は決心をしたのです。僕は今日痴漢になる。何故急に、こんな結論に至ったのか、まるで自分にも分からないのですが、きっといつか観た映画の影響かも知れません。確か、そんな映画があったような気がするのです。だから、僕は絶対にチカンをする。するといったら、する。別に、力を込めることもない気はしますけど、こう力を入れないと気力がなえてしまうような、そんな気分なんです。でも、人間って哀しいもんですね。いざチカンをしようと思っても、そのハレの舞台は、つい通い慣れた、あのパラダイス劇場しか思い浮かばないのです。(高雄、空中からポップコーンを取り出す)普段なら、僕は映画を見ながら何か食べたりすることはめったにありません。そういうことは何んとなく嫌なんです。自分の神聖な場所を汚してしまうような気分がして。そういえば、もう映画も始まっています。映画の途中から入ることもめったにはないことです。映画を途中から観たのでは、同じ映画でも違った映画に思えてくる、そうは思いませんか。でも、今日は特別の日なのですから、何もかも特別にしようと思っているのです。
 (間)実は、僕は今迷っています。今まで僕は、誰か他の人間と映画に来たことがありませんでした。そして、映画館さえ混んでいなければ、真中通路前から10列目、通路左側の席に座るのが習慣だったのです。そして、理想はスクリーンに没頭出来るように、隣りには誰も座っていないこと。しかし、今日チカンになろうとしている自分を考えるにあたって、当然隣に女性が存在することが、必要となります。そして、なおかつ僕は右利きですから、右側に女性が位置するような形で、席を確保する必要があり、要に付け加えるならば、その相手の女性は中学生以下では問題がありそうですし、かといって、あまり年をとっていてはこちらの触手が働きません。具体的に言えば、15才以上、30才未満の女性であること。ましてや、ここまで決心して、下手をすれば、警察ざたになる可能性があるわけですから、軽く触るぐらいで満足出来るはずはなく、となれば、当然、ジーパンではなく、スカートをはいてることが必要であり、更に、好みを言えば、「ローマの休日」のオードリーヘップバーンぐらいの美しさをもっていれば最高ですが、この点は、日本の風土を考えれば当然無理なので断念しようと思っています。ましてや、清純派ともなれば、触ったりすれば悲鳴をあげるだろうし...と、いっしょうけんめい考えに考えぬいて今、このパラダイス劇場へきてみると、何と女性客が一人もいないのです。今日はやめて帰ろうか、やめるというよりも、出来ないというのが本当かもしれませんが...もちろん、今日は僕の誕生日で、その・・僕の誕生日で・・特別な日だから・・今までの自分を断ち切る意味で、チカンになろうと...論理や空想と現実が一致しないのは、当然といえば、当然のことですが、それにしてもまあ、その、とりあえず、座るだけ座って映画でも観ながら結論を出そうと思うのです。(高雄、空中からタバコを取り出す。)ついでに言えば、僕は煙草がそんなに好きではありません。特に映画館の中で煙草を吸っている人間が大嫌いだ。映画館の中で煙草を吸うと、煙がスクリーンに映って、映画がはっきりと見えない。これは映画を楽しもうとする他の客への暴力だ。だから、今日は、めちゃくちゃで特別な日だから、煙草を吸おうと思います。(どかっと、席へ座る)   

   ところが、映画の画面を見ているうちに、引きよせられてポップコーンを食  べることも、煙草を吸うことも忘れてしまう。いつの間にか純子が来て隣に座  る。それすら意識していない。純子、ハンドバックから煙草を取り出して、

純子 火あります。
高雄 火ですか、えっ、ええどうぞ。(ライターを渡す。意識はスクリーンにいっている。)
純子 どうも...。(煙草に火をつけて、ライターを高雄に返す)ありがとう。
高雄 いえ。

    純子が、いきおいよく煙草を吹き出したので、高雄むせる。

純子 気になります。
高雄 はあ...。
純子 消しましょうか。
高雄 いえ。

    純子は煙草の火を消す。映画が続いている。純子が高雄の耳に口を寄せて聞く。

純子 あの人が主人公なの?
高雄 ええ、はい。
純子 そう。ちょっと肩貸してね。
高雄 えっ!?

    純子は、高雄の肩に頭をのせて寝てしまう。

高雄 あの、ちょっと...願ってもないチャンスというべきか、その・・まるで訳が 分からないうちに自分が望む状況になってしまって...(怖る、怖る手を伸ばす。スカートに触れる。)おうっ。(反対の手で股間を押さえる。)

    純子いきなり、高雄に抱きつき、泣きじゃくる。

純子 どうして、どうしてなのよ...!
高雄 はい、すみません。
純子 莫迦、莫迦!何故あやまるのよ!

    高雄にはまったく事情が分からない。

高雄 あの・・よく理由がのみこめないんですけど、とにかくポップコーン食べますか。(後の人間に)すみません、うるさくて。
純子 人なんてどうだっていいでしょ。放っときなさいよ。
高雄 でも...。
純子 あなたは、私のことだけ見てればいいの。何度言ったら分かるの。
高雄 でも、俺たち初対面ですよ。
純子 だから、どうだっていうの。
高雄 俺、あんたのこともよく知らないし...。
純子 どうせそうよ。でも、私はあなたが望んだから登場したんじゃない。あなた私に言ったでしょ。ここへ来て下さいって。
高雄 シッ、あんまり大きい声をしないで、他の人の迷惑になるから。
純子 他の人と私とどっちが大切なの。私が欲しくないの。
高雄 俺、困ります。
純子 何が困るのよ。困ることなんて全然ないでしょ。あっ、分かった。あなた私が新手の売春もちかけてると思っているんでしょ。
高雄 別にそんなこと思ってませんよ。
純子 だったら全然困ることないじゃない。
高雄 何か、話が飲み込めなくて...。
純子 鈍いのね、相変わらず。
高雄 初対面だって言ってるでしょ。
純子 そう、だったらいいわ。私、帰るから。あなたが、こんなひどい人だとは思わなかった。(泣き出す)
高雄 みっともないから泣くのやめてくれませんか。他の人の迷惑にもなるし...。
純子 他の人、他の人。いつも他人のことばっかり考えて暮らしているんだ。その他人というのは、自分とは、かかわらない他人ばっかりで、自分にかかわる人間はいくらでも悲しませていいと思っているんだ。あなたは、アフリカの人たちのことどう思います。飢餓で苦しんでいる。
高雄 可愛いそうだと思いますよ。
純子 その気持ちがあって、よく目の前で泣いてる女を放っとけるわね。
高雄 それとこれとは違うと思いますけど...。ちゃんと泣くのやめて下さいって言ってるんですよ。
純子 なぐさめてくれたっていいじゃない。
高雄 何で泣いているのか分からなくちゃ、なぐさめようもないでしょ。
純子 分かってるくせに、そうやっていじわるするんだ。(泣く)
高雄 何が分っているんですか。あなたは、俺のこと本当に知っているんですか。あの、この人、俺が泣かせてるわけじゃないですからね。
純子 また、そうやって言いわけをする。いつだって言いわけばっかり、本音はどうなの、本当の気持ち、正直に私にぶつけてきたことある。私、とことんあなたって人を見損なったわ。(泣く)あ〜っ!
高雄 どうしたんです。
純子 コンタクト落した。
高雄 えっ。(と言った拍子にポップコーンをばらまいてしまう)
純子 足、動かさないでね。今、さがすから。
高雄 はい。
純子 このポップコーンじゃまね。少し拾って下さる。
高雄 はい。
純子 足、動かさないでね。気をつけて。
高雄 あの俺達、別に変なことしてるわけじゃないですから。コンタクトレンズ拾ってるだけですから。
純子 何、弁解しているのよ。
高雄 うしろの席の人が誤解するといけないから。
純子 誤解させとけばいいでしょ。他人なんだから。最初から私たちのこと、恋人だと思ってるかもしれないでしょ。
高雄 でも、映画館の座席の下に女が、もぐり込んでごそごそやってたら、人は変だと思うでしょ。
純子 足、動かさないで。ポップコーン拾っちゃいなさいよ。高かったんだから、あのコンタクト。
高雄 はあ。
純子 いいわ。ポップコーン、私が拾うから、足少しあげといてくれる。その方が早いみたい。
高雄 こうですか。(少し足を持ち上げる)
純子 ええ。
高雄 何か、この体制の方が誤解が拡大するような気がするけど。
純子 まだ、そんなこと言ってるの。自主性というのがあるんですか、あなたには。
高雄 ありますよ、もちろん。ありますけど、時と場合によってでしょ。(後に)すみません、すぐ終わりますから。
純子 足を降ろさないで。
高雄 はい。
純子 ポップコーン受けとってくれる。
高雄 はい。
純子 ポップコーンなんて好きなの。
高雄 いえ。
純子 だったら、どうして買ったりしたの。
高雄 答えなくちゃいけませんか。
純子 別に答える必要なんてないわよ。
高雄 だったら、どうして聞くんです。
純子 拾うのがめんどくさいでしょ。あなたが、こんなものこぼすから。
高雄 別に、ばらまけるつもりで買ったんじゃないんですよ。
純子 結果が問題なの。過程はどうだっていいのよ。ばらまけるつもりで買ったんじゃないかもしれないけど、結果としてばらまいたじゃない。他人の迷惑ってこと考えたことあるのかしら。
高雄 他人を気にするなといったのは、あなたです。
純子 だったら、ポップコーンが好きなの。
高雄 いえ、どちらかといえば嫌いです。
純子 そこが変なのよ。ポップコーンが好きで買ってばらまいたなら、私だって納得するわよ。でも、好きでもないポップコーンばらまいてどうするの。本気で食べるつもりだったの。
高雄 そりゃ...。
純子 世界には、ろくに物を食べられないで、苦労している人たちがいっぱいいるの。そういう人たちのこと考えてみたことないの。食べもしないものバラまいて、そういう趣味なの。
高雄 何か買ったり、食べたりするたびにそんなこと考えなくちゃ、いけないんですか。
純子 もちろんよ。その為に、人間には、理性とか判断とかあるんじゃないの。足おろさないでね。
高雄 まだ、みつからないんですか。
純子 暗いからよく分からないのよ。
高雄 俺も手伝いましょうか。足あげてるの、そろそろ限界だし。
純子 前の席に押しつけるか、横に投げ出しておけばいいじゃない。
高雄 あっ、そうか。
純子 馬鹿ね。
高雄 でも、それだけじゃなくて、いつまでもこんなことごそごそやってると、本当に他の人に変に思われるから。
純子 その時は、あなたが一言いえばいいのよ。今、彼女はコンタクトをさがしてますって。
高雄 そりゃ、言います。言いますけど、言ったからって信用してもらえるかどうかは別問題でしょ。それに、映画観てるようじゃないし...。
純子 この非常時に、まだ映画観ようなんて思ってるの。映画なんて何度でもやるんだから、もう一度観ればいいじゃない。
高雄 そういうもんじゃないでしょ。映画って、もっと純粋で、観る時のこっちのコンディションや、劇場にいる人の数によっても全然違ってきてしまう。そういうもんじゃないんですか。
純子 たかだか、スクリーンに影が映ってるだけよ。
高雄 そんな。
純子 足をおろさないでって言ってるでしょ。本当に、ききわけのない子供と同じね。ポップコーンはボロボロこぼすし、どういう育てられ方をしてきたのかしら。
高雄 教育問題まで、話し合わなくちゃいけないんですか。
純子 そんなに大げさな言い方はしていないわよ。どういう育てられ方をしてきたのか   な、と思っただけのこと。今、キラッと光って見えたような気がするの。足おろさないでね。
高雄 目が悪くて、さがせるんですか。
純子 本当は、私だってこんな汚い床の上はいずりまわって、コンタクトさがしたりしたくないわよ。でもしょうがないでしょ。あなたがあんまり分からない
ことばかり言うから...。
高雄 俺、別に何もあなたに言ってませんけど...。
純子 全然分かってないのね。馬鹿みちゃった、そんな人だと思わなかった。おかげで、こっちはコンタクトさがしで床をはいずり回らなくちゃならないんだわ。
高雄 俺、何時あなたに何か言いました。何も言ってないでしょ。
純子 言葉ではね。いいのよ、気にしなくて、もう...。私が間違っていたんだから。
高雄 スカート。
純子 えっ。
高雄 スカートに光ってるものが。ちょっと待って、動かないで、(コンタクトを取り)これ違いますか。
純子 あっ、ありがとう。(コンタクトを入れ、席に座り直す)説明したら。
高雄 誰にです。
純子 うしろの人に、コンタクト見つかりましたよって。しきりに弁解してたじゃない。高雄 移っちゃいましたよ。俺たちがうるさいから。
純子 で、どうするの。
高雄 どうするって。
純子 席、あなたが移るの、私が移るの。もう私のこと、嫌いになっちゃったんでしょ。
高雄 別に、そんな。
純子 どっちかが、決めなくちゃならないのでしょ。もう、お互いの心が通っていなかったことが、確認出来たんだから。
高雄 そんなに大げさな言い方しないで下さい。まるで、恋人が別れるみたいな言い方じゃないですか...。俺は別に、びっくりしただけで、もしあなたが気に入らないんだったら、俺、席移りますけど。
純子 最初にこの席にいたのは、あなたなんだから、決定権はあなたにあるの。あなたが望むようにすればいいんだと思うわ。
高雄 俺は、あなたがここにいてくれても、迷惑じゃないし、あんまりびっくりする発言さえさしひかえてもらえれば、かえってうれしいくらいで、よく分んないってのが本当なんです。女の人と映画観るの初めてだから。
純子 私もこの席、気に入っているの。じゃあ、このままでいようか。

    映画を観ている2人、まるで恋人同志のよう。

高雄 いいですか、話しかけて。
純子 映画観なくていいの。
高雄 ほんとうは、この映画3回目なんです観るの。・・だから、そんなに、観なくても分かってるんです。
純子 まわりの人は。
高雄 小さい声で話せば分かりません。それに、今日は空いててガラガラだ。自分が映画観る時の思い入れが強過ぎるからかな。画面みないで、喋ってるカップルがいたりすると、イライラしたことが何度もあったから。それに...

純子 それに...。
高雄 本当は今日は、映画を観に来たんしじゃないから...。
純子 そう。
高雄 びっくりしないで下さいね。本当はチカンをしにきたんです。
純子 そう。
高雄 何故だか分からないけど、今日はチカンになるんだって決めて、それで...。
純子 あの主人公、死んじゃうの。
高雄 ええ。
純子 可哀そうね。
高雄 あんまり、びっくりしないんですね。
純子 だって、知ってたもの。肩に手、まわしてくれる。
高雄 こうですか。
純子 暖かい。思ってた通りだった。暖かい手してるんだろうなって...。
高雄 知ってたって、どういうことなんですか。
純子 劇場の扉を開けて中へ入ったら、あなたの席から、あなたの背中が私に語りかけたの。ここへ来て下さい。僕の隣の席へ座って下さいって。
高雄 そんなもんかな。
純子 特別な日だったんでしょ。
高雄 ええ。
純子 私にも特別な日だったの。
高雄 そうですか。
純子 もう、チカンしなくていいの。
高雄 えっ。
純子 チカンになるって、来たんでしょ。そう決心して...。
高雄 まあ。でも...。
純子 したけりゃしてもいいわよ。私相手でいいのなら。
高雄 もう、いいです。何だか、そんな気なくなっちゃった。
純子 そう。
高雄 あなたの特別な日って、どういう日だったんです。
純子 似たようなもの。きっと、あなたと...。
高雄 そうかな。
純子 みんな持ってるのよ。そういう特別な日って。毎日、毎日が同じようでて、いつかめぐり合うの、そういう特別な日に。
高雄 俺で、力になれますか。
純子 手が暖かいわ。
高雄 アフリカとか、そういったことは、別にかまわないんですか。
純子 今は手が暖かいだけで、十分気持ちがいいわ。
高雄 映画終わったら、お茶でも飲みませんか。
純子 ええ。いいわね。
高雄 俺...。
純子 映画観ましょう。肩かしてくれる。もう、あとわずかで終わりかもしれないけど、きっと、私この映画のこと忘れないと思うの...。(高雄の肩に、
頭をもたれかけさせる)

    ゆっくりと暗転する。明るくなると高雄一人だけ。

高雄  僕の手が暖かいといってくれたのと同じように、彼女の髪の匂いが心持ちよくて、いつの間にか僕は眠ってしまっていました。気がつくと、ちょうど映画が終わって、場内が明るくなる時でした。スクリーンには、スタッフの名前が、場内の明かりに消されようとしていて、隣で、僕の腕の中で映画を観ていたはずの、あの不思議な女の人はもういませんでした。まるで・・ちょうど、映画館の明るさの中では消えてしまう、スクリーンのこの輝きのように。
 その日から、僕はあまり映画を観なくなりました。映画の中の人生を生きるよりも、もっと特別な日があるんじゃないか、と思えるようになったんです。それでも、時々パラダイス劇場へいってあの席へ座るのですが、きっと、彼女の特別な日は、映画館の中にはないのでしょう。彼女の姿は見えませんでした。それとも、みんなもっと、別の何か、特別なことがあるのでしょうか。

     映画のベルが鳴る。

     純子登場。

純子 ここ、空いてます。
高雄 ええ。
純子 手は、まだ暖かいですか。
高雄 たぶん、きっと...。

暗転、映画が始まる。


1986,6,19



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