[月虹舎]


(イメージ)

カサブランカ
森島永年

http://www.infonet.co.jp/apt/March/Aki/CasaBlanca/index.html




 カフェバー的なムードのレストラン。28〜29の男が、客が入って来るたびに立ち上がりかけたり、キョロキョロとあたりを見回している。テーブルには、水が2つ。自分の方にはコーヒーが置いてある。テレホンクラブの相手を待っているのだが、相手が少し遅れているのと、自分が約束の時間よりも30分も早く来過ぎたために、手持ちぶさたになっているのだ。ピアノの曲が静かになっているのが、男の姿と対称的で、妙にもの悲しい。胸のポケットに差してある真赤な目印のハンケチを、時々神経質にいじりまわしている。

 稔 いくら何でも遅すぎるよな...(ポケットからマッチを取り出し)「今夜あなたとゆっくりお話したいの。テレホンクラブ,カサブランカ」街頭でもらったこのマッチ。カサブランカって名前にひかれてつい電話しちゃったんだけど――内気で、映画ぐらいしか趣味のない俺に何んとなくぴったりの名前に思えたんだ。
―あの、こういうの初めてなんですけど...。
―当カサブランカでは、自由恋愛制をむねとしております。当カサブランカでは、会員の皆様を御紹介するだけです。それから先は、相互の意志が尊重されることになります。
―はあ、それでですね。どうすれば...。
―どういうお趣味で...。
―映画なんですけど、
―えっ?
―映画ぐらいしか趣味がないんですけど...。
―そうじゃなくて、女性の好みについておうかがいしているんですが...。
―イングリットバーグマンとか、オードリーヘップバーン。
―あいにくと、当クラブにはアングロサクソン系の外人の登録は、現在のところありませんが...。
―いえ、今のは理想論で、...あの...別に...しいて言えば映画の好きな女の子で、俺、今28才なんだけど年下なら...。
―映画が趣味の年下の女の子ですね。分かりました。それでは、入会金をこれから言う口座に振り込んで下さい。入金がありしだい、場所と時間を御連絡します。それと、初めて会う時には、胸に赤いハンケチを刺しておいて下さい。彼女との合言葉は、「きみの瞳に乾杯」です。
 入会金と称する金を相手の指定する口座に振り込んで、連絡してきたのが、この店だ。ところが、約束の時間を30分過ぎても相手は現われないときている。
美穂 この席よろしいかしら。
 稔 はい。いえ、あのこの席、人が来ることになっているんですけど...。
美穂 ねえ、もう一度あの唄を唄ってくれる。
 稔 はい?
美穂 10年前に歯にブリッジをしていた私のことを忘れてしまったの。
 稔 あの...もしかして...。
 美穂は、ニコニコしているが、どう見ても女子高生。
 稔 (ぐっとためて、まわりを見まわし)いくら。
美穂 いきなり、こんなところで、何言い出すのよ。
 稔 すみません。慣れていないもんで...。
美穂 せっかく、受付の君子さんが気をきかせて、ロマンチックな合言葉決めてくれたのに、ムードもなにもぶち壊しじゃない。
 稔 あっ、そうか。...きみの瞳に乾杯。
美穂 もっと、ムードのある言い方出来ないの。だてに年くってるんじゃないんでしょ。
 稔 すみません。慣れてないもんで...。
美穂 あなたって、さっきからそのセリフばっかりね。
 稔 はあ...。
美穂 映画の好きな人だっていうから、少しは期待してきたのになあ。いつもにくらべりゃ、年だって若いし...。
 稔 そういうきみだって、まだ子供じゃないか。それで信じられなかったんだよ。
美穂 年寄から見れば、若者はみんな子供よ。でも、年寄が手に入れようとしてどうしても手に入らないものが若さなのよ。
 稔 子供が見れば、大人は老けて見えるものさ。
美穂 そうかしら、いつまでも、女から見れば、大人になりきれないのが、男だと思うけど。
 稔 残念だな。2人きりだったら、思いきり尻をひっぱたいてやるところだが...。美穂 だって、大人の紳士が、若いレディを飢え死にさせるの。
 稔 (いきなり自分に戻って)あっそう。そうなんだよな、きみ食事まだなんだろ。あの、すみません、メニュー下さい。
美穂 まず、ビールでいいわ。
 稔 あっ、あの、ビール下さい。すみません、慣れてないもんですから...。でも、きみ未成年なんだろ。いいのか、ビールなんか飲んで...。
美穂 この間、小学生の子に言われたわ。女は15才過ぎたら、もうお終いだって。
 稔 どういうことなんだ。
美穂 恋をすれば自分を忘れるようになるし、崖に立っていても気付かなくなる。でも、崖っぷちでも、現実にしがみついて離れられなくなるって、...きっと本人も意味は分かってないんでしょうけど...。
 稔 最近の小学生はませたことを言うんだな。俺にも、分からんことを言いやがる。
美穂 そういうことを言って見たい年頃なのよ。ねぇ、笑ってみて...。笑ってみてったら。

 稔、笑ってみせる。そこへウェイターが、ビールを持って来る。稔は、笑い顔の処理に困って。

 稔 あの、彼女が虫歯の治療はうまくいったのかって、見たいというもんだから。...ハハハハハ...。

 ウェイター何も言わず、2人にグラスを出し、ビールをそそぐ。

 稔 歯医者が言うんだよ。あなたみたいながまん強い患者さんは見たことがありませんて。ついうっかり、麻酔をするのを忘れたまま治療したんですけど、痛いとも言いませんでしたねって。実は、あの機械が、キーンとうなり始めたとたん失神してたんだけど...。

 ウェイター何も言わず、レシートを置いて去る。

美穂 その話、本当?
 稔 冗談に決まっているだろ。
美穂 ホントは本当なんじゃないの。
 稔 大人をからかうのはいいかげんにしろよな。
美穂 せっかく、ビールが来たんだから乾杯しましょう。
 稔 本当は、きみいくつ。
美穂 いくつに見える。
 稔 年令あてクイズやってるんじゃないんだから、正直に言いなさい。
美穂 父親みたいな言い方するのね。じゃあ、本当のこと言うわ。31才。
 稔 嘘だろ。
美穂 嘘に決まっているじゃない。もしも、今の私が31才だとしたら絶望だわ。
 稔 何てこまっしゃくれた娘なんだ。
美穂 怒ったの?
 稔 別にそんなことはないけれど...。
美穂 女は嘘をつく動物だって、教科書で習わなかった。
 稔 何の教科書にのっているんだ。
美穂 もちろん生物の教科書よ。
 稔 残念ながら、僕たちの頃と教科書が違うらしいね。僕たちの教科書には、そんな教訓的なことはのっていなかった。カエルとかDNAとか、そんな話ばっかりだった。 美穂 で、どうするの。
 稔 何が。
美穂 乾杯するんでしょ。
 稔 ああ、ごめん。乾杯。

 グラスをあわせると、稔は一息でビールを飲んでしまう。

美穂 ふ〜ん、そうか。男と女がグラスを合わせる時って、もっとロマンチックなもんだと思っていた。こうやって、現実を一つ一つ知っていくことが、きっと大人になるってことなのね。
 稔 きみは、注釈をつけないと、ビールも飲めないのか。
美穂 そんな怖い顔しないで、ねっ、今晩は2人で楽しむためにあるんだから。
 稔 何か、そういう気分じゃなくなってきたよ。
美穂 罪の意識なんて持つ必要ないのよ。私の年が若いのは、あなたのせいじゃないんだから。
 稔 そりゃそうだけど、きみ名前は?
美穂 自分の名前は教えないで、私にだけたずねるの。
 稔 分かった、分かった、高杉稔、28才と10ケ月。会社員。独身。ついでに年収も教えようか。
美穂 ガールフレンドは? いるの?
 稔 えっ、まあ...。
美穂 いたけれど、別れた。でなけりゃ、あんなところへ電話してこないわよね。違う。 稔 違う...いや、違わない。悪かったな。
美穂 私は、美穂。
 稔 こういう商売始めて長いの。
美穂 不潔。なんか、その言い方すごく不潔だと思う。
 稔 別に、そういう意味で...まあ...そういう意味なんだけど...。
美穂 長いわよ。ざっと、10年ぐらいやっているかしら。
 稔 嘘だろ。
美穂 もちろん。ねえ、高杉さんて、煙草吸わないの。
 稔 ああ...。
美穂 煙草やめるの流行ってるから。男の人って、みんな一度は吸うでしょ。
 稔 体質に合わないもんだから...。一度吸ってそれっきり...。
美穂 なさけないわね。映画の中の役者さんて、みんな、カッコ良く煙草吸うじゃない。 稔 きっと、俺は脇役専門なんだよ。
美穂 だったら、泳げる?
 稔 山の中で育ったから、俺、泳げないんだ。
美穂 何も出来ないのね。まあ、いいか。「明日に向かって撃て」の中で、ロバートレッドフォードも「俺は泳げないんだ」って叫ぶところがあったものね。
 稔 ロバートレットフォードと一緒にしてくれてありがとう。今まで、誰も俺のことをロバートレットフォードと同格にあつかってくれたことがないからうれしいよ。何か食べる。夕食まだなんだろ。
美穂 私が本気で食べたら、高杉さん破産するわよ。
 稔 今夜は、どうなってもいい気分だよ。
美穂 でも、ここのお料理「料理より皿の方が高そうだし、ワインより瓶の方が高そうだ」と思わない。
 稔 「オリエント急行殺人事件」だろ。
美穂 私って、映画が好きなの。分かった。(ニッコリと笑う)

―暗転
明るくなると外。稔が美穂の背中をさすっている。

 稔 大丈夫かい。
美穂 思った通り。あの店、悪い油使ってるのよ。
 稔 そうかな。体調悪いんじゃないの。もう遅いし、帰った方がいいよ。
美穂 もう平気よ。ねえ、どのホテルにする。
 稔 いいよ。もう。
美穂 ダメよ。それじゃ、何のために会ったのか、分からなくなっちゃうじゃない。ほら、あそこなんてどう。ネオンがキラキラしてとてもきれい。
 稔 肩震わせながら、そんなセリフ吐くくらいなら、行かない方がいいよ。
美穂 考えすぎよ。
 稔 ほら、ネオンもきれいだけど、その上を見てごらんよ。もっと星がきれいだよ。俺が住んでたのは山奥だったから、天の河なんか、そりゃはっきり見えてさ。
街へ出て来てネオンや街灯の光で、星がぼんやりとしか見えないのは、とても淋しかったな。田舎にいた頃には、あんなに輝いて見えた小さな星たちが、都会へ来るとかすんで見えなくなってしまう。都会で見えるのは、大きく輝く、一等星や二等星だけだ。大きな希望を持ってやって来た街のはずなのに、やっぱり俺は星屑でしかなかったのかな、なんて。それでも星は見えないだけで、この宙の上に光輝いているはずなんだよな。
美穂 それで、セリフはおしまい。じゃ、ホテル行きましょ。(手をひっぱるが、稔は動かない)
 稔 美穂ちゃん。何でこんなことしてるの。そんなにお金が欲しいの。金が欲しいんだったら、ここにたいしては入ってないけど、サイフあるから持っていったら。
美穂 あんた、何言いたいの。
 稔 別に、―あの。
美穂 私を抱くつもりで、電話かけたんでしょ。ホテル行こう。
 稔 だけど、やっぱりよくないよ、こういうのって。そう思わないか。きみには、明日がある、未来がある。こんな生活してたら、やっぱりいけないと思うんだ。
美穂 明日考えるわ。
 稔 明日じゃ遅いかもしれないじゃないか。
美穂 ねえ、何言いたいの。
 稔 分んないよ!俺だって、28才の健康な青年だから、きみのこと抱きたいよ!抱きたいけど!―ほら、うまく説明は出来ないけど、―そういうことってあると思わないか!ごめん、どなったりして。
美穂 別にあやまることないわ。そうね、考えたら、ホテル行こう、ホテル行こうなんて、まるで、私セックスに飢えてるみたいに見えるわよね。
 稔 まあ、商売なんだからしようがないとは思うけど。
美穂 そんな風にしか見えないのかな、やっぱり。
 稔 いや、そんなことないよ。でも―。
美穂 でも、何なのよ。
 稔 事実は事実として、現にほら、つい今までホテルへ行こう、ホテルへ行こうって
―それはそのつまり、―商売の顔としてのきみだろ。本当のきみはそうじゃないかもしれないけど―俺としては、そう信じたいし、―でも、現実には、商売の顔をしたきみもいるわけだし、そのきみは現実の本当のきみとは違うけど、やっぱり現実として存在するわけだから、―止めよう。こういう話、苦手なんだ。
美穂 もっと話して。
 稔 いいよ、もう。
美穂 だって、いっしょうけんめい話をしている顔がおもしろいんだもの。
 稔 大人をからかうのか。
美穂 そんなことないって、それに、あんたの話聞いてると、心が落ちつくような気がするのよね。
 稔 俺は、きみの精神安定剤じゃないぜ。
美穂 さっきの星の話の続きやって、よかったわよ、あの話。
 稔 あれは、さっと心の中に浮かんだことで、―もうこれ以上話すことなんかないよ。美穂 ケチ。
 稔 別に、ケチってるわけじゃなくて―。
美穂 出しおしみしてるんでしょ。
 稔 聞いたってつまんないよ。
美穂 そんなの聞いてみなくちゃ、分からないじゃない。
 稔 本当につまらないぞ。
美穂 そう、つまらないつまらない、なんて繰り返されたら、おもしろい話しまでつまらなくなっちゃうわよ。別れた彼女の悪口でもいいわよ。
 稔 でも―。
美穂 また、「でも」なの。
 稔 でも、本当に夜も遅いんだから、親心配するよ。
美穂 心配してくれる親だったら、私がこんなことしてると思う。
 稔 それはそうだけど、でも、話が終わったら、本当に帰るんだよ。送っていくから。美穂 分別臭い大人の言い方なんて、私大嫌いだわ。
 稔 誰も好き好んで、分別じみた大人になるわけじゃないさ。ただ28年間も生きていると、いつの間にか、一歩一歩確実に分別じみた大人になっていってしまうんだ。それはそれで、しょうがないことだとは思わないか。きっと立場とか、仕事とか、そんなものがシミの様に体にへばりついていくんだと思う。映画の中の不良少年たちが、成長したらいったいどんな大人になるんだろうな、なんて時々思うことがあるんだ。「ウェストサイドストーリー」に登場した不良少年たちはどんな大人になっているんだろうか、とか、「アメリカン.グラフティ」の中の少年や少女は、今ごろは俺と同じように機械のセールスをやってノルマに追われたり、赤ん坊の泣き声にヒステリーをおこす母親になってたりするんじゃないかって―昔は悪役が好きだったな。人を殺すなんて何とも思わないような殺し屋。「俺は、師匠い人を信用するなと教えられた。だが、師匠は俺を信用した。だから、俺に殺された。師匠というのは俺の親父さ。」なんてセリフがすらっと吐けるような殺し屋にさ。でも、時々考えるんだ。あの悪人たちも、時々淋しくなって、人並みの生活をしたいなんて思ったりするんじゃないかって。でも、そんなことを考えたりすること事態が、大人になった証拠なんだと思うのさ。
美穂 大人って淋しいことなんだ。
 稔 だから、一人で暮らしていくことに耐えられなくなるんだ。
美穂 もっと聞かせて。
 稔 もう、話すことなんか何もないよ。ほら、―こんなつまらない男だから彼女にも逃げられちゃうのさ。「あんたって、つまんない人なんだもの」なんて捨てゼリフ残されてさ。
美穂 (笑って)そんなこと言われたの。
 稔 きみに何が分かるっていうんだ!最初からつまらないって言ってるだろ。子供に俺の気持ちなんか分かってたまるか!
美穂 でも、大人ではないかもしれないけど、女だわ。それじゃいけない。まだ、16才だけど、もうすぐ17才になるわ。恋の経験だって、セックスの経験だってあるわ。そうよ、私は子供かもしれないけど、いけない?―いい人は、いい人だなって思ったら、私の言ってるいい人って、あなたのことだけど。
 稔 ―ありがとう。でも、いい人ってのは結局、つまらない人間ってことなのさ。きっと、悪い部分もなくちゃ女心はときめかないのさ。悪い男は、「私がいてあげなきゃ、この人だめになっちゃう」なんて、思われてさ。それに流行もあるだろ。不倫が流行れば、不倫しなけりゃ時代おくれになるみたいな感じ、女ってあるわけでさ、結局、今の時代にいい人ってのは流行らないんだよ。
美穂 いい人でいいじゃない。
 稔 ない物ねだりなのかもしれないけど、その自分にはられた「いい人」ってラベルをはがしてしまいたくなる時があるんだ。まわりからはひどいやつだと思われるような悪党に時々、あこがれるのさ。女は泣かせるだけの存在で、それでいて女が寄ってきてしょうがない。そんな生き方が自分には絶対出来っこないと分かってるんだけど、―そういうのって、カッコいいと思わないか。
美穂 だったら、そんな風に生きてみたら、おもいっきり悪役やるの。まわりの女、片っぱしから手をつけて泣かせてやるの。
 稔 そんなにモテないよ、俺は。
美穂 一度決めたら、何だってできるわよ。意外とそんなもんじゃない。
 稔 自信ないよ、俺。
美穂 一度はモテたんでしょ。バスルームで転んだ人が、二度と風呂に入らなくならないわよ。
 稔 でも―。
美穂 また、「でも」なんだもの。ねえ、一度やって見せてよ。
 稔 何を?
美穂 その、あなたの思っている悪役のイメージで何か喋ってみて。
 稔 そんな、急に言われたって、―。
美穂 自信のないこと言わないで。よっ、「いい人」がんばれ。
 稔 やっぱりお前、俺のことからかって、楽しんでいるんだろ。
美穂 ごめん、ごめん。高杉さん、やってみて。
 稔 何か、俺って、乗せられやすい性格なのかな。―でも、俺、口下手なんだ。
美穂 舞台装置がないとうまく喋れないの。
 稔 すみません、慣れてないもんですから。
美穂 まず、そのペコペコ頭下げるの直した方がいいよ。
 稔 すみません、慣れてないんで...。
美穂 ほら、また。ねっ、私、相手役やってあげるから。その方がやりやすいでしょ。まず、自分がイメージしている男を頭の中に思い浮かべるの。浮かんだ。
 稔 だいたい。
美穂 そしたら、私ここに座ってるから、声かけて。
 稔 お嬢さん、どうしたんですか。
美穂 ちょっと悲しいことがあったの。
 稔 幸福は人に分け与えることが出来るが、悲嘆は分けてもらうことが出来ない。できれば、もらってあげたいんだが。
美穂 キザ。気持ち悪い。
 稔 キザかな。
美穂 そんなだから、ダメなのよ。もっと肩の力を抜いて。
 稔 だから、やっぱり無理なんだよ、俺には。
美穂 そんなことないって。もう一度やろ。
 稔 どうしたんです、お嬢さん。
美穂 別に、ただ座っていただけなの。
 稔 もし、僕でよかったら、話し相手ぐらいにはなりますけど...。
美穂 考えごとしていたの。
 稔 そう。
美穂 どうして、私のことじっと見るの。
 稔 きみは会うたびに美しくなる。
美穂 今、会ったばかりよ。
 稔 その間に美しくなった。
美穂 ちょっと、その歯の浮くようなセリフやめたら。食事に誘って、それから、ホテルに行けばいいのよ。簡単でしょ。
 稔 そんなの、恋じゃないじゃないか。
美穂 女捨てる男は恋なんてしないの。相手に恋心なんて持ったら、逃げられなくなっちゃうじゃない。
 稔 それはそうだけど、―俺はやっぱりいやだな。結局、俺はそういうのに向いてないんだよ。
美穂 だって、そういうのがあなたの理想なんでしょ。
 稔 持っていないものが好きなのさ。
美穂 逃げてるだけじゃない。そんなのって。
 稔 じゃあ、どうすればいいんだ。俺は俺でしかないんだよ。高杉稔、28才と10カ月。恋愛経験ほとんどなし、職業は農業機械のセールスマン。これが偽わらざる、俺の姿さ。プレーボーイの役は、結局、俺には向かないんだよ。
美穂 私を本気でくどいてみて。嘘はだめよ。
 稔 どうしてきみを―。
美穂 ほら、またそうやって考える。いちいち考えなくてもいいの。やってみて。
 稔 ――初めて会ったときから、いい娘だな、と思ったんだ。年がもっと近ければ、いい相手になれたかもしれない。もっと素直に抱けたかもしれない。
美穂 年のことなんて気にしなくていいのよ。
 稔 僕たちの間には、共通になるものが何もない。
美穂 映画があるわ。
 稔 でも――。
美穂 私が何人もの男と寝たことにこだわっているの。
 稔 いや、決してそんなつもりはない。
美穂 だったら、―。
 稔 僕はきみのことを何も知らない。
美穂 今、ここにいる私を好きになってくれればいいのよ。
 稔 好きだよ。
美穂 本当?
 稔 ああ。
美穂 だつたら、キスして。

 稔が、美穂にキスしようとすると、美穂は、それをさけて立つ。

美穂 やっぱりやめましょう。あなたの言う通り馬鹿げてるわ。もともと私って、馬鹿な娘なのよ。悲しい映画を観ると、もう一回観たくなるの。今度はハッピーエンドになるんじゃないかと思って。私ってそんな娘なのよ。馬鹿げてるでしょ。同級生のカッコ良い男の子にひっかけられて、妊娠して、おろすお金ためるのにテレホンクラブに入ったりして、―男の子には捨てられちゃうしさ。現実なんてそんなもんよ。人のこと、どうこういえる立場になんかないのよ。さっき、もどしたのは、つわりのせいなの。今晩あなたと寝れば、病院のお金ちょうどになるな、なんて、―計算高くて、ずるくて、そういう娘なの。
 稔 そういう娘は、いい人は嫌いかな?
美穂 えっ。
 稔 年の差があって、カッコ悪くて、いざとなると、歯の浮くようなセリフしか喋れない、28才と10ケ月の男は好みじゃないのかなって、聞いてみてくれるかな。美穂 きっと、そんなことないと思うけど――たぶん好きなんじゃない。ただ、自分が好きになってもらう資格がないんじゃないか、なんて少し思ってたりして、―きっと、そういうことだと思うけど。
 稔 じゃあ、その娘に伝えてくれないか。もう一度、悪役をやりたいんだって。
美穂 もう、あれは、おしまいよ。
 稔 今度の役はすごいんだ。16才の女の子を誘惑して、妊娠させて、その両親のところへ結婚の許しをもらいにいく役なんだ。ちょっと、すごみも出さなくちゃいけないし、プレーボーイ的でいて、誠実そうな一面も見せなくちゃならないという大役なんでね、ぜひとも彼女の協力が必要なんだ。そう言ってくれ。
美穂 馬鹿ね、そんな役、割があわな過ぎるわよ。
 稔 馬鹿な娘なんだろ。馬鹿で割があわない役者が、似合いだと思うけどな。
美穂 あなたの子供じゃないのよ。きっと、後悔するわ。
 稔 僕は、きみに話してるんじゃないよ。そのお馬鹿さんの女の子に話しをしてるんだ。協力してくれるかい。
美穂 「はいっ」といっています。本当にいいの。
 稔 ロバートレッドフォードにたとえてくれたのは、きみだけだからね、今まで会った女の子で。
美穂 本当に馬鹿なんだから。(稔に抱きつく)もう一度言って。
 稔 きみの瞳に乾杯。(キスをして)好きだよ。

 「時の過ぎゆくまま(AsTimeGoesBy)」流れる中、暗転




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