資料シート/[三月劇場]

[HyperCard]

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 80年代になってパーソナルコンピュータが登場すると、[Xanadu]のようなハイパテキストをパーソナルコンピュータを使って実現しようと考える人々がいっせいに働き始めた。
 84年に、Appleは新しいタイプのコンピュータとしてマックを発表した。この時、Appleはユーザが各自のマックのためのソフトウェアを開発できるように、HyperCardというエディタ/ブラウザを標準のソフトウェア設備として配布した。
 それまでの多くのパーソナルコンピュータでは、basic(=ベーシック)語というプログラミング言語によるプログラムのための各種のエディタ/ブラウザを装着していたが、ソフトウェアの開発にはあまり効果を上げていなかった。HyperCardはそれを改善するために採用された。
 HyperCardは、Atkinson(=アトキンソン、Bill -)がマックのために開発したソフトウェアで、いろんなソフトウェアを、なるべく部品の組み合わせだけで作れるように工夫されていた。つまり、プログラミング言語で作文をする、それまでのソフトウェアの作り方は、なるべくしなくてもすむようになっていた。そのために、ハイパテキストの考え方が導入されていた。
 HyperCardでは、カードと呼ばれる節のあちこちにボタンを配置することができる。このボタンは、読み手がボタンを叩くと、あらかじめそれぞれのボタンに作り込まれているしかけによって別のカードが呼び出されるようになっている。しかも、呼び出すカードはほかのファイルの中、それも、LANにつながっているほかのコンピュータのファイルの中にあってもかまわないことになっている。
 HyperCardには、このようなハイパテキスト機能のほかにも、スクリプト(ふつうならメニューやコマンドを通じて行なう操作を自動的にやらせるプログラム)を作って使うための機能や、検索、簡単な描画や演奏、書類の印刷などのいろんな機能が含まれていたので、マックの標準的な開発システムの一つとして広く使われるようになった。

 HyperCardが成功したので、[SuperCard]や[ExpandBook]などのよく似た機能をもつソフトウェアがほかにも開発された。また、マック以外のコンピュータでも[Green]や[Authorware]などのソフトウェアが開発された。しかし、これらのソフトウェアの多くは特定の機種でしか使うことができなかった([ExpandBook]や[Authorware]はいくつかのタイプのコンピュータで使えるようになった)。また、HyperCardと違って、使いたい人が自分でソフトウェアを買わなければならなかったので、その効果が十分に知れわたっていなかったこともあって、あまり普及しなかった。それに、マック以外のコンピュータでは複数のコンピュータをネットワークとしてつなぎ合わせることがまだ一般的ではなかったから、ほかののコンピュータのディスクの内容にリンクを張ることはできなかった。
 このような理由から、[HyperCard]も含めてこの時期の試みのほとんどは、Nelsonの提案のうちの一部しか実現できなかった。



ジャンクション

HyperCard Macintosh

マルチメディア演習  メディアテクノロジー論  石原ゼミ


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98-12-06

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