Niépceは、24年ごろに、のちにヘリオグラフ(Heriographe、太陽+作図)と名づけることになる、新しい写真の手法を発明した。Niépceが1826年(または27年とも)に撮影した[グラの窓からの眺め](▽図)は、世界で最も古い写真と言われている。
ヘリオグラフでは、感光材として、光が当たると硬くなる特殊なアスファルトを使う。これを金属板に塗って
カメラオブスクラの像を受けてから水で洗うと、像の暗い部分はアスファルトが落ち、明るい部分はアスファルトが残る。
ヘリオグラフは感度が非常に低く、日の出からその日が沈むまで時間をかけないと像が得られなかった。そもそも、硬まり具合を確かめながら手で感光材を洗い落とすので、そこに製版者の意図が入り込みやすい。ヘリオグラフは、像を正確に記録する技術というよりは、感光材に焼き込まれた像を手がかりにして絵を描く手法と考えた方がいいかもしれない。
Niépceの初期の作品は残っていないが、イギリスの王立学士院に報告するために作って紛失していた[グラの窓からの眺め]が後世にイギリスで発見されて、それからは大切に保管されている。作品の正面には片屋根の納屋が、左右には鳩小屋とパン焼き小屋が写っていると伝えられている。
Niépceの発明に興味を引かれた人々の中に
ダゲールがいた。
ダゲールはジオラマの背景の描画にヘリオグラフが活用できると考え、29年に、互いの研究の成果を交換し合う契約をNiépceと結んだ。33年にNiépceは亡くなるが、
ダゲールは独自に研究を続け、のちに
ダゲレオタイプを発明することになる