科目解説書/[情報処理]

迷信
"コンピュータは便利な機械"
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http://www.infonet.co.jp/apt
/March/syllabus/Literacies/computer/correction.html
これまでに人間が作り出してきた道具の多くは、何かの作業を便利に実行できるようにするための道具だった。効率のための道具といってもいいだろう。
しかし、便利のためじゃなく、ほかの目的のために作られた道具だってある。いくつかのタイプの道具や技術は、便利とは関係なく、それどころか便利から遠ざかるために生み出されてきた。
たとえば、そんな道具の一つとして火(正確には火を起こす方法)がある。火が自由に使えるようになったことによって、人々は、暖まるために太陽を待ったり、温泉を探したりする代わりに、自分がいるべき本来の場所でからだを暖めることができるようになった。このようなタイプの道具を自由の道具と呼ぶことにしよう。
火が自由に起こせるようになったからといって、何かが早くなったり、安くなったりしたわけではない。むしろ、火を起こし、それを消さないようにし、逆にそれによっていろんなものを失ったりしないようにするという仕事が発生して、きっと人々のするべきことは増えたに違いない。したがって、火は便利の道具ではない。できなかったことをできるようにするための道具だ。
自由の道具のほかにも、もう一つ、便利の道具とは違う技術がある。それは、ある行為を幸せな行為に組み立て直すための技術だ。
そんな技術の一つは、墨と筆から組み立てられている書や墨絵の技法だ。書や墨絵は、時間をかけ、精神を深く集中させ、たぶん費用も費やして、その代わり気持ちよく字や絵を描く、という目的のために進化してきた。だからこれも便利の道具とは違う。このような技術を、幸福の道具と呼ぼう。
幸福の道具は、自覚されていなかった行為や、嫌悪されていた行為を、意味のある行為として意識の中に立ち上げるための道具と言ってもいいだろう。
80年代に、初めてコンピュータが書類の作成に投入されるようになった時、それは、オフィスオートメーションというスローガンのもとに、時間と経費を節約してくれる便利の道具として宣伝されていた。ところが、実際には、コンピュータが作文に使われるようになって、多くの会社では、それまでよりも書類を作るのに時間をかけるようになってしまった。たぶん、そのための機械や人も増やしているし、使う紙やエネルギの量も増えただろう。効率や便利が目的だとしたら、コンピュータはむしろ有害だったことになる。
それがはっきりしているにもかかわらず、書類の業務へのコンピュータの導入は、それからもどんどん進んでいる。多くの人は、その理由を便利のためだと誤解している。しかし、真の理由はそうではない。コンピュータが書類を書くという行為を幸福な行為にしてくれるからだ。
これまで、書類を書くという行為は、意識的に行なわれるべき作業だとは考えられていなかった。書類を書く業務は、機械的な作業としてとらえられてきた。ところが、コンピュータなどの電子的な道具が導入されてからは、書類を書くことは、記録とか発表とか伝達の工程の一部としてはっきりと意識されるようになり、多くの人がそこに創造的な意味を見い出すようになった。
コンピュータは、高速な処理によって、内容や表現の変更が書類の機能にどんな影響を及ぼすかをきちんと目で見えるように表示してくれる。それを見れば、誰でも、より機能の高い書類を作りたくなるし、そのための工夫もしたくなるだろう。実は、コンピュータは、書や墨絵の技法と同じ、幸福の道具だ。
そもそもコンピュータは、その生まれを考えても、今の姿を見ても、便利の道具だったことはない。それは、いろんな関数の姿を明らかにする工程を幸せに実行できるための道具として最初は発想され、現在では、書類はもちろん、音楽や映画を気持ちよく作るための道具として進化を続けている。
これからは、コンピュータを使う時には、時間や金銭を節約することではなくて、自分の仕事をより幸せにすることを期待しよう。また、メディアを議論するのなら、何となく"コンピュータは便利だから"とか"コンピュータは便利だがしかし"といった論法を採らないように注意しよう。便利だけを期待するのは、コンピュータを作り出そうとした人々の願いも、コンピュータのあるがままの姿も、これからコンピュータを使おうとしている人々も無視することになるからだ。
"どこかで、ブレイクが、よろこびの機械というようなことを言ってはいなかったでしょうか。すなわち、神は環境を開発し、人間をそそのかして、それらの自然に脅威をあたえ、われわれ人間をもてあそんでいるのではないか、と。かくして、おだやかな真昼に、美しい風土で、恩寵を受け、明敏な機知を授けられ、最上の状態でこの世に送り出されたわれわれは、神のよろこびの機械ではなかろうか、と"
"ブレイクがそう言ったとしたら"とブライアン神父。"わたしは前言を取り消します。彼はダブリンに住んだことはないのですからね!"
引用した記事
Ray Bradbury,
"The Machineries of Joy", (64)
レイ-ブラッドベリ、(訳:吉田誠一)、
"よろこびの機械"、同名の短編集(ハヤカワ文庫、刊:早川書房、76-02-29)所収
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