寄稿

[電子図書館人間の逆襲]
(加筆版)

96-10-01
石原亘



 図書館は本という情報の形式を基本の要素とする、コンピュータみたいな新参ものなどは蒼ざめて逃げ出す、情報メディアのしにせです。最近のいわゆる「社会の情報化」への対応についても、きっと以前から多くの人が研究を重ねていることと思います。わたしがこれから書こうとしているようなことは、もうずっと前に誰かが気づいているのかも知れませんが、ここではわたしが見たり聞いたりしたことに基づいて、今までの図普館とは別のタイプの、「もうひとつの図書館」の可能性について、ちょっとした提案をざせてもらうことにします。
 まず、最近わたしが出会った2冊の本と、少し昔のl柵の本の話から始めることにしましょう。

 その1冊目は、内藤陳さんの「読まずに死ねるか!」です。この本はマスコミなどでも紹介されているので知っている人も多いと思います。わたしはこの本に出会ったばっかりに、とうとう本棚をもうひとつ余計に貫い足さなければならなくなってしまいました。その本棚には何の本が入っているかというと、何を隠そう、そう、冒険小説が隠してあるのです。
 内藤陳さんは舞台や映画で活躍している俳優で、少し前では、和田誠さんが監督した「麻雀放浪記」でおカマのギャンプラーの役で出ていました。さらに古くは、トリオ・ザ・パンチで例の「ハードポイルドだど!」のせりふを流行させた張本人でもあります。「読まずに死ねるか!」を読むとわかるのですが、内藤さんは筋金人りの読書魔であり、どうも月に10冊以上は軽く読んでいるらしいのです。この「読まずに死ねるか!」は、そんな内麟さんがこよなく愛する冒険小説への心優しい入門書にもなっているのです。
 「読まずに死ねるか!」には、「プレイボーイ」(日本語版)に連載中(再録注:今はどうでしょうか?)のエッセイを中心に、冒険小説に関する63の読書報告と2編の対談が収録されています。しかもあろうことかその上、きょうの料理冒険小説風までついてしまってもうそれはそれはたいへんな本なのです。「読まずに死ねるか!」に出会うまで、わたしにとって、冒険小説はそれ何?以外の何ものでもありませんでした。本屋に行っても、それはただの綴じ合わせた紙の束でしかなく、もちろんそれを読むことがこんなにも楽しいことだとは夢々思いもしませんでした。それだけに、この本との出会いはショックでした。「読まずに死ねるか!」体験以来、街の本屋をはしごして冒険小説本を買い占めているわたしの姿が見られたことは言うまでもありません。

 さて、もうl冊は、がらっと感じが変って少し固めの、とは言っても内藤さんの固ゆで卵じゃなくて、坂村健さんの書かれた「電脳都市」です。
 坂村さんは東京大学でコンピュータ・アーキテクチャを研究している第一線の研究者で、「トロン」コンピュータシリーズ開発チームの中心メンバです。なお、コンピュータ・アーキテクチャとは、どんな命令を単位として実行できるコンピュータなら、その上で使うシステムが開発または利用しやすくできるかを研究する分野です。上に名前が出た「トロン」は、独創的なアーキテクチャをもつ日本で初めての本格的オリジナルマシンになるであろうと期待されています。
 「電脳都市」は、易しくていねいな語り口で情報処理技術の現在の水準と将釆に向かうための間題点をまとめたものです。この本を読めばほかの分野が専門の人でも、情報科学が今どこにいてさらにどこに行こうとしているのか容易に知ることができるでしょう。
 その上、この本にはもうひとつの顔があります。何とこの本はコンピュ・タSFの一大入門書になっているのです。取り扱われている古今東西の名作の数々は、ホーガンの「未来の2つの顔」、クライトンの「アンドロメダ病原体」、そして出ました極めつけ、クラークの「200l年宇宙の旅」と、全59編。どれにも愛すべき、あるいは恐るべきコンピュー夕が登場し、そのすばらしいキャラクターをいかんなく発揮しています。コンビュータとは直接関係ありませんが、ガンダムだって出てきます。
 SFは冒険小説と違って、わたしにとっては昔馴染みの親友でした。ですから、内藤さんの本の場合のように動転して本棚を追加してしまうことはさすがにありませんでした。しかし、こうして「電脳都市」を読みながらかつて親しんだSFの数々を思い出してみると、自分を現在こうして情報科学に関わり合うまでにさせている「考える機械」へのあこがれが、ずっと昔の小学生だった頃のSF読書体験によって何と強力に支えられていることか、はっきりと自覚せずにはいられません。現実の情報科学がかつてSFで読んでいた小説の世界をはるかに超越していたり、あるいは逆に追いつくことができずに苦心さんたんしているようすを見るのは楽しいものです。「電脳都市」によると、わたしの知らない新作もその後たくさん出ているようだし、また少し読んでみなくてはと思っているこの頃です。

 以前からも、この2冊のように、自分の読書体験をもとにして、特定のテーマのもとにいろいろな本を紹介する本がよく出版され、また評判にもなっています。これはもう70年代のことになりますが、「全地球カタログ」という本がアメリカで出版されて日本でも話題になったことがありました。これは、当時の環境保護間題や公民権運動、ウーマン・リプなどの新しい文化を生み出すための運動に関わってきた人たちが、自分たちの体験をもとに集大成した道具の本で、新しくこうした活動を始めようとしている人たちのために役立つ、ありとあらゆる道具が紹介されていました。そして、その記事の大部分は入門書、文芸作品、ミニコミ誌など出版物に関するものであったと思います。
 この本は実際にもカタログとして機能するようになっていました。はがきが綴じ込んであって、これを使って本やキットを注文できるようになっていました。日本でも、都市の書店では、積極的に「全地球カタログ」で紹介された図書を集めたフェアを開催していたようです。ここまでくると、あるひとまとまりの本を薦めるということによって、単にその本を薦めるだけではなく、もっと大きなものを提案することが可能であることがわかります。たとえば、「全地球カタログ」は、エコロジの思想を環境間題につながる一連の本の読み合せ方として提案したという点でこのことを立証しています。

 このように、本を一点ずつの孤立したものとしてではなく、ある意図をもったまとまりとしてほかの人に薦めていこうとする試みは、現在では、個人や組織によって幅広く行われています。内藤さんや坂村さんのように読書録を書く人もいれば、もっと本格的に自分で小さな書店を経営し、自薦の出版物を紹介し続けている人もいます。「全地球カタログ」フェアはこの試みが大手の書店や出版社の企画にまで広がってきた現われでした。
 たとえば上でも紹介した「電脳都市」ですが、これが出版されたのはことしの春のことで、神田の某S堂に行ってみたら「電脳都市」で紹介されているSF作品のフェアを開いていました。コーナは盛況で、みんなが文庫版やハードカバーのSFを手に取ってはそれをおもしろそうに眺めていました。個人から、大手の店舗までが、こうして本の薦め合いを始めています。
 このような状況をさして、読者が主体性を失っていると指摘する意見もあります。しかし、それは少数の送り手が多数の受け手に情報を流す、という従来の型の現象としてとらえてのこと。もしこの現象が回避されるべきであるとするなら、こうした薦め合いが(特に薦める、という行為が)そう簡単にはできないという点を問題とするべきです。
 現在、l年間に出版される本は優に3万点を越えています。これらの本を、ほかになりわいをもったアマチュアが片っ端から読みまくるのは内藤さんのようなハードボイルドな読者はともかく、容易なことではありません。また、自営の書店でも、これだけの点数の出版を前にして、運営は困難を極めているということです。一方、出版社が主催する「××フェア」には、既存のブームをただ煽り立てるだけの目的のものもあって、そのすべてが読者に有益なものばかりとは限りません。できれば第三者となる組織が、こうした業務を専門に行っていくべきではないかと思います。もし、既存の組織でこうした目的に最もふさわしいものを求めるとすれば、それはまさに図書館ではないでしょうか。

 美術館・博物館・映像文化ライプラリといえば、そのはたらきからして、いわば図書館とは親戚にあたります。これらの組織では、常設展示だけでなく、一定期間中だけの企画展示も行っているのがふつうです。これは、ちょうど書店でやっている「××フェア」に相当するものです。でも図書館には企画展示はありません。図書館にはレファレンスカウンタがあって、こちらが何か目的をもって本を読もうとしている場合には、どんな本があってその本はどこに行けば読めるか教えてくれます。でも、レファレンスカウンタの仕事には、何をしたいのか自分にもわかっていない利用者に対して、図番舘でいったい何をすることができるのか、たとえばほかの人は何をしているのか紹介することまでは含まれてはいません。どうやら、このような仕事は、出版文化に限って企業に任せられてしまっているようです。図書館は、読者側からのアクセスに受け身の立場で対応するだけではなく、読者に対してもっと積極的にはたらきかけていってもいいのではないでしょうか。
 とはいえ、今の図書館にこうした能動的な機能を新たに取り込んでいくことは、現在の組織や技術を前提にしていては容易には実現できないかもしれません。「積極的な図書館」のために必要なものをいくつか具体的に掲げてみましょう。

l)自館および他館の蔵書について、その所在、本の特徴、内容の一部などを謁べることができるオンラインのデータベース。
2)推薦企画で取り上げた本を自館/他館の区別なく、しかも利用者が各自の自宅や研究室からデータ通信によって閲覧できる閲覧展示システム。
3)利用者に企画の内容を紹介し、また逆に利用者からの要望を受け人れるコミュニケーション系。
4)読書のライフスタイルの開発、新しいジャンルの発見を行なう専任のスタッフ。

といったところでしょうか。技術の条件は要員の育成に関わる間題ですから、簡単には解決できないとは思うのですが、lから3までの条件は、ある程度広い範囲をカパーするデータ通信組が安価に利用できるようになりさえすればすぐに満たされるでしょう。
 ところで、以上のリストを見て気がついた人もいるかもしれませんが、この新しいサーピスについては、企画を主催する館が、推鷹される本をすべて所蔵していなくてもいいのです。極端な場合、図書館にはl冊も蔵書がなくても、出版物の所在がはっきりしていて、さらに、それを実物ないし複写について閲覧できるようにさえなっていればいいわけです。もしかすると、これはとてもおもしろいことになるかもしれません。蔵書がなくても本を推薦することは可能なのですから、有志がごくわずかな資本をもとにして、私設「図書館」を開くことだってできるわけです。
 このことが「続者の主体性を損ねる」という購念に対ずる肯定的な回答になるでしょう。本を読むすべての人がそのそれぞれの読書ノートをデータ通信によって公開し合う「l億2千万の図書館」が実現したらすばらしいとは思いませんか。でも、そうなったら今度は、どこの図書館をアクセスしたらいいか紹介する、いわば「超図書館」がまた必要になるのかも知れませんが。

 興味のある人のために、本文の中に出てきた3冊の書籍のデータを下に示します。ぜひ探し出して読んでみてください(これもわたしのささやかな私設図書館というわけです)。

(00) 内藤陳、"読まずに死ねるか!"、集英社刊、880円
 最近文庫版も出ました。続編も出ています。

(01) 坂村健、"電脳都市"、冬樹社刊、l800円


(表紙●インタネット版では表示されません)

 冬樹社版は絶版らしい。その後、岩波書店から復刊されているが、以前はこれでもかと掲載されていた図表がなくなってしまったし、脚注も見づらくなった。なるべく冬樹社版を探し出してほしい。

(02) Stewart Brand(Ed.)、"The Next Whole Earth Catalogue"(初版4刷)、Random House Inc.刊、$14.00、(81-02)


(表紙●インタネット版では表示されません)

 これは本文で紹介した"The Whole Earth Catalogue"の最近の全面改定版です。"The Whole Earth Catalogue"の方は実は手元になくて、68年に出版されたという以上には書誌が書けなませんでした。申し訳ありません。


 この記事は下記の文献を加筆して再掲載したものです

(00) 石原亘、"電子図書館人間の逆襲"、京都芸術短期大学図書館報、No.13、pp.3-5、(85-11)。

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