1. 序論 1-1. ウォークスルの意義と展開  デリケートで実際には近寄れないような自然環境、または歴史的遺物を観察できるように、実物の代用としてその空間を再現した情報システムが作られている。プレーヤ(あるいは読者、鑑賞者)はこの空間の中を自由に歩き回ったり見渡したりすることができるようになっていて、それにともなって変化する仮想的な視点と視線の変化に対応して、適切な視界が切り替わりながら表示されるようになっている。  例えば Louvre 1)は、Louvre 美術館の実際の館内の状況と展示されている美術品をDVD-ROMで再現している。原美術館の同様な試み2)は、ウェブとして実現されている。これらのほか、現在では多くの美術館が、実世界での展示を情報システムによって再現したり、あるいは情報システムとしてのみ存在する独自の企画展を開催したりしている。  これらの情報システムは、プレーヤにとって観察が容易になるというだけではなく、あらかじめ一度だけ取材しておきさえすれば、以後の観察については実際の現地への訪問を必要としないことから、何回もの観察がその空間に対して好ましくない影響を及ぼしてしまうのを防ぐことができるという点でも意義は大きい3)。  このような、模擬的な空間を視覚的に(場合によってはさらにほかの感覚も用いて)再現し、プレーヤの行動に応じて視界を変化させていくタイプの情報システムを、本稿ではウォークスル(walk-through)とよぶ。  コンピュータゲームの中には、美しい架空の都市や自然の中を、景色を楽しみながらさまようことができるように作られたものがある。L-Zone4)はこのタイプのゲームの初期の話題作である。また、Myst5)とその続編のように成功した作品も多い。これらもウォークスルの一つの応用と考えられる。  さらに、ウォークスルはウェブなどのマルチメディアコンテンツのヒューマンインタフェースの要素として用いることもできる。たとえば、コンテンツの全体を都市や学校などの空間になぞらえ、プレーヤがその中を歩き回りながらコンテンツに含まれている記事にアクセスできるといった応用が広く行なわれている。このような、コンテンツの構造をプレーヤがよく知っている実世界の空間になぞらえたデザインは、複雑で膨大なコンテンツの中でユーザの閲覧を自然にガイドする効果があると考えられている。VRML6)や、AppleのHotSource7)は、このような期待から提案された。  ウォークスルはVRの部分集合として位置づけることもできる。その場合、ウォークスルは ・表示の対象は空間 ・プレーヤは受動的に観察のみを行なう ・立体感や全周的視覚などの、実世界での視覚を正確に再現する要素は必ずしも要求されない などの機能の限定によって特徴づけられる。これらの限定が実現をより容易にしたことから、ウォークスルは、他の方式のVRに先行して広範に応用されるに至っている。  なお、本来のウォークスルは、デザインの対象である建築や空間の中を歩き回った時の視界の変化をシミュレートしたアニメーションのことである。建築デザインや環境デザインの視覚的な確認のための強力な手段として、デザイナによって使用されてきた。 1-2. グラフィックスベースウォークスル  ウォークスルは、ベースになっている技術によっていくつかのタイプに分けることができる。その一つのタイプはコンピュータグラフィックス技術をベースにしたものである。  これは、空間を形状情報として構築しておき、プレーヤの位置や視線が変化したらそれに対応して実時間で再レンダリングを行なうものである(図1)。高速なレンダリングの性能を備えたプラットフォームが一般化したこともあって、現在ではコンピュータゲームなどに広く採用されている。実例はいくらでも挙げられるが、ゲームの分野における意欲的な試みとして、画像ベースウォークスルとして作られていた旧作をグラフィックスベースで全面的にリメークした Real Myst8) を特記しておく。 図1 グラフィックスベースウォークスル (概念)  この手法では、任意の位置で任意の方向を自由に見ることが可能になるが、現実的なプラットフォームの性能では、視覚上の品質か、操作の自然さか、どちらかを犠牲にせざるを得ない。また、視界の表示のもとになる空間モデルの構築が必要となるが、それは必ずしも容易ではなく、現実的ではなかったりする。 1-3. 画像ベースウォークスル  ウォークスルのもう一つのアプローチは、画像ベースウォークスルである。このタイプのものは、いくつかの立ち位置と、そのそれぞれにおける前後方向(あるいはさらに左右方向)の視界があらかじめ撮影またはレンダリングされていて、それらの画像をプレーヤの位置や視線の変化に応じて選択して表示していくという形態をとる。 図2 画像ベースウォークスル (概念)  画像ベースウォークスルは、すでに70年代から研究が進められていた。Lippman は、道路を走行する際の光景をムービカメラで撮影し、それをコンピュータで制御して再生する Movie-maps を開発した9)。  その後、90年代に入ってから、AppleのChenらが、グラフィックスベースウォークスルの困難を回避するものとして、周りが見回せる立ち位置(panoramic point、展望台)のネットワークとしてウォークスルを扱う手法を QuickTimeVR10,11) として提案した。この成果は、汎用のウォークスル開発および再生システムとして商品化された。その後、バリエーションの一つであるQuickTimeVR Cubic12)や同じ流れを汲むiPIX13)などの、いくつかの汎用システムが発表されている。  最近のコンテンツの例としては、1-2の Real Myst7) と同様にゲーム Myst の続編として作られながら、画像ベースで実現された Exile14) を挙げておく。  画像ベースウォークスルは、グラフィックスベースのものに比べると以下の点で有利である。 ○品質の高い視界  事前に時間をかけて撮影やレンダリングを行なっておくことができるので、写真写実的(photorealistic)な、あるいは美しいグラフィックデザイン的な表示を容易に実現できる。 ○モデリングの工程を必要としない  実在の空間を再現するためのウォークスルに関しては、それをグラフィックスベースで実現しようとするのはあまり現実的ではない。実在の空間をグラフィックス情報として表現するのには、膨大な作業が必要になるからである。 ○高速  現在の大多数のプラットフォームの性能では、グラフィックスベースウォークスルが要求するような、空間の詳細まで説明できるレベルの実時間でのレンダリングは困難をともなう。画像ベースなら表示の負荷はずっと少ないので、多くの環境で、高速でしかも高品質の表示が実現できる。  一方、画像ベースウォークスルには、立ち位置が有限個の地点に限定されるという制約もある。  以上のように、実在する空間を再現するという目的に関しては、画像ベースウォークスルは、グラフィックスベースウォークスルよりも好ましい特徴をより多く備えている。